2006年03月31日

「沖縄の痛みを分かち合おう」という声の高まりに対する沖縄の懸念

高校教科書検定・実態を教えるのが大事だ(琉球新報社説2006/3/31)
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html

 重い基地負担を記述することで、沖縄の長年にわたる痛みを知らしめることには一定の評価をしたい。基地負担と現在進められている米軍再編の動きを考えさせるきっかけになるからだ。
 ただ、懸念がないわけではない。基地負担の重さを強調することで、負担を全国で分かちあう意識を植え付け、そのことによって米軍再編をスムーズに進めようという政府の意図が見え隠れしているからだ。米軍基地の存在を容認する意識づくりに結び付かないだろうかとの懸念だ。教師は注意深く教える必要がある。



[教科書と沖縄基地]国会論議こそ不可欠だ(沖縄タイムス社説2006/3/31)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060331.html#no_1

結果として、本土各地に「沖縄の痛み」が多少なりとも伝わり、基地問題を自分たちの問題として考えるムードが生まれつつある。
 政府は、このムードを利用し、さらに沖縄の基地問題を教科書に載せることで「痛みを分かち合おう」という意識を全国的に高める―そんな狙いが見え隠れする。


確かに何かと姑息な検定が行われている教科書のこと。従来ならば対米関係上非常にデリケートな問題である沖縄基地問題です。すんなりと教科書に載せられることに対して懸念を示すのも当然でしょう。沖縄地元紙は二誌とも同じ懸念を表明しています。私も同感です。
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2006年03月30日

ビル・トッテン氏の主張は明解で好きだなあ

少し以前の記事ですが、今年1月に行われた株式会社アシストの『新春の集い ビル・トッテンの講演』
アシスト社のメールでもお知らせがあった、この講演にはぜひとも行きたいと思っていたのですが時間がとれず叶いませんでした。

No.716 新春の集い ビル・トッテンの講演
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1181220_629.html

その際の質疑応答の中に興味深い一節がありました。

No.717 「新春の集い」でいただいたご質問とトッテンの回答(1)
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1181269_629.html

「新春の集い」でいただいたご質問とトッテンの回答(1)

<Q1-1>いつも日本の問題を指摘していただき感謝しております。どうすればトッテンさんがいわれるような解決策を日本政府に導入させられることができるのか(税制について、地価税の導入、民間銀行ではなく政府が貨幣を印刷するなど)知りたいと思います。どのようにお考えですか。投票は確かに一つの方法ではありますが、トッテンさんの言われるような主張をしている政党はありません。

<Q1-2>日本の課題を解決するためには何が必要でしょうか?

トッテン:たしかに私が述べたような解決策(地価税をとる、民間銀行にお金を作らせない)のような具体的なことを政策として掲げている党はないかもしれません。これらが導入されることは、既得権益を得ている人々がそれを失うことにつながるために日本や世界で一般的な主流とされている経済理論の中でもほとんど無視されている考え方だからです。しかし、誰がこれらの新しい政策に反対しているか我々は知っています。そして一部の人だけが得をするような政策を、誰がとっているのかも知っています。それは与党自民党政府です。ですから国民がすべきこととして、私個人の考えを申し上げるならば、一つの解決策は日本共産党や社会民主党を強力な野党の地位に上げることです。私の知る範囲の中で自民党と正反対の政策を掲げている野党はこの二政党です。この野党を強くして与党に圧力をかけられるくらいの力を持たせることが第一歩だと思います。保守派の方々は現政権とかけ離れたこれらの政党を支持することは好まれないかもしれません。むしろ嫌っているかもしれません。しかし、まずは日本社会の格差を広げ、一部の既得権益者のみが潤うような政策をとっている現与党政党を負けさせることしか、一歩は進まないと私は思います。

身近な例でいうと、顧客対応の悪いお店や会社にそのやり方を改めさせようとしてもそれはとても難しいか、まず不可能だと思います。あなたにできることはそういう相手とは取引をしない、そういう店を利用しない、ということしかありません。多くの国民がそれに気づいて、たとえ好きでなくても共産党や社民党に投票するようになれば、現与党を落選させるか、または改心させるかのどちらかしかないと私は思っています。



