で、昨日の記事「マイケル・ムーア氏インタビュー」に対してトラックバックいただきました。
否定的な意見のトラックバックも基本的に拒みませんが、内容的に気になることが書かれていた場合はこんな感じで記事にさせていただくことがありますので、宜しくお願いします。
「華氏911にObjection」と題する記事。
その中にこんな一文があります。
>私がこの映画を見ない理由も含め、一番の批判的理由は、政治的ドキュメンタリーという映画ジャンルにある。
ええ、確かに政治的メッセージを多く含んだドキュメンタリーだと思います。でも、なんでそれが批判的になる理由になるのかなあ。
>政治とは正確に報道されなくてはならない。
正確な報道とは何でしょうか。
・小泉首相が夏休みをとった。
・小泉首相が(誰だか知らないけど)有名人と一所懸命握手会をした・・・たしかやってましたよね。
・小泉首相が鼻くそをほじった(たぶんするでしょう)・・・もしそれを見た記者が記事にすると仮定しての話ですがね。
それぞれ皆、間違いなく「正確」な報道です。
ありもしないことを報道すればそれは捏造です。
ただ、あった事実を「報道しない」ことは捏造ではありませんし、批判されることはあっても法的に責任問われることはありません。
しかし、物事の本質でない報道をくり返すことで、その本質を隠す、すなわち捏造に近いことは可能です。
>もちろん戦争やそのほか社会性のあるものすべてに言えることだ。
上記の例に当てはめて考えて見てください。戦争にしろ何にしろ、特にマスメディアではこれに近い報道、ニュースが垂れ流されています。
>その上で見る人が「正しいのか・間違っているのか」を判断するべきだと考えている。
情報がくまなく伝えられれば、それも可能かと思います。しかし、先に述べたように「報道されない」ことが山ほどあります。「報道されないこと」は「正しいのか・間違っているのか」など判断できません。何しろ「知らされない」のですから。
>俗に言う"マスメディアリテラシー"というヤツである。
そんな難しい話はわかりません。
>そういった考えを持つ私にとっては、この「華氏911」はお金を払ってまで見るに値しない映画ということになる。
報道のあり方について一過言お持ちの方と思いますし、後段の文章からは現状の報道の抱える問題点を把握されているようにも思えるのですが、なぜかこういう結論に至っておられます。
政治的に何にしろ、この映画が評価できる一面は「報道されないこと」が多く盛り込まれていることにあると思っています。「正しいのか・間違っているのか」判断するための材料でもあります。際限なく垂れ流される一面的な報道を散々見せられて、それに抗する「事実の暴露」が政治的と糾弾される所以はありません。
マイケル・ムーア氏のコメント
「新聞やテレビが、それこそさんざん行ってきた戦争プロパガンダの解毒剤でもある」
私は是非見に行きたいと思っています。
もしかすると「この国の数年後」を描いてくれる未来予想映画かもしれないのですから。