「就職口の一つだという感覚だった」。自衛隊に息子がいる父親の口から出た言葉だ。危険業務はない。そう信じて就職した国家公務員なのに、海外の戦地に出向く事態になった。
広島市で十七日にあった集会では、戦場には絶対行かないと信じて息子に入隊を勧めた父親が訴えていた。「話が違う」と。当事者は自由に発言できる状況にないが、同様な思いを抱いている者は少なくないだろう。
イラクでは、完全武装の米兵でさえ連日、犠牲になっている。派遣されれば、だれも生命の保証ができないという現実は、復興支援というベールでは覆い隠せない。「自分の子どもだけでも戦地に派遣されてほしくない」は親の本音だ。
自衛隊は、文民統制(シビリアンコントロール)により軍隊としての暴走が防止される、といわれてきた。が、現在に至るまでの動きは、ブッシュ米大統領との協調路線をひた走る小泉首相が、軍事的貢献を急いだとしか見えない。
懸念されるのは、実際の危険から遠い位置にいる文民首相らの暴走。派遣隊員が犠牲になった場合、「国際社会の一員」として軍事貢献を叫ぶ文民は、殺される前に殺せる装備、軍隊として行動できる仕組みを求めてくるだろう。
イラク派兵は、タカ派宰相と自衛隊の本質を明確にした。「殺されるな、殺すな」。父親の叫びは派兵の本質を突く。それでも若者は「兵士」になるのか。親は子どもを兵士にするのか。(武富和彦)