2004年08月31日

やはり沖縄のこと

琉球新報(2004年8月23日)社説

「良き隣人」・寛容な県民にも変化が
   しっかりと聞け県民の痛み


 あらためて、寛容な県民性だと思う。われわれだけでなく、ここに駐留する米軍自体もそう思っているだろうし、こういう“良き隣人”を持った幸せを、つくづく感じているに違いない。

 住宅地域の上空を、騒音をまき散らしながら、ヘリコプターで我が物顔で飛び交った揚げ句、大学構内に墜落。しかも、その周辺は多くの住民が隣接して住んでいる。「一歩間違えば…」は、幾度も使ってきたが、今回もまた大惨事と紙一重だった。飛び散った破片で、コンクリートの壁やバイクなどが破壊された現場を見れば、被害がこの程度に収まったのは、幾つもの幸運が重なった結果だったとしか思えない。

 そんな大事故を起こしながら、米軍は「基地管理権」の及ばないはずの事故現場を、勝手に立ち入り禁止にするし、沖縄県警の現場検証すら認めない。もちろん、「飛行中止」の要請などかまわず、事故後八日目には飛行再開だ。非常識である。一応、事故後に米軍幹部が県庁を訪れはしたが、これとて、いつもの形式的謝罪と、過去一度も守られたためしがない再発防止の約束だけだ。

米兵の”安全保障” こういう仕打ちを受けた場合、どこの国の国民でも怒りしか生まれない。われわれ沖縄県民も、米軍にはそんな感情しか持てない。県民の怒りが、極限近くまで来ていることは米軍も認識しているものと思う。

 そうではあるが、われわれはまだ寛容だ。軍服を脱いだ者には、その怒りを向けることはない。例えば、県内各地で盛んに行われている祭りやイベントには、事故後も「私服の米軍構成員」との“交流”が当たり前の光景としてある。米軍も立ち入り禁止にしない。怒りがあっても、安全が保障されている。

 もし、東京や神奈川、あるいは他の国の住民地域で墜落事故を起こしながら、勝手に一帯を封鎖して、警察の立ち入りを拒否した場合、同様に自由な行動が保障されるだろうか。幾度も繰り返す沖縄と違い、たった一度の事故であっても、米兵の行動は制限されるに違いない。

 その違いは、県民が「反基地」ではあっても、「反米」ではないことを示している。

 それは、「万国津梁」の時代から、海の向こうから来た民への接し方を受け継いでいるからかもしれない。

 また、軍政で住民の権利が圧迫もされたが、半面、民主主義を教えてくれた復帰前の評価もあるからかもしれない。その時代、米国留学を経験した県内各界の指導者たちを通じ、本来の民主主義のあり方を、多くの県民は知ることができた。だから、それぞれが自分の意見を持ち、表現し、互いに尊重しながら意見を交わすことが、民主主義社会を前進させるということも知っている。

 残念ながら復帰前、直接伝えていた基地に対する県民の意見も、復帰後、日本政府を通して間接的に伝わるようになった。これは県民に不幸なことだった。なぜならば、対等に意見を交わすことより、「追従」に居心地の良さを感じる人たちによって、「誤ったメッセージ」が届けられている可能性が強いからだ。


安保の負担平等に


 このままでは、われわれの基地への怒りは増大するばかりだ。

 だから、寛容な県民に変化が表れている。かつて、「基地撤去」は叫んでも、県外他地域への移設だけは言わなかった。なぜならば、県民の不幸を、そのまま他に担わすという安易な策を望まなかったからだ。

 だが、もう違う。多くの国民が重要だという「日米安保」なのに、その負担を沖縄県民だけで背負うのは不平等だ―という考えが増えてきた。本社が事故後行った緊急アンケートでも、再発防止策として、42%の人が「国外・県外への移転」を求めている。その数は時間の経過とともに、増え続けるはずだ。

 だから、われわれの“良き隣人”ぶりが、将来とも保障されるとは限らない。もちろん、暴力による解決は、県民の選択肢の外だ。だが、幸をもたらした「万国津梁」の時代の来訪者と違い、不幸だけしかもたらさない「招かれざる客」には、それなりの接し方に改めねばなるまい。

 もし、われわれに、将来とも“良き隣人”であることを望むのなら、県民のうめき声に敏感に反応し、その痛みをやわらげるための努力が必要だ。民主主義に未熟な役人を間に置いては、あちらこちらでうめく県民の声は聞き取れない。このままでは、国内で最も多く米国への「理解者」が存在する地域に、逆に不信感を募らせてしまう。これは不幸だ。

 われわれだけでなく、互いが“良き隣人”であることを望みたい。そういう両者の関係になった時に、われわれの誇りとする来訪者への寛容さも失わないですむからだ。
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温度差・沖縄問題とは言わせない

沖縄タイムス社説(2004年8月30日)

温度差
沖縄問題とは言わせない


 「『癒やしの島』『楽園』と、普段はこぞって沖縄を取り上げているのに、米軍基地問題になると、手のひらを返したように見向きもしなくなる。あなたたちにとって、沖縄とは何ですか」 
米軍ヘリ墜落事故を受けて本紙が設けた「県民の声」欄に、那覇市に住む二十歳の学生が、こう寄せている。

 事故の報道、政府の対応を含め、本土側の関心の低さを嘆き、批判する声だ。

 「大変なことが起きたと思っているのは、私たちだけなのでしょうか」「あなたも基地の近くに住んでみませんか」

 同様の意見は少なくない。

 基地問題を語るとき、しばしば沖縄と本土との「温度差」という言葉が使われる。それは両者の問題認識のギャップを示す。

 全国の知事を対象に実施したアンケートで、米軍が事故機の合同検証を拒否したことに、回答した三十一都道府県のうち二十九都道府県知事が「問題あり」と答えている。

 在日米軍専用施設の75%が沖縄に集中するなど日米安保の重すぎる負担への理解は二十四道県、基地を日本全体に分散する「負担の共有」について、「すべき」と答えたのは三県だけだった。

 事故後の対応では意見が一致するものの、根本的な問題である、沖縄の基地負担の軽減、その方策としての基地の分散については、慎重だ。

 アンケートでは「国政上の問題」「国の専管事項」として、回答を控えた知事の姿も目立った。

 このことが、日本全体の安全保障問題を、相変わらず「沖縄問題」として押し込める結果になっているのではないか。

 温度差は、米兵による暴行事件が起きた一九九五年以前よりも、むしろ広がっているように思う。

 韓国ドラマ「冬のソナタ」が、日本でブームを巻き起こしている。

 しかし、韓国人や在日韓国人からはブームへの違和感、物足りなさを指摘する声がある。ドラマは全体的に韓国的なものが希薄で、設定が韓国でなくても十分成立するからだ。

 裏を返せば、日本と韓国の複雑な過去や、南北問題といった現実が見えないことが、人気の要因の一つなのかもしれない。

 歴史の問題を置き去りにした一時的な韓国ブームで心の溝が埋まらないように、表面的な沖縄ブームも温度差を埋めきれないでいる。

 沖縄からの問題提起は、基地問題という重い課題を、日本全体で、どう受け止めるか、そしてどう向き合うかだ。

 真の「沖縄」を見てほしい。
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2004年08月30日

今こそ日本の価値を世界に示す時


 

≪ インドの中距離ミサイル実験成功に思う ≫

 8月30日の各紙が、インドのミサイル実験成功をいっせいに報じている。
すなわち8月29日に東部のオリッサ州沖合いで核弾頭の搭載が可能な中距離
弾道地対地ミサイル「アグニ2号」(射程距離二千キロ)の発射実験に成功し
たという。報道によればインドは今年7月上旬にも短距離ミサイル「アグニ1号」
を実験しているという。


 周知のようにインドはパキスタンとカシミール問題で核戦争も辞さないほどの
緊張関係にある。パキスタンも負けじと軍事拡張を行うであろう。いまや世界中で
どんどんと軍事拡張が行われている。

 このようなときこそ日本の憲法9条の価値が高まるのである。
もし日本が平和憲法を捨てて世界の軍事拡大競争に参加をしていったらどうなるか。
莫大な予算を使って国民経済を圧迫することは間違いない。しかも今更日本が自主
防衛できるほどの強力な軍事国家になれるとは思えない。米国の軍事戦略の補完的
役割を示す国になるに過ぎない。ただの軍事国家である。そして世界からは警戒さ
れることになる。


 そんな国になるよりも世界の軍拡の流れに逆らって一人平和憲法を維持する事を
世界に示したほうがはるかに日本の価値は高まるし尊敬を売る事が出来る。
日本のような経済、技術の進んだ国が二度とそれを軍事に活用しないと宣言すれば
どれほど世界の国民の喝采を受ける事か真剣に考えたほうが良い。
今まで日本は一度だってその気になって平和国家であることを身をもって示した
事があったか。平和憲法を本気になって実践したことがあったか。
軍事国家なんて誰でもなれるのである。
誰もが出来ない事を人に先駆けてする、そうすることによってはじめて日本の価値が
認められるのである。
今の小泉政権はまったくその逆をやっている。彼が国連でどのような演説を行おう
とも世界は米国に追従する浅薄な日本という目で受け止めること間違いない。


《引用終わり》

 

まったく同感です。近視眼的な政策にいい加減見切りをつけ、今こそ「日本の価値」を世界に示す時だと思います。

 
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2004年08月29日

話が違う

沖縄タイムス コラム大弦小弦 2004年1月19日

 「就職口の一つだという感覚だった」。自衛隊に息子がいる父親の口から出た言葉だ。危険業務はない。そう信じて就職した国家公務員なのに、海外の戦地に出向く事態になった。
 広島市で十七日にあった集会では、戦場には絶対行かないと信じて息子に入隊を勧めた父親が訴えていた。「話が違う」と。当事者は自由に発言できる状況にないが、同様な思いを抱いている者は少なくないだろう。

 イラクでは、完全武装の米兵でさえ連日、犠牲になっている。派遣されれば、だれも生命の保証ができないという現実は、復興支援というベールでは覆い隠せない。「自分の子どもだけでも戦地に派遣されてほしくない」は親の本音だ。

