教育改革と新自由主義 子どもの未来社 寺子屋新書 斎藤貴男 著
《引用》
底流にあるのは社会ダーウィニズムの思想
かつては官僚も政治家も、あるいは経営者も、支配する側というのは裏にある意図を押し隠し、建て前を堅持して理解を求め、改革なり新事業なりを進めようとしていました。だからこそジャーナリストや研究者はその背後のねらいを分析し、批判してきました。こんなきれいごとをいっているけれど、じつはこんなねらいがあるんだぞ、と。ところが、いまはなにもかもがあからさまです。
『空疎な小皇帝−−石原慎太郎という問題』(岩波書店)をまとめていたときに実感したのは、石原氏の言動に全然分析の余地がないということです。めちゃくちゃ差別的なことを、いえ、差別そのものを、まったく臆せず言ってのけています。
「(重度心身障害者に対し)ああいう人ってのは人格あるのかね」「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪をくり返している」など、石原氏のことばは誤解することのできないほど明瞭であり、しかも反発を受けても弁明するどころか開き直っています。
石原氏のような弱者に対する冷たいまなざし、差別感情がここ数年、新自由主義経済のもとで広い範囲にわたって浸透してきていることを感じます。
いまは石原氏の発言にみるように老人や障害者、外国人など社会的に非常に弱い層への攻撃が主ですが、いずれは社会全体へどんどん拡大していくでしょう。それが、早期に子どもを選別する複線化の思想や三タイプに分けた雇用形態を定着させる思想としてすでに出てきてきるのだといえます。
《引用終り》