どこまで殺せば気が済むのか ◆◇
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http://www.amaki.info/日曜日(30日)の夕暮れどき、東京へ向かう横浜駅の構内で、暇つぶしにニューズウィー
ク日本版(2月2日号)を買い求めて列車のなかでパラパラトと頁をめくった。最後のほうに
さしかかったところで手が止まった。目が釘付けになったのだ。暗闇のなかで明かりに浮か
んだ幼い女の子がしゃがみ込んで泣いている。大きな口をあけて大声で(もちろんその声
は紙面からは聞こえてこないのだが)泣いている。あたりは血だらけで、その女の子の手や
顔は血にまみれている。隣には米軍兵と思われる男のブーツが映っている。
「突然の悪夢」と題された短い写真説明にはこう書いてある。
1月18日、イラク北部のタルアファル。パトロール中の米兵の銃撃を受けて父親と母親
が殺され、泣き叫ぶ少女。
その記事はこう書かれていた。
・・・国民議会選挙を前に緊迫度を増すイラク・・・夕暮れが近づいた時、1台の車が走っ
てきた。米兵はいつものように車内を調べるために手振りで車を停止させようとした。車が
止まらなかったため、米兵は威嚇射撃をした。車はそれでも止まらなかった。数秒後、米兵
が車に銃弾を浴びせかけた。車はそのまま交差点に突っ込んだ後、ようやく止まった。米
兵が近づくと、車内からは子供の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。後部座席に5人の子供が乗
っており、運転していた父親と、助手席にいた母親は息絶えていた。車から連れ出された少
女は「なぜ私たちを撃ったの?武器は持っていないのに!ただ家に帰る途中だったの
に!」と泣き叫んだ・・・。
私はもう一度写真を見つめた。少女の血まみれになった泣き顔を凝視した。涙がとどめな
く流れてきた。人目をはばからず泣いた。なぜこんなことが許されるのか。イラクの国民議
会選挙を成功させる事がこの子の涙より重要とでもいうのか。
学生の頃、ドフトエフスキーの「罪と罰」を読んで感動した場面を思い出した。主人公のラ
スコリニコフが「幼い子の頬の涙を防ぐ事ができないなら、神なんて存在しない」と叫ぶ場
面だ。
ブッシュのイラク占領を憎む気持ちを今ほど強く感じたことは無い。この写真をブッシュの
娘に見せてやりたい。二期目の大統領就任式の前夜、数名のボディーガードを引き連れて
一晩で40万円も使って飲み明かし、就任式に大あくびをしていたブッシュの娘に、一瞬にし
て両親を奪われ、一人ぼっちで残された幼い命の悲しさと悔しさを見せてやりたいのだ。