2005年06月24日

無防備地域を実践し島民の命を守った沖縄前島

6月23日ニュース23、沖縄慰霊の日特集で取り上げられていた話題。

平和な街・藤沢を市民の手で 平和無防備条例ニュースNO.65(2005/4/6)
http://muboubi-net.com/blog/fujisawa/archives/2005/04/post_59.html

[wsfj 879] 前島と無防備地域
http://www.jca.apc.org/wsf_support/messages/879.html
《一部引用》

1945年3月慶良間諸島のうち渡嘉敷村前島に、日本軍の駐屯を止めさせ、撤退させた国民学校分校長比嘉儀清という人がいました。彼は「上海事変」の経験から、兵がいなければ相手方の兵は加害しないと考えていたので、日本軍の駐屯をやめさせるために決死の説得をし、その「熱意」に日本軍は撤退したというのです。その結果、上陸した米軍も日本軍がいないことがわかると、砲撃もしないし捕虜もとらないと放送して引き揚げ、270名の島民は全て無事だったそうです。渡嘉敷村の日本軍海上特攻部隊のいた他の島々では、米軍は砲爆撃を加え上陸し、その結果島民は集団自決にまで追いこまれたというのです。米軍の攻撃を受けずに生き延びられたという前島の事実は、最近明らかになったというのです。生き延びられたことが、かえってタブーのようになっていたからだと。

posted by PPFV at 01:38| Comment(3) | TrackBack(2) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする