2004年08月16日

真の平和主義なんだそうです

私の「護憲」か「改憲」かお迷いのあなたにという記事に対してトラックバックいただきました。

「真の『平和主義』とはなんだろうか」と題した記事、とても面白かったので私なりの感想(ツッコミも含む)を述べながらご紹介させていただきます。

>日本にはエセ平和主義者が多くいます。
>彼らは実のところ平和主義者ではありません。
>エセ平和主義者です。

あまり細かいことはいいたくないですが
(主旨)エセ平和主義者-->平和主義者ではない-->それはエセ平和主義者
あまり意味のある文章ではありません。二度手間。

>彼らは
>「憲法9条を守れば平和主義」
>とわめき散らします。
>アホと言うしかありません。

人の話あまりまともに聞いてませんね、皆さんわめいてませんよ。まったくもう。ま、いいや、もう少し先をお聞きしましょう。

>こういうアホがいるから、
>「無原則であっても自衛隊を海外に出せば一人前」
>あるいは
>「内容を問わず憲法9条を改正すれば一人前」
>という馬鹿が生まれました。
>アホが馬鹿を生む。馬鹿がアホを生む。最悪なスパイラルです。

「アホだ馬鹿だ」とあまり賢い方という印象は受けませんが、これほどの自信をもっておられるところを見ると余程すばらしい自説をお持ちのことと思います。期待を持ってお話伺うとしましょう。

>以下は小室直樹先生の「新戦争論」からの引用です。

で、いきなり引用ですか(--;;
左はアホ、右は馬鹿、バランスの取れた私は賢いとおっしゃりたいのでしょうが、引用しているそのセンセーはおもいっきり右だったりして。

>真の平和主義の意義がよくわかります。

この時点で期待度40%ほど削がれてますが、気を取り直して拝聴しましょう。

ここから引用の引用(小室センセーのお話〜と言っても音楽夜話じゃないです)---------------

>>真の平和を願う者のなすべきことは何か。
>>@まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。ポイントは二つある。
>>(T)戦争とは国際紛争解決の手段である。
>>(U)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り、戦争はなくならない。

ポイントとのことですが、この時点で認識が違いすぎます。
(I)戦争は多くの場合国際紛争解決の手段とはなり得ないと思っております。
直近のイラクの例を見ても状況は悪くなるばかり、泥沼化の様相を呈しています。ましてや査察団の意志を無視したアメリカの先制攻撃がその始まりとなっており、その先制攻撃の大義名分さえも既に大嘘だったことがバレております。国際紛争解決の手段どころか「戦争を起すことそのもの」が目的としか思えないものです。これはイラクに限ったことではありません。
(II)紛争解決は戦争を起そうとする「大義名分」を作り出す理由のよりどころに過ぎないと思っております。
「戦争を起すことに意味がある」それは何かに目を向けなければ戦争はなくなりません。臭いにおいは元から断たなきゃダメ。
私ならこの文章「戦争以上に合理的で実効的な権益収奪の手段を創造しない限り、戦争はなくならない」と表現します。

>>Aしかし、現在、そのような一段と次元の高い国際紛争解決の新メカニズムは、萌芽すら現れていない。
>>具体的な方向すらまだ発見されていない。国際社会は五里霧中である。

前提となるポイントが明らかにズレているので、何とも言いようがないのですが、しかし、ここで言われていることは、「萌芽すら現れていない」「方向すら発見されていない」「五里霧中である」と全く何もわかんない最悪の状況です。何一つ明確な話はありません。

>>だが、具体的な努力目標もないと言うことではない。
>>方向はわからなくとも、少なくとも準備作業の何たるかは明らかである。

ところが、具体的な努力目標はあるんだそうです。あれほど「何もわからないし、五里霧中」なのに、準備作業の何たるかは「明らか」って一体どういう思考回路なんでしょうか。天才が考えることは常人(いや凡人)にはわかりません。

>>それは、
>>(T)長期的には、国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続けることである。

意味不明。「複雑きわまる組織的努力」って一体何でしょか。

>>その一環をして戦争に関する法の開発がある。しかし具体的な方向が定まらないので、当面はやみくもの努力以外にやりようがない。要するに試行錯誤の段階である。

あ、「戦争法」を作れということですか。しかし、ここでも「具体的な方向が定まらない」ので「当面はやみくも!の努力以外にやりようがない」と無責任極まりない暴言としか思えません。論理もへったくれもありません。試行錯誤で戦争法作られては堪りません。

>>(U)短期的には、これを平行して、現行の国際法の枠内で、できる限り具体的に戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。ただし、これを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。

戦争の勃発を減少させる努力を続ける・・・聞こえはいいですが、戦争を必要悪としてこれからも営々と続けて行きたい(自分たちと関係のないところで)と聞こえてしまいます。「戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない」というのはその念押しですか。
端的にいって戦争勃発を減少させる努力は「アメリカに対して戦争回避への提案を行うこと、反戦の世論を高めること」が現段階では最も有効だと思っております。

>>B前項のような努力を続けてゆく過程で、ひょっとしたら、戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決のメカニズムについて、おぼろげながらヒントが得られるかもしれない。これは祈りにも似た悲願である。

「おぼろげながらヒントが得られるかもしれない」と、とてつもなく楽観的かと思えば、「祈りにも似た悲願」と、神にもすがる悲観論、一体何なんですか

>>Cその間、現実の戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。
>>このことは、平和への努力、平和への祈りと矛盾することではない。
>>むしろ、そうしないことが、結果として平和主義と矛盾するのである。

戦争に代わる紛争解決の実効的手段を提示できない限り、エセ平和主義・・・というわけですね。
「代替案示せなければ批判はするな」と同じ論法です。
しかし、何度も言いますがスタートの論点違うので、この指摘はまったくの言いがかりとしか言いようがありません。

>>以上が真の平和主義の核心である。
>>まことに、新しい制度の創造には、それに相応した基礎的な法秩序の成熟が前提となる。
>>それを達成するまでは、これと平行して現実的に対応することが不可欠である。
>>それが、文明の鉄則である。

そもそも、最初のポイントといわれる部分の認識が違いすぎますので、アレなんですが、百歩譲って認識が同じと仮定して考えても、その後の話は全くもって具体性、論理性に欠き、抽象論、楽観論、悲観論に終始(わけがわかりません)しております。
あなたが言われるところのエセ平和主義といわれる方々は、少なくともここで論じられているより遥かに具体的な形で平和に向けての活動をされていますよ。

引用の引用終わり----------------------------------------------------------

>まさに至言である。
>アホと馬鹿は、この小室先生の文章を百万回熟読するべきである。

小室氏の著作は読んだことありませんので、この引用文の真意は不明ですが、この部分を読む限り、まさにタワゴトです。
ご心酔なさるのは勝手ですが、現政府が聞いたら泣いて喜ぶような話を、百万回も熟読すべき・・・なんて勘弁してください。
ま、お偉いセンセーなんで、しがないサラリーマンがとやかく言うのは憚られますが、私はこんな無責任な文章はこのブログでも書きません。

最初の問いに戻りましょう。
真の平和を願う者のなすべきことは何か。
>まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。
いいえ、平和とは何かをもう一度問い直すことでしょう。一体どんな、そして誰のための平和か。
posted by PPFV at 17:34| Comment(32) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする