2006年04月07日

「ロップだかラップだか、わからんけど・・・」〜あなたこそナンセンス

石原都知事「英語必修化はナンセンス」 首都大学東京の入学式で(産経新聞2006/4/6)
http://www.sankei.co.jp/news/060406/sha089.htm

 東京都の石原慎太郎知事は6日、公立大学「首都大学東京」の入学式で、小学校段階での英語必修化について、「全くナンセンス。若い者の日本語語学力はどんどん低下している」と述べ、日本人の基盤として国語力向上の必要性を説いた。

 国語力の低下を象徴しているケースとして、石原知事は最近の音楽を引用。「歌詞はデタラメ、文法も間違っているし、とにかく意味をなさないような言葉の羅列。メロディーもロップだかラップだか、わからんけど、全然感じない」。そのうえで、石原知事は、日本語独特の語感や感性、情緒が独自の発想や思考を組み立てるのに重要な要素になるとした。

 小学5年生からの英語必修化は3月27日、中央教育審議会の外国語専門部会が提言した。しかし、国語力の低下を懸念する声が相次ぎ、英語必修化には賛否が分かれている。


いつの時代にもいるおっさんのこんな「クダマキ」を聞かされる首都大学の新入生には同情しますね。
もちろん英語教育開始の早期化によってこの日本人の英語下手が解消できるとは思いませんし、英語必修化に問題なしとも思いません。
しかし、石原氏の批判はいつものことながら誹謗中傷を含んだ的外れな批判だなあと思いますね。
「日本語独特の語感や感性、情緒が独自の発想や思考を組み立てるのに重要な要素になる」など、ことこの石原氏に言われたところで説得力のかけらもありません。氏の言う「日本人の基盤」って一体何なんでしょうか。
また、氏は国語力低下の象徴として最近の音楽を槍玉にあげ「メロディーもロップだかラップだか、わからんけど、全然感じない」などといかにもセンスのない文句を言っていますが、これなど彼の言う「日本語独特の語感や感性、情緒」が生かされているんでしょうか。

もちろん私にしてもラップという音楽にも門外漢ですが、氏が元気だった高度成長時代には見向きもされなかった「日本語独特の語感や感性、情緒」が生かされたと思うようなラップも聴いたことがあるような気がします。気のせいでしょうか。
ちなみに私はここ数十年邦楽(こんな言い方も死語か)はほとんど聞きませんでした。世界に通用する音楽とは思えなかったからです(ビデオクリップひとつ見ても目を覆うばかりでした)。しかしながらここ数年私の印象は変わりました。アジアのミュージシャンも世界に通用するかもしれないと思ったのは中国、韓国の音楽に触れた折のことです。それらの進歩と呼応するように日本の音楽シーンの進歩も目覚しく、一昔前であれば歌唱力で大いに評価されたであろうような歌手は今やごろごろいます。
昔から「日本語の語感」と「西洋音楽」との乖離に苦しめられたミュージシャンは多かったのではと思います。そしてそれを克服すべく色々なトライがなされてきたとも思います。ここにきてようやくその障害は克服されつつあるというのが私の見方ですが、それも氏によれば「歌詞はデタラメ、文法も間違っているし、とにかく意味をなさないような言葉の羅列」ということになるらしいですね。だから多様性を認めない「おっさんのクダマキ」だというのです。

現状の英語教育に問題なしとは思いません。が、むしろ問題は、仮に英語が話せるようになったとして「世界に向けて何を語れるか」でしょう。そういう意味では日頃国内向けの「クダマキ」に熱心な石原氏は最も国際社会に披露したくない人物であります。国語力以前の問題だと思うんですね。


posted by PPFV at 19:09| パリ | Comment(3) | TrackBack(0) | 妄言たわごと集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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