 自衛隊は、文民統制(シビリアンコントロール)により軍隊としての暴走が防止される、といわれてきた。が、現在に至るまでの動きは、ブッシュ米大統領との協調路線をひた走る小泉首相が、軍事的貢献を急いだとしか見えない。

 懸念されるのは、実際の危険から遠い位置にいる文民首相らの暴走。派遣隊員が犠牲になった場合、「国際社会の一員」として軍事貢献を叫ぶ文民は、殺される前に殺せる装備、軍隊として行動できる仕組みを求めてくるだろう。

 イラク派兵は、タカ派宰相と自衛隊の本質を明確にした。「殺されるな、殺すな」。父親の叫びは派兵の本質を突く。それでも若者は「兵士」になるのか。親は子どもを兵士にするのか。(武富和彦)
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2004年08月28日

力では解決できない

ロシア機墜落 力では解決できない(東京新聞社説)

《記事より引用》
ロシア連邦保安局は、旅客機同時墜落事件をテロと断定した。チェチェン共和国の独立派武装勢力による犯行との見方が強い。プーチン政権がチェチェン問題の解決を力に頼る限り、悲劇は続く。

夫を殺された女性が自爆テロに走るケースもある。平穏な生活を願い、過激勢力とは一線を画する一般のチェチェン人をもロシアは敵に追いやっているのが実情だ。

テロと憎悪の連鎖を断ち切るために、武装勢力指導者の中でもマスハドフ氏のような穏健派との和平交渉に路線を転ずる時だ。
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2004年08月27日

企業人の倫理を問う真の親日家

日本経団連 武器の輸出を制限した「武器輸出三原則」の見直しなどを求める提言

その中で「おわりに」としてこう結んでいます。

国民の安心・安全を脅かす脅威や危機から、国民を守ることは国家の最も基本的な責務であり、安全保障は国家の存立基盤である。防衛産業はその技術基盤・生産基盤を国内に維持することを通じて、国家の防衛力の基盤となり、国家の安全保障の一翼を担っている。
政府は、今後の安全保障政策の策定に際して、国際的な環境変化に機動的に対応可能な強固な安全保障基盤を形成するために、「安心・安全」に強い社会システムの構築に向けた明確な基本方針を策定するとともに、国民の意識を高めるべく、広く議論を展開することが望まれる
日本経団連としても、「国の基本問題検討委員会」において、国民の「安心・安全」や技術・経済安全保障等、広く今後あるべき安全保障政策のあり方について、引き続き検討を進めていく。


それに対しビルトッテン氏は
ビル・トッテンからのレター
武器輸出再開への提言


アメリカ追従さえしていれば、国益も企業利益も安全も保障される、ということを日本の政財界のリーダーは信じているようである。
 しかし、そんなことはありえない。食料とエネルギー自給率の低い日本では、経済封鎖によってたちまち壊滅する。日本の安全保障や防衛を真に考えるなら、憲法改正だとか武器輸出原則の見直しを提案する前に、40%の食料自給率、20%のエネルギー自給率を上げるという、人命にかかわる問題に真剣にまず取り組むべきだ。


「安全保障」をネタに「自己の利益を追求」する、そこには「人命の犠牲が伴う可能性」へのかすかな配慮さえ見えません。
そんな企業人の倫理を厳しく問う、トッテン氏もまた企業人です。
安全保障は決して軍事だけでは語れない、まさに氏の指摘は的確。真の親日家、愛国者だと思います。
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2004年08月25日

戦争中毒

天木直人・マスメディアの裏を読むより、気になる一文。

8月24日―メデア裏読み

米国ジョン・ホプキンス大学ジョエル・アンドレアス助教授の言葉

 米国がいかに好戦的な国であるかを漫画で風刺した「戦争中毒」(合同出版)の著者であるアンドレアス助教授が日本各地で講演したときの言葉が24日付の朝日新聞夕刊に掲載されている。
 「米国はイラクでの戦争に既に負けている。大量破壊兵器が無かったとかテロを抑えられないといったことだけではない。米国がこの戦争で達成しようとした目的―イラクに親米政権をつくり、石油利権への特権的地位を固めるということに戦略的に失敗しているからだ。もともと開戦は危険な賭けだった・・・こんなにも多くの民衆が抵抗するとは米国内のタカ派は予想できなかった。日本に対する一番の疑問は憲法9条という武器がありながら、なんでこんなリスキーな戦争にかかわるのか・・・将来のイラク政権は確実に今より反米、反日になるだろう・・・」
 これほど正確、端的に現状を言い当てた発言を私は知らない。

《参考》
戦争中毒―アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由
ジョエル・アンドレアス著
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2004年08月24日

「共謀罪」って知ってました?

「共謀罪」はずかしいことに知りませんでした。
今秋の臨時国会で、いよいよ本格審議される見通しとのことです。

8月23日東京新聞特報記事
『超監視社会』の前夜?標的は…労組と市民団体


《参考》
自由法曹団

「共謀罪」の創設に反対する意見書

共謀罪―5つの質問―
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2004年08月23日

米軍ヘリ墜落事故〜放射性物質搭載の可能性

米軍墜落現場で放射能測定 沖縄県も土壌汚染調査(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-08-21/01_02.html

ことは重大です。こんな重大なことを大手マスメディアが取り上げないのは何故でしょうか。
唯一一面トップで取り上げたのは赤旗だけ。
政府の対応ののんきなことといい、主権国家などとはとても言えません。
「普通の国」になるなどと言いながら、ごく「普通」のことができないから、政府が言うところの「普通」の真意を疑うのです。
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2004年08月22日

華氏911〜その政治的メッセージ性はいけないこと?

華氏911の全国公開始まりましたが、今週末は見に行けず、来週には是非見に行きたいと思っています。

で、昨日の記事「マイケル・ムーア氏インタビュー」に対してトラックバックいただきました。
否定的な意見のトラックバックも基本的に拒みませんが、内容的に気になることが書かれていた場合はこんな感じで記事にさせていただくことがありますので、宜しくお願いします。

「華氏911にObjection」と題する記事。 
その中にこんな一文があります。

>私がこの映画を見ない理由も含め、一番の批判的理由は、政治的ドキュメンタリーという映画ジャンルにある。

ええ、確かに政治的メッセージを多く含んだドキュメンタリーだと思います。でも、なんでそれが批判的になる理由になるのかなあ。

>政治とは正確に報道されなくてはならない。

正確な報道とは何でしょうか。
・小泉首相が夏休みをとった。
・小泉首相が(誰だか知らないけど)有名人と一所懸命握手会をした・・・たしかやってましたよね。
・小泉首相が鼻くそをほじった(たぶんするでしょう)・・・もしそれを見た記者が記事にすると仮定しての話ですがね。
それぞれ皆、間違いなく「正確」な報道です。
ありもしないことを報道すればそれは捏造です。
ただ、あった事実を「報道しない」ことは捏造ではありませんし、批判されることはあっても法的に責任問われることはありません。
しかし、物事の本質でない報道をくり返すことで、その本質を隠す、すなわち捏造に近いことは可能です。

>もちろん戦争やそのほか社会性のあるものすべてに言えることだ。

上記の例に当てはめて考えて見てください。戦争にしろ何にしろ、特にマスメディアではこれに近い報道、ニュースが垂れ流されています。

>その上で見る人が「正しいのか・間違っているのか」を判断するべきだと考えている。

情報がくまなく伝えられれば、それも可能かと思います。しかし、先に述べたように「報道されない」ことが山ほどあります。「報道されないこと」は「正しいのか・間違っているのか」など判断できません。何しろ「知らされない」のですから。

>俗に言う"マスメディアリテラシー"というヤツである。

そんな難しい話はわかりません。

>そういった考えを持つ私にとっては、この「華氏911」はお金を払ってまで見るに値しない映画ということになる。

報道のあり方について一過言お持ちの方と思いますし、後段の文章からは現状の報道の抱える問題点を把握されているようにも思えるのですが、なぜかこういう結論に至っておられます。

政治的に何にしろ、この映画が評価できる一面は「報道されないこと」が多く盛り込まれていることにあると思っています。「正しいのか・間違っているのか」判断するための材料でもあります。際限なく垂れ流される一面的な報道を散々見せられて、それに抗する「事実の暴露」が政治的と糾弾される所以はありません。

マイケル・ムーア氏のコメント
「新聞やテレビが、それこそさんざん行ってきた戦争プロパガンダの解毒剤でもある」

私は是非見に行きたいと思っています。
もしかすると「この国の数年後」を描いてくれる未来予想映画かもしれないのですから。
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2004年08月21日

マイケル・ムーア氏インタビュー

「最愛ブッシュに首相似てきた」ムーア監督インタビュー (朝日新聞)

マイケル・ムーア氏のインタビュー記事です。
引用かつポイント抜粋かつ気に入ったところ太字にて。
明解です。

《引用》

 小泉首相が「華氏911」を「政治的に偏っているから見たくない」と語った
ことについては「自国民よりブッシュを愛していると公言したようなものじゃな
いか。
知的な人間なら、様々な意見や真実に好奇心を持つものだろう? 真実に
目を伏せ、無知なままでいたいだなんて、最愛のブッシュに似てきたね」と皮
肉った。

 「制作の意図は観客に伝わっていると思う。映画館から出てきた人々の感想は
『ブッシュは何て悪いやつだ』じゃない。『初めて見聞きすることばかり』だ。
イラク戦争は戦うに値する戦争だったのかどうか。考えるのに必要な情報を、主
流メディアが伝えなかったからだ。
新聞やテレビは一体何やってたんだ、と観客
は怒っている」

 「私の仕事は、人々が見ないでいたものを目の前に突きつけることだ。主流メ
ディアのエリート連中には、恥じ入ってほしいものだ。
あなた方が怠けてしな
かったことを、こんな野球帽をかぶった高卒の男(ムーア氏本人)が世界中で映
像を掘り起こして、補っているんだから」

 「これは事実を積み重ねたドキュメンタリー映画。プロパガンダ(政治宣伝)
じゃない。スクリーンでは、ブッシュもラムズフェルド(国防長官)も、無名の
兵士も、あるがままに登場させた。新聞やテレビが、それこそさんざん行ってき
た戦争プロパガンダの解毒剤でもある


 日本については、こう問いかける。

 「戦争の恐怖を最も知っている日本が、イラク戦争に加担する道を選んだの
は、まったく悲しいことだ。第2次大戦後、日本は世界で、平和のたいまつのよ
うな存在だったはずだ。60年大事にしてきたものを、ブッシュへの貢ぎ物にし
てしまった。それで日本はより安全になったのかい


 ムーア氏を突き動かすものは何なのか。

 「目下の目標はブッシュを政権から追い落とすことさ。だが最終的には、一握
りの金持ちの支配からアメリカを救い出したい。超大国といいながら、子供の5
人に1人が、まともな教育も医療も受けられない貧困の中で暮らしている。イラ
ク戦争も、戦場で戦っているのは貧乏人の息子や娘だ。
戦争を仕掛けた閣僚や議
員、戦争で利益を得る石油企業の重役の息子らが、真っ先に行くべきなんだ。徴
兵制は復活させるべきだ。そうすれば戦争はうんと減るだろう」

《引用終わり》
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2004年08月20日

何故、護憲か

・平和を維持するには軍事力が必要。
・平和を唱えているだけでは平和は実現しない。
・平和を維持するための何ら具体策を出さない。

護憲を主張する人に対して向けられる良心的反論の代表的なものだと思います。
一部好戦的な方を除き、同じく平和を望みながら何故にこうも意見が食い違うのでしょうか。

どこかの国からの侵略に対してどう対抗するのだというご指摘です。
そもそも想定する脅威が違うのです。

私は他国の侵略よりも、アメリカの侵略戦争に直接的に加担させられることについてはるかに脅威と感じるものです。
何故ならそれは想定されることではなくて、現に進行しつつあることだからです。

憲法9条を守ることは、これに抗するための最も具体的かつ実効力のある方策だと思っています。
必要以上の軍事力が邪魔になることは言うまでもありません。
posted by PPFV at 00:28| Comment(5) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月19日

米軍ヘリ墜落事故〜改めて思うこの国の力量

ちょっと前の記事になりますが・・・
すでにエントリーもいくつかありました。What's New & Occasional DiaryさんとM.H.SquareさんにTBさせていただきました。

米軍、現場検証なしに機体撤去作業始める ヘリ墜落(朝日新聞)

What's New & Occasional Diary
こんなフザケたことがいつまで続くのか―米軍ヘリ墜落事故

M.H.Square.
米軍ヘリ沖縄国際大学墜落事件:これは有事法制発動のシミュレーションだ

このような理不尽なことが沖縄ではもう何度となく繰り返されてきました。
大学のキャンパスでさえもこのような危険にさらされていることはもちろん大きな問題です。
そしてそれに追い討ちをかけるごとく、そのことに対して何もできない警察、何もやらない政府。

まさに治外法権そのもの。
子どもの「愛国心教育」などに熱心になる前に、アメリカの言われるがまま、なすがままという
「平和ボケ」ならぬ「植民地ボケ」とでも言えそうな、政府自らの「非愛国的」態度を改めるべきでしょう。

「知ろうともしない」 首相視察を望む 県内から厳しい批判(琉球新報)

首相の事故対応・危機感も情熱もないのか (琉球新報社説)

常々、「危機管理」を声高に叫びながら、一歩間違えれば大惨事という事態に、この無反応ぶりです。
政府の考える「危機管理」というものがいかに空疎なもの(あるいは偽物)であるかを如実に物語るものだと思います。

今回の出来事をはじめとして、弱者を切り捨てる数々の政策や、決して国民の方を向いていないこのような姿勢を
しっかり見つめた上で、この国の良識そして力量を考える必要があります。
国民の権利を著しく制限した有事関連7法案、改憲、そして武力の使用が許されたとき、武力はどのように使われるのでしょうか。

武力をもって「国民の命を守る」「平和が守られる」などということは、当分この国ではあり得ない。
それは、こういう出来事の積み重ねによって得られた私なりの今現在の結論です。
posted by PPFV at 21:37| Comment(3) | TrackBack(8) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月16日

真の平和主義なんだそうです

私の「護憲」か「改憲」かお迷いのあなたにという記事に対してトラックバックいただきました。

「真の『平和主義』とはなんだろうか」と題した記事、とても面白かったので私なりの感想(ツッコミも含む)を述べながらご紹介させていただきます。

>日本にはエセ平和主義者が多くいます。
>彼らは実のところ平和主義者ではありません。
>エセ平和主義者です。

あまり細かいことはいいたくないですが
(主旨)エセ平和主義者-->平和主義者ではない-->それはエセ平和主義者
あまり意味のある文章ではありません。二度手間。

>彼らは
>「憲法9条を守れば平和主義」
>とわめき散らします。
>アホと言うしかありません。

人の話あまりまともに聞いてませんね、皆さんわめいてませんよ。まったくもう。ま、いいや、もう少し先をお聞きしましょう。

>こういうアホがいるから、
>「無原則であっても自衛隊を海外に出せば一人前」
>あるいは
>「内容を問わず憲法9条を改正すれば一人前」
>という馬鹿が生まれました。
>アホが馬鹿を生む。馬鹿がアホを生む。最悪なスパイラルです。

