2005年05月13日

JR事故報道に見るこの国のマスコミ

リンチ化しつつあるJR事故報道 会見での記者の暴言に批判集まる(日刊ベリタ2005/5/10)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200505100405322

 事故の原因解明と再発を防ぐという目的での報道であれば、列車の運行上のささいなミスを犯した職員に対しても実施される「日勤教育」という名の非人間的な再教育の実態などをつぶさに暴き、「安全よりも定時運行優先」といった意識を植え付けた幹部と会社の硬直した管理体質に批判を向けるべきだ。この事故の原因はどうみても「運転士の怠慢」「不注意」といった範ちゅうのものではない。しかし、現状のマスメディアの論調が生む結果は「効率優先はそのままにしたさらなる管理強化」ではないか。 


問題の本質を的確に指摘されていると思います。マスコミ批判をするにはまずそれが必須です。一方、同じく市民メディアを標榜するこちらの記事はどうでしょう。
JR西日本事故で加熱しすぎるマスコミ(JANJAN)
http://www.janjan.jp/area/0505/0505106842/1.php

 特に私が疑問を感じるのは、なぜ労働組合の主張だけをそのまま流すのかということである。もちろん、私は労働組合の存在を否定するつもりはない。しかし、労働組合は労働者の主張を通すための『圧力団体』なのである。彼らは自分たちが利益を得るために、自分たちに有利な情報だけを流す可能性もある。


このような視点があるとは驚きました。少なくとも労働組合の主張が「まともに」伝えられているという認識は私にはありません。以前より安全に対する改善提言が再三労組よりなされていたことを考えれば経営側の責任は明白。仮に労組の主張がまともに伝えられていれば状況は少しは良い方向に動いているでしょう。さらに言えば、経営側には記者会見という主張できる場は何度も設けられています。この記事は次のように結ばれています。

 今回の事件は、もし組織に問題があったのだとすれば、上層部だけに問題があったのではない。現場の人も含めた会社全体に問題があったと考えるのが妥当である。それなのに労働者=虐げられる人々 幹部=虐げる人々 という安易な構図でマスコミが労働組合だけを持ち上げるのはいかがなものであろうか。マスコミには公正な目を持つように求めたいと思う。


会社全体に責任があったと考えるのが妥当・・・・とすれば今のマスコミの状況は(一見)そんな主張を背景に動いているようにも思えます。ボウリング大会批判しかり送別会批判しかり。公正という言葉のまやかしだと思います。問題の本質に焦点を合わせてこそ公正なマスコミといえるのではないでしょうか。
この記事はマスコミを批判しているように見えて、実のところ問題の本質から目を逸らさせようとする勢力に寄与しているという点において、大手マスコミと変わりません。むしろ市民メディアを名乗っているだけに悪質ともいえます。

さらに「労働組合は労働者の主張を通すための『圧力団体』なのである。」という言及にたいして。

JR西労組〜労働組合とは何か
http://www.jrw-union.gr.jp/rodokumiai.html

■労働組合の役割
  労働組合は会社と対等の関係において、会社側に私たちの労働条件の改善を求めていきますが、あくまでも、「交渉する力」において対等という意味で、経営者を攻撃することが目的ではありません。経営者攻撃ばかりして生産活動に支障をきたすようでは、会社の存立まで危なくなってしまいます。また、反対に労働組合が経営者に対して発言を遠慮するようでは健全な経営とはいえないでしょう。つまり「対立と協力」というキーワードで労使関係をみることが大切です。JR西労組はこの「対立と協力」を運動の基本に置いています。また、会社は私たちにとって生活の基盤となるものですから、その経営について労働組合が発言し、働く者の権利を守っていくのは当然の権利であり、義務です。「経営参加」によって経営のチェックをし、無責任な経営に歯止めをかけるのも労働組合の役割のひとつです。


労働条件の悪化は、労働者に対し犠牲を強要するにとどまりません。今回の例で言えば安全運行水準の引き下げ(安全は二の次だった)、また医療現場で言えば医療水準の引き下げ、看護水準の引き下げ、ひいては医療ミスへと繋がる可能性は十分にあります。製造業における労働災害、工場災害の多発などもそのことが顕著に現れている側面でしょう。
労働組合について、労働者の権利主張の側面だけを見るのはあまりに一面的です。サービスを受ける患者あるいは乗客、工場周辺に住む地域住民等々、そういった人たちにたいするサービスの切り下げ、最悪の場合「命」と直接結びつくものであることを押さえなくてはなりません。残念ながら今回の事故はまさにそんな典型的な事例となってしまいました。
posted by PPFV at 14:22 | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[東京新聞核心]『主文に関係ない判断は違法』 現役判事が批判本

『主文に関係ない判断は違法』 現役判事が批判本(東京新聞 核心2005/5/13)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20050513/mng_____kakushin000.shtml

靖国参拝訴訟の福岡地裁判決に象徴されるような、残存する抵抗勢力の理論的誤りはもはや明白です。


この最後の一文はなかなか聞き捨てなりませんね。
東京新聞が改めてこのような記事をおこした真意ははかりかねますが、当判事の主張とともに非常に違和感の残るものです。

人権政策委員会 書評 井上薫『司法のしゃべりすぎ』
http://www.geocities.jp/humanrightspolicy/book/007.html

結局のところ、著者は、いわゆる人権裁判、憲法裁判を、数量的な分析抜きに適当につまみ食いして紹介して、問題視しているのであって、本書は、裁判において、人権問題、憲法問題に論が及ぶことを最大限に回避して、結論に達する必要最小限の裁判にとどめよという、極端な司法消極主義を、開陳しているに過ぎない。人権裁判、憲法裁判の担当者に、無難な判決を書けというプレッシャーを加える理屈に使われるだけのような気もする。


本当は、こういう裁判官が一人いたからといって、日本中の裁判官をこうした考え方の持ち主と決め付けるのはおかしいと思う。だから、本書は、一裁判官の独断と偏見と紹介しておこう。書評は、私も「蛇足」かな、と思わないでもない。だが、社会は、本書を、現職の裁判官が書いたということだけで注目し、内容である独断と偏見も、裁判官であるという理由でもっともらしく響くであろう。裁判官の憲法解釈がこれほど低レベルであるとは思っていないであろうから。したがって、私としては、多少の毒消しをしておきたいということである。

posted by PPFV at 13:10 | TrackBack(3) | ニュース拾読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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