まさにその通りだと思いますね。気持ちいいくらい明解です。『たとえ好きでなくても』(笑)現状を変える第一歩を踏み出す具体的提言だと思います。評論家でさえこうもはっきりとは言わないような気がしますが、驚くことに彼は経営者です。
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2006年03月29日

[JCJふらっしゅ]地方紙が示す「劇場型報道」からの脱出方向

[JCJふらっしゅ]2006/3/29 1024号
http://blog.mag2.com/m/log/0000102032/107108364?page=1#107108364

興味深い記事でしたので、転載します。
このところの大メディアの報道ぶりを見ていると、「大メディアの劇場報道」が果たして「意図せず」の結果なのかははなはだ疑問ですが、地方紙の動向により見るべきものがあるとの見解には同感です。

地方紙が示す「劇場型報道」からの脱出方向

桂 敬一

 大メディアは、「小泉劇場」に乗せられた苦い思いをしたはずなのに、その後も懲りずにほかの話題でも劇場型報道競争を繰り返し、きちんと報じたり、論じたりすべきニュースや問題から、読者・視聴者の目をそらす結果に終わっている。これでは「劇場」を設えたものの思惑に乗せられ、流されていくだけではないか。

「ライブドア・堀江社長逮捕劇場」、「紀子様ご懐妊劇場」、「永田議員にせメール劇場」などなど、「劇場」はあとからあとからつづく。「にせメール」の目くらましのなか、ろくな審議もないまま予算案が可決されたが、大メディアは実に身軽につぎの「ポスト小泉劇場」報道に突き進む。

 だが、このような傾向に対して、なんでそのことを報じるのか、そのことについてはなにが本質的な問題なのかを、独自の視点から明確に読者に示す報道・論評が最近出現した事実に注目したい。

 3月12日、岩国市で米軍基地問題について住民投票が実施されたが、その結果を、地元で基地問題を抱えた地方紙が報じた動きだ。もちろんイエスかノーかの結果が出る争点型のニュースだから、報道面ではどの新聞もその結果を大きく扱った。

 だが、これらの地方紙は、全国紙が国レベルの日米同盟の視点からしか投票結果の意味を考えないのに対して、住民・市民の平和と安全を考える視点から日米同盟も相対化、国の強行策は市民の平和と安全の希求に背馳する関係を浮き彫りにしたのだ。

 在日米軍基地再編問題も、9条改憲・自衛軍設置も、国民投票法も、劇場型報道でやられてはたまったものではない。そのような流れに身を任せないジャーナリズムの姿勢の在り方を、これら地方紙が示しているように思える。


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2006年03月28日

「普通の人間」の「普通の感覚」としての君が代強制反対

『君が代』反対元教諭は
『強制の怖さ気付いて』(東京新聞特報2006/3/25)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060325/mng_____tokuho__000.shtml

 「君が代」と言ったり「国歌」と言ったりする藤田さんは、どうやら“組合の闘士”ではなかったらしい。「校長と交渉するためには組合は必要。でも、組合幹部は好きじゃない」と笑う。「君が代の“君”が“あなた”だというのなら、私はいいと思う。卒業式で起立しなかった生徒たちも、サッカー応援では、ほっぺたに日の丸を書いている。君が代も歌いたければ歌えばいいし、歌いたくない人に強制すべきでもない」


とかく「左翼」だとか「左翼的」だとか「日教組のしわざ」だとか根拠のない中傷でこういった問題に「片を付けたがる」向きにはありがたくない話しでしょうが、もはや普通の人間(政治やイデオロギーなどにぜんぜん興味のない人間にとっても)にとっても、この強制は異常なものでしかありません。またそういった強制に抵抗する姿勢が共感を集めつつあるという点においては、多少救われる思いがします。
よく「左翼」にカテゴライズされる当ブログ、もちろんそのこと自体悲しくはありませんが、かといって嬉しくもありません・・・何なんだ左翼って、そんなこと知ったこっちゃない(笑)、共感できるものを支持するだけのことです。
ごくありふれた生活者としての発信(素朴な疑問、率直な憤り)が重要と認識した次第です。
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2006年03月11日

喧嘩両成敗?そりゃ違うでしょう。

日中関係 これでは子供のけんかだ(朝日新聞社説2006/3/11)
http://www.asahi.com/paper/editorial20060311.html

 なんと不毛な応酬だろうか。こんな子供のけんかのようなことが続くのでは、外交と呼ぶにはほど遠い。両政府とも早く頭を冷やして、大人の対応を取り戻してもらいたい。


せっかくまともなことを書かれているとおもいきや、こんな結びでまとめられては台無しではありませんか。『日本外交の基本政策をもてあそぶかのような外相の姿勢は著しく思慮に欠けたものだ。』などと批判しておきながら喧嘩両成敗?それは違うでしょう。
ガキな外交ごっこをしているのは誰か。批判すべきは誰か。
宣言している以上は、しっかりとジャーナリストしていただきたいものです。
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2006年03月10日

麻生のボケをひっこめろ

麻生外相:台湾を「国家」「国」とまた明言 参院予算委(毎日新聞2006/3/9)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060310k0000m010052000c.html

麻生外相発言:中国外務省「粗暴で内政干渉の行為」と反発(毎日新聞2006/3/9)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060310k0000m030122000c.html

え〜、いささか感情的な発言ではありますが・・・「麻生のボケをひっこめろ!」

追記:今までも数々の「珠玉の妄言、たわごと」ございましたが、今後とも期待できそうなので新たに『妄言たわごと集』なるカテゴリーを新設いたしました。
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2006年03月09日

[しんぶん赤旗]民主議員が「ガセネタ」もとに 思想差別まで要求

民主議員が「ガセネタ」もとに 思想差別まで要求(しんぶん赤旗2006/3/9)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-09/2006030902_04_0.html

 要するに、山根氏は“共産党だから問題だ”という時代遅れの思想差別を、「ガセネタ」を使って、国会の場で公然と要求したのです。


見過ごしそうな記事ですが、これもひどい「ガセネタ」です。「ガセネタ」でなくても思想差別は明らかで、2重にひどいといえます。
こういう発言がさして問題にならないところもこの国のレベルでしょうか。
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2006年03月06日

「万人受け」を高らかに宣言してしまったモノづくり責任者:ホンダゼスト

【ホンダ ゼスト 発表】デザイナーはつらかったかも(Response2006/3/2)
http://response.jp/issue/2006/0302/article79889_1.html

紹介記事は時間がたつとユーザIDとパスワード(無料会員)の入力を求められるようなので、全文引用します。

ホンダの新型軽自動車『ゼスト』のデザインのベースとなっているのは、04年東京モーターショーに出品したコンセプトカー『PV』だが、一方でディテールを見ると、他メーカーのライバルモデルのデザインを連想させる部分も少なくない。

たとえばフロントマスクのヘッドランプまわりはダイハツの旧型『ムーヴ』や同『MAX』に似ている。Aピラーのデザイン処理はスズキ『ワゴンR』、ウインドウグラフィックはスバル『プレオ』と言った具合だ。これはゼストを見た多くのユーザーが感じることだろう。ホンダとしてはちょっと珍しい現象である。

開発を指揮した本田技術研究所の五十嵐則夫主任研究員は、「良くも悪くも、ホンダは独自性を売りにするメーカーというイメージがありますが、私はゼストを開発するにあたり、そんなに独自性を出すことにこだわらなかった。狙ったのは“万人受け”です」と言い切る。

「デザインについても、他社のモデルにわざと似せたということはありませんが、他社に似せないようにするという意識もありませんでした。こだわったのは、どういうデザインがユーザーに受けるかということ」

「フロントマスクも最初はもっと違うデザインだったのですが、男性ユーザー向けに『もっと威張った雰囲気の、精悍で恐そうな顔つきにしてくれ』とデザイナーに要望しました。デザイナーにとっては辛いこともあったでしょう」(五十嵐氏)

軽自動車としては異例なほど分厚く、骨格のしっかりしたシート、内外装の質感の高さ、シャーシ性能の高さなど、ハードウェアの充実ぶりが際立っているゼスト。一方で、「特色を出し過ぎると“イヤ”と思われる部分が出てくる。それは避けた」(五十嵐氏)といった、アクを取り除くモノづくりは、従来のホンダの路線とはかなり異なる。

このゼスト、軽自動車販売のてこ入れのための一発技なのか、ホンダのクルマ作りの転換を象徴するモデルなのか、ユーザーにとっても興味の湧くところだろう。


今回は久々にクルマ(デザイン)ネタなのですが、記事中非常に気になる(あるいは気に障る)コメントなどありましたので、ご紹介しながら感想を書きます。
あくまで個人的な感想ですが、ホンダユーザーの方には不愉快な話もあるかもしれません。ご了承ください。

正直、最初に写真を見たときにはその「ベタ褒め」の記事とは裏腹に「あまりに陳腐なスタイリング」にがっかりしました。取り立てて目新しいスタイリングでもありません。かといって長く愛されるような普遍的なデザインかというとそういうこともなく率直に言えば数年目にすれば飽きてしまうという近代ホンダデザインの中でも特に出来の悪い方ではないかと思います。
個人的には最低限そのデザインが他車と似てしまってはいけないと思いますし、意図せずして似てしまった場合でも「似ない」ための努力は放棄すべきではないと考えます。
主任研究員氏は、「良くも悪くも、ホンダは独自性を売りにするメーカーというイメージがありますが、私はゼストを開発するにあたり、そんなに独自性を出すことにこだわらなかった。狙ったのは“万人受け”です」と宣言しておられます。
狙ったのは万人受け!と宣言されたことには多少の驚きと少しばかり怒りも感じます。
確かに必ずしも『良いもの』=『ビジネスとして成功するもの』ではないことは多くの事例が証明してしまっていますが、こう宣言されては『良いもの』を目指さない、『売れるが勝ち』ということを公然と宣言してしまっているようでちょっと悲しいですね。
自ら言われているように『良くも悪くも、ホンダは独自性を売りにする』メーカーです。私見を加えて辛口に言い換えさせていただければ、とっくに『ホンダは”万人受け”する独自性を売りにしてビジネスを成長させてきた、ある意味トヨタ的企業に成り下がっています』といったところでしょうか。
もはや『二流メーカーと蔑まされつつもハングリーで輝いていた本田技研』の姿はそこにはないのでしょうか。「万人受け」ではなく「皆に愛される」と語るべきでしょう。でなければモノづくりに対する姿勢が問われます。

男性ユーザー向け=『もっと威張った雰囲気の、精悍で恐そうな顔つきにしてくれ』


この単細胞的な発想にがっかりします。あるいは「万人受け」を狙っての要望ということであれば、なんと単細胞な集団と見くびられた「万人」でしょうか。私は大人の男性(つまりはおっさん)が違和感なく乗れる軽自動車の出現を何十年来望んでいる者ですが、残念ながら未だめぐり合っていません。あえて近い存在をあげれば『ダイハツコペン』ということになりましょうが、間違っても今回の『ホンダゼスト』にその資格はありません。

アクを取り除くモノづくりは、従来のホンダの路線とはかなり異なる。


いやこのスタイリングは悪い意味でホンダ的スタイリングの集大成とも思えます。
「アクを取り除くモノづくり」も決して成功しているとは思えません。
皆に受け入れられやすいスタイリングという点ではクリーンなラインと細かいディテールにも嫌味のない三菱ekワゴンのほうがはるかに優っていると思いますね。
http://www.mitsubishi-motors.co.jp/ek/

《参考》本田技研工業:ゼスト
http://www.honda.co.jp/ZEST/
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2006年03月04日

予算衆院通過と同時に決着?のメール問題

永田問題でかすむ『4点セット』 自民圧勝の郵政選挙もそうだった(東京新聞特報2006/3/3)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060303/mng_____tokuho__000.shtml

まあ納得の記事だけれども、事が運んでいるときは、何でこういつも本質でないところに目を向けてばかりで、結果大事ことを見過ごしてばかりなんだろう。

社説:開店休業国会 税金使って何をしている(毎日新聞社説2006/3/3)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060303ddm005070124000c.html

 来年度予算案が2日、衆院を通過した。政治のうえでは大きな節目だ。にもかかわらず、これほど注目されない予算通過は近年なかったのではなかろうか。無論、原因を作ったのはメール問題で自滅した民主党である。


当初より民主党などに期待するのは大間違いだと強く思っているけれども、今回の予算通過がすんなりはこんでしまったのは民主党のせいなどと言われては民主党もかわいそう。

予算衆院通過 早く本筋に戻さないと(東京新聞社説2006/3/3)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060303/col_____sha_____002.shtml

と、東京新聞もこのような主張だ。『早く本筋に戻す』のはもうちょっと早いほうがいいかもね。せめて予算通過前に。

何だかタイミングいい、マスコミはゲンキンだねえ・・・。

と思ってたら、普段『空気』を読むことに熱心な産経がマスコミのおおかたの流れ(笑)を無視し「メール問題」を蒸し返す以下の記事である。「おい空気読めよ」(苦笑)

メール問題 事実の解明こそがけじめ(産経新聞主張2006/3/4)
http://www.sankei.co.jp/news/060304/morning/editoria.htm
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2006年03月01日

新聞各社説は民主総攻撃〜批判できる「柄」ではないのである

新聞各紙社説においてはこぞってメール問題に絡み民主党批判の大合唱である。
私がチェックしている新聞社で取り上げていないところは沖縄タイムスだけという盛り上がり様だ。
「しんぶん赤旗」も社説ではないが
民主党「メール問題」 国民に真相を示す責任(しんぶん赤旗2006/3/1)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-01/2006030101_02b_0.html
として民主党の責任に言及する記事があるが、それ以前には
06年政治考 野党の追及あるべき姿は 民主メール問題(しんぶん赤旗2006/2/26)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-02-26/2006022601_02_0.html
として野党の追及のありかたとしての提言も行われていて、あるいはそれまでの報道姿勢を見てもこの「民主党批判」はまだ多少は理解できる。
さて、問題はその他新聞各紙である。率直に言って民主党を批判できる「柄」ではないのである。
情けないながらもまだ「謝罪」した民主党の方がまだマシなのである。というか今回の問題など「屁」でもないのである。

そう思う根拠は2年近く前の以下の記事にある。

マスメディア時評 間違いを間違いとなぜ言えない イラク侵略戦争1年(しんぶん赤旗2004/3/18)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-18/04_01.html

とりわけ問題なのは、「大量破壊兵器の脅威」というアメリカのイラク攻撃の口実に根拠がなかったことが明らかになるなかで、これらのメディアがとっている態度です。

 開戦後のイラクで大量破壊兵器の調査団長を務めたアメリカのケイCIA顧問の「大量破壊兵器はなかった」という議会証言は、開戦の根拠を決定的に突き崩すものとなりました。この証言に対し「読売」社説は「『増大する脅威』こそ大義だった」(二月十四日付)とごまかし、「産経」にいたっては「戦争の大義 正邪ではなく国益で語れ」(同二十三日付)と、「国益」まで持ち出して、戦争の大義を問うことさえ否定する論評を掲げたのです。

 「毎日」も、記者の署名入りコラムである「記者の目」で論説委員が「イラク戦争の大義 大量破壊兵器だけが問題か」(同十三日付)と、大量破壊兵器が発見されないから戦争の大義がなかったというのは「短絡的」だと非難しました。

 これらのメディアはなぜ、自ら攻撃を支持した根拠が根本から崩れつつあることに、正面から向き合おうとしないのか。自らの主張に責任を負うのは言論機関として最低限の責任です。開戦の際には盛んにイラクが大量破壊兵器廃棄の国連決議を守っていなかったと非難しておいて、その根拠が成り立たなくなると、今度はそれはたいした問題ではなかったといいだすのでは、真実の報道と公正な論評の名に値しません。

 「産経」のように、戦争の根拠や大義が失われてもそれはどうでもいい、「国益」で判断すべきだというのは、侵略者の無法を認める勝手な理屈です。「国益」の名でアジアを侵略した戦前さながら、ジャーナリズムを外れ、「大本営発表」を流し続ける国策報道の道を突き進んでいるといわなければなりません。

posted by PPFV at 22:22| Comment(5) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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