「アホだ馬鹿だ」とあまり賢い方という印象は受けませんが、これほどの自信をもっておられるところを見ると余程すばらしい自説をお持ちのことと思います。期待を持ってお話伺うとしましょう。

>以下は小室直樹先生の「新戦争論」からの引用です。

で、いきなり引用ですか(--;;
左はアホ、右は馬鹿、バランスの取れた私は賢いとおっしゃりたいのでしょうが、引用しているそのセンセーはおもいっきり右だったりして。

>真の平和主義の意義がよくわかります。

この時点で期待度40%ほど削がれてますが、気を取り直して拝聴しましょう。

ここから引用の引用(小室センセーのお話〜と言っても音楽夜話じゃないです)---------------

>>真の平和を願う者のなすべきことは何か。
>>@まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。ポイントは二つある。
>>(T)戦争とは国際紛争解決の手段である。
>>(U)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り、戦争はなくならない。

ポイントとのことですが、この時点で認識が違いすぎます。
(I)戦争は多くの場合国際紛争解決の手段とはなり得ないと思っております。
直近のイラクの例を見ても状況は悪くなるばかり、泥沼化の様相を呈しています。ましてや査察団の意志を無視したアメリカの先制攻撃がその始まりとなっており、その先制攻撃の大義名分さえも既に大嘘だったことがバレております。国際紛争解決の手段どころか「戦争を起すことそのもの」が目的としか思えないものです。これはイラクに限ったことではありません。
(II)紛争解決は戦争を起そうとする「大義名分」を作り出す理由のよりどころに過ぎないと思っております。
「戦争を起すことに意味がある」それは何かに目を向けなければ戦争はなくなりません。臭いにおいは元から断たなきゃダメ。
私ならこの文章「戦争以上に合理的で実効的な権益収奪の手段を創造しない限り、戦争はなくならない」と表現します。

>>Aしかし、現在、そのような一段と次元の高い国際紛争解決の新メカニズムは、萌芽すら現れていない。
>>具体的な方向すらまだ発見されていない。国際社会は五里霧中である。

前提となるポイントが明らかにズレているので、何とも言いようがないのですが、しかし、ここで言われていることは、「萌芽すら現れていない」「方向すら発見されていない」「五里霧中である」と全く何もわかんない最悪の状況です。何一つ明確な話はありません。

>>だが、具体的な努力目標もないと言うことではない。
>>方向はわからなくとも、少なくとも準備作業の何たるかは明らかである。

ところが、具体的な努力目標はあるんだそうです。あれほど「何もわからないし、五里霧中」なのに、準備作業の何たるかは「明らか」って一体どういう思考回路なんでしょうか。天才が考えることは常人(いや凡人)にはわかりません。

>>それは、
>>(T)長期的には、国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続けることである。

意味不明。「複雑きわまる組織的努力」って一体何でしょか。

>>その一環をして戦争に関する法の開発がある。しかし具体的な方向が定まらないので、当面はやみくもの努力以外にやりようがない。要するに試行錯誤の段階である。

あ、「戦争法」を作れということですか。しかし、ここでも「具体的な方向が定まらない」ので「当面はやみくも!の努力以外にやりようがない」と無責任極まりない暴言としか思えません。論理もへったくれもありません。試行錯誤で戦争法作られては堪りません。

>>(U)短期的には、これを平行して、現行の国際法の枠内で、できる限り具体的に戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。ただし、これを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。

戦争の勃発を減少させる努力を続ける・・・聞こえはいいですが、戦争を必要悪としてこれからも営々と続けて行きたい(自分たちと関係のないところで)と聞こえてしまいます。「戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない」というのはその念押しですか。
端的にいって戦争勃発を減少させる努力は「アメリカに対して戦争回避への提案を行うこと、反戦の世論を高めること」が現段階では最も有効だと思っております。

>>B前項のような努力を続けてゆく過程で、ひょっとしたら、戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決のメカニズムについて、おぼろげながらヒントが得られるかもしれない。これは祈りにも似た悲願である。

「おぼろげながらヒントが得られるかもしれない」と、とてつもなく楽観的かと思えば、「祈りにも似た悲願」と、神にもすがる悲観論、一体何なんですか

>>Cその間、現実の戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。
>>このことは、平和への努力、平和への祈りと矛盾することではない。
>>むしろ、そうしないことが、結果として平和主義と矛盾するのである。

戦争に代わる紛争解決の実効的手段を提示できない限り、エセ平和主義・・・というわけですね。
「代替案示せなければ批判はするな」と同じ論法です。
しかし、何度も言いますがスタートの論点違うので、この指摘はまったくの言いがかりとしか言いようがありません。

>>以上が真の平和主義の核心である。
>>まことに、新しい制度の創造には、それに相応した基礎的な法秩序の成熟が前提となる。
>>それを達成するまでは、これと平行して現実的に対応することが不可欠である。
>>それが、文明の鉄則である。

そもそも、最初のポイントといわれる部分の認識が違いすぎますので、アレなんですが、百歩譲って認識が同じと仮定して考えても、その後の話は全くもって具体性、論理性に欠き、抽象論、楽観論、悲観論に終始(わけがわかりません)しております。
あなたが言われるところのエセ平和主義といわれる方々は、少なくともここで論じられているより遥かに具体的な形で平和に向けての活動をされていますよ。

引用の引用終わり----------------------------------------------------------

>まさに至言である。
>アホと馬鹿は、この小室先生の文章を百万回熟読するべきである。

小室氏の著作は読んだことありませんので、この引用文の真意は不明ですが、この部分を読む限り、まさにタワゴトです。
ご心酔なさるのは勝手ですが、現政府が聞いたら泣いて喜ぶような話を、百万回も熟読すべき・・・なんて勘弁してください。
ま、お偉いセンセーなんで、しがないサラリーマンがとやかく言うのは憚られますが、私はこんな無責任な文章はこのブログでも書きません。

最初の問いに戻りましょう。
真の平和を願う者のなすべきことは何か。
>まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。
いいえ、平和とは何かをもう一度問い直すことでしょう。一体どんな、そして誰のための平和か。
posted by PPFV at 17:34| Comment(32) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月14日

オリンピック開幕(またやっちゃった)

いよいよオリンピック開幕しました。
それなりに楽しもうとは思っていますが、マスコミ(ひいては国民の関心)がオリンピック一辺倒になってるこの機に乗じて妙なことが行われないようにちゃんと監視しなくてはね。

メディアは、何しろ「有事関連7法案」で号外出ないのに「ナベツネの辞任」で号外出るんだから、いやはやまったく当てにできない。

話は変わりますが日本選手団のユニフォーム、世界一「ダサい」と思うのは僕だけでしょうか。
あれ、服(自分のスタイル)に多少なりともポリシーのある人ならば「耐え難いもの」があると思うのですが、そういう「内心の自由」さえの配慮のなさをもつくづく感じた次第。
それに比べ、特に北欧諸国は、恐らくは嫌悪感抱く人はあまりいないであろうスッキリとオーソドックスなスタイルで好感が持てます。

この日本、街中見回せばおしゃれな若者山ほどいるのに、何でああいう場になるとああいう「オオボケ」かますんでしょう。
posted by PPFV at 17:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月10日

石原慎太郎の言動に見る近未来

昨日の記事で石原氏の話が出てきたついでというわけではありませんが、たまたま今読んでいる本の中に石原氏に言及した部分がありましたので引用します。

教育改革と新自由主義 子どもの未来社 寺子屋新書 斎藤貴男 著

《引用》
底流にあるのは社会ダーウィニズムの思想

かつては官僚も政治家も、あるいは経営者も、支配する側というのは裏にある意図を押し隠し、建て前を堅持して理解を求め、改革なり新事業なりを進めようとしていました。だからこそジャーナリストや研究者はその背後のねらいを分析し、批判してきました。こんなきれいごとをいっているけれど、じつはこんなねらいがあるんだぞ、と。ところが、いまはなにもかもがあからさまです。
『空疎な小皇帝−−石原慎太郎という問題』(岩波書店)をまとめていたときに実感したのは、石原氏の言動に全然分析の余地がないということです。めちゃくちゃ差別的なことを、いえ、差別そのものを、まったく臆せず言ってのけています。
「(重度心身障害者に対し)ああいう人ってのは人格あるのかね」「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪をくり返している」など、石原氏のことばは誤解することのできないほど明瞭であり、しかも反発を受けても弁明するどころか開き直っています。
石原氏のような弱者に対する冷たいまなざし、差別感情がここ数年、新自由主義経済のもとで広い範囲にわたって浸透してきていることを感じます。
いまは石原氏の発言にみるように老人や障害者、外国人など社会的に非常に弱い層への攻撃が主ですが、いずれは社会全体へどんどん拡大していくでしょう。それが、早期に子どもを選別する複線化の思想や三タイプに分けた雇用形態を定着させる思想としてすでに出てきてきるのだといえます。
《引用終り》
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2004年08月09日

アジアカップサッカー日本代表の健闘を称える

色々騒がれたアウェーでの冷静な試合すばらしかったと思います。おめでとう。

しかし、石原氏からは相変わらずの発言。彼から「民度」などという言葉を聞くとは思いませんでした。

ブーイング問題:石原都知事「民度低いからしょうがない」(毎日新聞)

一方、中国人記者による記事。

中国マスコミスキャン〜ブーイング騒動(JANJAN)

特に下記引用部分は印象に残りました。

【中国民衆の心に宿るやり切れなさ】

 今回のブーイング問題で、日本人はショックを受けただろうが、筆者も中国人として、テレビ中継を見ながら、恥かしさと深い憂慮を覚えた。一部のサポーターの行為とはいえ、中国人の強い「被害者意識」が攻撃性に変異する可能性を見せ付けられたのである。

 また、日本メディアが分析したように、今回の件では中国政府も対応に悩み、ジレンマを感じているようだ。2008年の北京五輪に向かって、「愛国教育」のあり方を反省し、国内で高まるナショナリズムに真剣に向き合うきっかけになることを願う。

 一方、民衆の反日感情を中国政府の「愛国教育」の結果として簡単に片付けてしまうと、一部の日本政治家にとっては好都合となる。「スポーツをもっと純粋な気持ちで楽しもう」。それは正論である。だが、中国民衆の心に宿るやり切れなさが、簡単にそうさせてくれない。

 アジアカップが終わった後には、靖国参拝の「季節」がやってくる……日本と中国は、意識のすれ違いと溝をどうやって埋められるだろうか。


はたして、民度が高いのはどっち。

石原氏の参考資料は・・・。続きを読む
posted by PPFV at 21:31| Comment(2) | TrackBack(2) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月07日

子どもにとって不安は時として大切な心の糧

先日書いた「護憲」か「改憲」かお迷いのあなたにという記事にサファイアさんからいただいたコメントに思いがけず「傷痍軍人さん」の話が出てきて、ふと私も小さい頃時々見かけたことを思い出しました。
そして「怖かったこと」「戦争を身近なものとして感じたこと」そして何より「気持ちがとても不安になったこと」を思い出しました。サファイアさんも「軍隊が、必要と言われると何故か その事を思い出すんですよねぇ。」とおっしゃっています。
はたして、その不安は子どもにとって避けるべきものなのでしょうか。

それと関連して『戦争のつくりかた』の私なりの理解という記事で、子どもに読ませる「不安」についてnopoさんとのコメントのやり取りがありました。この本の出版の趣旨(大人に向けたものか、子どもに向けたものか)は別として、「子どもに読ませた時の不安もある」とのコメントいただき、「多少その気持ちもわかります」という旨のコメントお返ししましたが、訂正します。

その本を読んだ時の「子どもが感じる不安」それは非常に大切なもの、また心の糧となるものと思います。

実は妻さんとも色々議論しました。またサファイアさんのコメントで私自身の子どもの頃の気持ちを思い出し、自身実感するところもありました。
そして遅ればせながらそういう結論に達しました。
妻さんは当初より「怖い恐ろしい気持ちや不安になる心を敢えて経験させることで実感することが大事」とブログでも明確に述べていました。
posted by PPFV at 20:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月04日

華氏911:小泉首相が不快感「見たいと思わない」

華氏911:小泉首相が不快感「見たいと思わない」(毎日新聞)

小泉純一郎首相は2日、ブッシュ米大統領に対する痛烈的内容で注目されているマイケル・ムーア監督の映画「華氏911」について「政治的に立場の偏った映画は、あまり見たいと思わない」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

偏ってますか?何をもって『偏っている』といわれてるのかわかりませんが、まあ、百歩譲って『偏っている』としても『恐ろしく偏ってるブッシュ政権』に比べればこれぐらいの『偏り』ではバランス取れるには程遠いです。小泉首相「あなたのこと」でもあります。
『偏っている』についてはC'est pas mal!さんのこちらの記事をご参考に。

「華氏911」は今月21日から、日本でも公開される。ムーア監督がブッシュ政権に同調する小泉首相をも批判していることを問われると、首相は「ブッシュ批判、小泉批判、批判ばっかりしても意味がないんじゃないの。批判よりも建設的な議論」と不快感をあらわにした。首相は、先月31日にドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ スペシャル・エディション」を鑑賞している。

「不快感をあらわにした」というからには、批判する意味十分にあると思われます。上機嫌にホイホイ妙なことやられてはたまりません。一体誰のための「建設的な議論」をするのでしょうか。批判することが我々にとってははるかに建設的なのです。
posted by PPFV at 00:17| Comment(4) | TrackBack(3) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月03日

「護憲」か「改憲」かお迷いのあなたに

「護憲」か「改憲」かどちらを支持すべきか迷っておられる方。
先日、『全くシンプルな判断基準』という記事で、そこに利権があるか否かという点に着目してはいかがという提案をいたしましたが、もうひとつありました。

「護憲派」「改憲派」色々意見はあるようだけど、詳しく見るのはめんどくさいし、ましてやどこまで本当なのか嘘なのか、判断付かないという方、非常にわかりやすいリトマス試験紙みたいな判断基準がありました。
それは、こういった「荒らし」と呼ばれる書き込みです。私が知る限り、決まって「強硬改憲派」ともいうべき方の書き込みが大半(というかすべて)。
本日、まとめて3つも書込みいただきました。(いちいち見るほどのものではありませんが)

http://ppfvblog.seesaa.net/article/399153.html#comment

(2004/8/5追記)あとの2つは別の方のHNを騙っており誤解を招くといけませんので削除いたしました。

すべて同じ内容のコピペです。ほかのブログの方にも同じくコピペされていました。さらには後ろ2つのコメントは、私も存じ上げている方のHNを騙ったまあ悪質なものですね。
「護憲派」の方でこういう行為に及ぶ方は、あまり聞いたことがありません。
『人種差別的』『攻めてくるぞ脅威論』『メルアドも何も明かさない小心者ぶり』と、某都知事と共通する傾向を多くの方が持たれています。
まあ、根っこは同じと思われてもしようがないですね。
こういうコメントが増えれば増えるほど、その(特に強硬改憲論者の)いかがわしさが良くわかるバロメーターではないかと思いますが、いかがでしょうか。
posted by PPFV at 00:02| Comment(4) | TrackBack(2) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする