2004年09月17日

2001/9/12付NYタイムズ社説に見るアメリカの良心

Aquarian's Memorandumというブログに
「3年前,9/11翌日のNYT社説を読み直す」という記事を見つけました。

通称「同時多発テロ」翌日のニューヨークタイムズ社説を自ら訳されたものと思いますが、このような文章があったこと初めて知りました。驚きとともに非常に印象に残りましたので、後半部分引用させていただきます。

「ニュース解説者は、テロリストたちがどれほどの規模でこの計画を練っていたかを論じている。しかしそれ以上に大事なのは、これを実行するのに必要だった憎しみの深さを考えてみることである。その憎しみは通常の戦闘行為を超えているし、限度がなく、またいかなる交渉も成り立ち得ない。そんなにひどい憎しみの感情は、かえってテロリストたちの行為を誤らせ、不安定で非効率なものとし、成功しないだろうと仮想していた。しかしそれは歴史の分岐点の向こう側にわれわれがいた時期のことだった。」

「われわれは闘うべき相手国のない戦闘行為で被害を受けた。世界貿易センターの崩壊を伝えた同じテレビ画面上で、テロリストたちと思われるものたちが住んでいたところの人々の姿を映しだしている。彼らは普通の人たちで、彼らの生命は、私たちが失ったのと同じようにかけがえのないものだ。そのことで、とても重い気持ちにとらわれる。世界は慰めを必要としている。

事件直後の茫然自失そして混乱の中で、自らに向けられた「憎しみの深さ」に思いをめぐらすことが大事と述べ、さらには実行犯を輩出したと思われる(当時は思われていたというべきか)国の人々の喜々とする姿を見てもなお「彼らは普通の人たちで、彼らの生命は、私たちが失ったのと同じようにかけがえのないものだ。」と述べています。まことに思慮深い冷静な思考だと思います。

普通、何か思いがけない状況に遭遇すると、当初は感情的になり冷静な判断を失ったり、あるいは憎悪の思いで気持ちをいっぱいにすることもあるでしょう。しかし、時間が経つにつれ冷静さを取り戻し自分の気持ちを整理しながら状況を見つめなおそうとします。またその過程で相手のことをより理解しようと考えたり、その気持ちを汲み取る努力をしたりもするでしょう。

「怒り」から時間とともに「冷静・思慮」を取り戻す・・・一般的に見られる気持ちの推移です。ところが、状況はまったく逆でした。

その後のアメリカ政府の対応は周知のとおりで、「先制攻撃」さえも是とする「対テロ戦争」を強硬に推し進め、自国民も含め世界で多くの犠牲を生み出す結果となっています。そのアメリカに右へ倣えかのようにロシアにおけるチェチェン紛争への対応にもどこか共通性を感じます。またその「強硬姿勢」は世界に波及し、この日本も例外ではありません。

当初見られた「思慮深い冷静な思考」が失われたのは何故でしょうか。ニューヨークタイムズ社説の論調は「特異」だったのでしょうか。仮に「特異」だったとしてもそののち坂道を転がるように、かの国の命など一顧だにしない「対テロ戦争」一辺倒の論調に変わっていったのは何故でしょうか。

Aquarian's Memorandumさんは「この(社説の)考え方の延長線上で、アメリカの対応がとられていたら、世の中はまったく違ったものになっていたであろう。」と述べられていますが、全く同感です。

その後の色々な情報で「9.11そのものが欺瞞である」という話が信憑性を帯びてきました。もしそうだとすると、この社説は、事件直後という時間的制約の中で情報をコントロールすることがかなわなかった(間に合わなかった)がために、(アメリカ政府の意に反して)図らずも表明されてしまった「アメリカの良心」だったのではないかとも思えてくるのです。
posted by PPFV at 20:21| Comment(6) | TrackBack(2) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする