反米嫌日戦線 LIVE and LET DIE(三流偏向不公正独断蝦夷自分趣味)
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/こちらのブログ、多くは共感を持っていつも拝見しています。
宝島『同和利権の真相』は日本共産党ライターの仕掛けや
http://ch.kitaguni.tv/u/5028/%a4%aa%be%d0%a4%a4%c6%fc%cb%dc%b6%a6%bb%ba%c5%de/0000182741.htmlでも2/12付のこの記事に関してはちょっと同意しかねるところもあって、取り急ぎ
「同和問題に関する記事をいくつか拾ってみた」りもしたのです。
すると「反米嫌日戦線」さんの該当記事にどなたか知らぬがこんなコメントが・・・・
ゲスト
代々木プロ奴隷が必死です。
http://milou.seesaa.net/ http://ppfvblog.seesaa.net/ 投稿者: ゲスト at 2005 年 02 月 18 日 01:29:36
(^^;;; プロ奴隷になってしまいました。
まあ、納得できる記事が多いので「しんぶん赤旗」をよく引用しますし、えっと「日曜版」は取ってます。とはいえ新聞は随分前に朝日に愛想尽かし今は「毎日」。いよいよ「毎日」もヘタれてきたので「赤旗」に変えようかなあとも思いますが。
主張には共感します。が代々木プロ奴隷必死!といわれるほど気合は入っていません。
旗旗さんのエントリー
『自分の政治的位置を知る(1)』の考え方ををお借りすれば、「3」でありたいなとは思っていますが。
余談でした。
共産党批判ももちろん当然あって良いでしょう。
しかし、その批判の素として取り上げられている件に関していささか疑問を感じた次第です。
この本のライターの中心となっておる寺園敦史という男とは、私もぶつかったことがあります。寺園は、京都市役所の労働組合のなかに事務局がある『ねっとわーく京都』という、共産党系の『京都民報』のダイジェスト版みたいなのを出しとるところにおったんやけど、私が『突破者』を出した直後に、その雑誌に「京に蠢く懲りない面々」ゆうことで書かれた。俺はなんもうごめいておらんよ、ゆうことで、公開論争やろうと申し入れたんやけど、逃げまわりよった。こいつが中心となって、共産党機関紙『赤旗』や『京都民報』に書いたことを仕立て直してつくったのが『同和利権の真相』ですわ。
この本読むと、やたらに「正義の味方」面してるでしょ。この種の暴露本出すんやったら、そういう能書きはやめろや、と言いたいですね。シノギでやってるやつが、そんな偉そなことぬかすな、いうことですわ。
こういう物言いに嫌悪感を抱いてしまうのは私の感情的なところもたぶんにあるのでそれはさておき、この件に関して、当の寺園敦史氏のブログに興味深い記事があります。
寺園敦史氏ウェブログ〜マリードフットノート
http://almarid.blogzine.jp/いよいよ「直接対決」!?──〈同和利権の真相の深層〉人違い訴訟
http://almarid.blogzine.jp/footnotes/2004/11/post_3.html寺園氏が、『京に蠢く懲りない面々』(かもがわ出版)に書いたのは、会津小鉄の高山登久太郎氏に関してのことらしい。宮崎氏はそれを自分が言われたことだと主張しているのですね。
あるいは、寺園氏と全解連との関係が垣間見える記事。手先と一蹴して良いものなのか・・・。
全解連への「気遣い」
http://almarid.blogzine.jp/footnotes/2004/05/post_13.html《一部引用》
部落解放運動の対立があまりにも激しかったこともあり、部落問題について何か発言する場合、「個人の立場」というのは、なかなか認められてこなかった現実があると思います(今も継続している)。本人の意思にかかわらず、何か発言すると「解同系」「全解連/共産党系」と色分けされてしまいがちです。いったん色分けされてしまうと、その立場で発言することが求められ、「自陣営」の批判は、利敵行為として、統一戦線を破壊する行為として、途端に批判にさらされることになります。
というより、発言者自ら、他人から求められるまでもなく、どちらかの運動を背負ったかのような発言をしてしまうというケースのほうが多かったかもしれませんね。
わたしが全解連について批判すると、「おまえどういう立場なんや」という批判に毎度のように遭ったものです(最近はもうあきらめられた感じ)。しかし、広原さん流にいえば、そういう「気遣い」こそが、行政の不正常を側面から支えてきたのではないのか、というのが、わたしの年来の主張です。
また、その記事の中で紹介されている
広原盛明の「市民フォーラム」
http://www.hirohara.com/「脱同和利権」を掲げた市長選をたたかって 〜市連協結成30周年記念学習会講演要旨〜
http://www.hirohara.com/proposal/teian3.htm《一部引用》
民主市政の会(の幹部)の中にも、同和利権は別にしても、同和行政は一部の問題(奨学金など)を除いて「もう終わった」とする基本認識が濃厚だ。その背景には、部落解放運動とりわけ全解連に対する深い気遣いがある。「巨悪の同和利権問題ならともかく、個人レベルのちょっとした不正行為は(それも過去のことなら)いまさらとやかく言っても仕方がない。いや言うのは却ってまずい」といった気配すら感じられる。この問題をたった一人で追求してきたフリージャーナリストの寺園敦史氏のように、同和行政に絡まる改良住宅の家賃滞納問題、不正入居問題、個人給付不正受給問題、同和補助金詐取問題等に関して徹底的に組織及び個人責任を問い、それを隠蔽したり回避したりするような場合は、解同であれ全解連であれ責任追求の手を緩めないような厳しい態度は取りきれていないのである。
この講演要旨、長文ですが、とても参考になりました。
反米嫌日戦線さんのエントリー、考えるきっかけを作っていただきたという点では感謝しています。
また、解放出版社『「同和利権の真相」の深層』もぜひ読んでみたいと思います。私の信頼するジャーナリストの一人、斉藤貴男氏も寄稿しているとのこと。そんなことからもこの問題が非常に複雑化されていることが伺えます。