今日のお勧め記事。「民主党が10.22衆院補選の敗北から学ぶべき教訓」(阿修羅)
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/897.html
ついに共産党非難バナーまで飛びだして、何だかなあ。
「唯一戦争反対していた政党」を「自慢たらたら」と言い「戦争を止められなかった」ことを非難する。
言い草がただのネットウヨと同じになってしまっているところも興味深い。
左翼運動とやらでどんないざこざがあったのか・・・そんなこと何の関係もないところで育った私は知ったことじゃないが、何でこんな言いがかりつけられるんだか、これ単純におかしくね?
ホカは「総括」するどころか、またもや「戦争したくてしようがない」らしいし、メディアもかつて加担した過去なんかすっかり忘れてしまったかのような体たらくぶりだ。
批判の矛先が違う。
単純な票読みで共産党の票が恨めしいのかもしれないが、そんなことは、自民党にまさに加担している「反戦の公明党」に言ってくだされ。
ということで、先の衆院補選を単純な票読みではなく冷静に分析したJCJフラッシュの記事を紹介。
一部引用する。特に太線部分には激しく同意。
Y・記・者・の・「・ニ・ュ・ー・ス・の・検・証・」
□■神奈川16区、大阪9区 衆院2補選の結果を読み解く(JCJふらっしゅ2006/10/25)
http://blog.mag2.com/m/log/0000102032/107847135.html?js
いま私たちは、21世紀初頭から続いてきた小泉政権の過ちを、大急ぎで修復しなければならない。特に、平和と民主主義と福祉と文化との領域において。それは国会の正常化、議会制民主主義の王道に立ち返る、党派を超えた課題でもある。政治家が単に政治を商売とする「政治屋」なのか、そうではないのか。
厳しく有権者に問われる時代が訪れている。メディアは既存の勢力におべっかをつかう習性を脱し、市民とともに政治を監視し、視野を世界にひろげて、将来を切りひらいていく使命がある。そして政党も同様だ。政権交代をかかげる民主党は、自民党が自ら手放し崩壊させた支持基盤を引き継いでこそ、その道が大きく開けてくる。
その意味で共産党や社民党と、民主党の政策が異なることには何ら矛盾はないし、むしろ当然のことであろう。大事なのは、市民の力によって自民党は退潮に追い込まれているという事実である。そしてこの間、小泉政権は、メディアに対する言論規制・封殺の姿勢を強めてきた。それはメディアだけでなく、市民全体の言論表現の自由を抑圧し、萎縮させてきた。
国会までが蹂躙された。それを姑息なやり方で修復しよう、とり戻そうという動きが安倍政権になって、自民党内部で始まっている。
そのアンフェアな状況をまともな状況にもどすという共通の課題が、平和や命、生活、人権の課題とともに、小泉前政権に組しなかったすべての野党に課せられているのである。個々の政策課題の独自性を競い合うことと、完全に「成熟〜衰退期」へと移行し、延命のためにごまかしと悪政を続ける自民党から、真の平和と民主主義の基盤をとり戻すことは次元の異なる話である。
個々の政策で競い合うところでは競い合い、互いに切磋琢磨しつつ、日本社会の行方にかかわる大事なところではしっかりと連携・連帯して、自民党を、いまの自民党の政策とやり方にふさわしい規模の政党へと糾していく必要がある。二大政党制などイメージの枯渇した貧困なビジョンにまどわされることなどない。
必要なのは二大政党制ではなく、多様に時代に対応した政治家と政党が構成する国会であり、議会制民主主義のまともな機能=市民の声の反映であり、そして健全かつ活力あふれる政権交代なのである。
拙ブログのちょっと関連エントリー
『死票』を恐れない(2004/7/14)
http://ppfvblog.seesaa.net/article/15611324.html
「STOP THE KOIZUMI」には賛同できない(2005/10/12)
http://ppfvblog.seesaa.net/article/15611771.html