結果的に「新自由主義政党による二大政党制」というある意味最悪の政治体制を待ち望む多くの左派・市民派ブロガーやら、異次元空間での議論&罵倒に勤しむブロガーやらがはばをきかせている(センセーショナリズムが人気を博すのはブログ界も同様ですね)現状を悲しみつつアホくさくてやめようと思いましたが、こんなことでやめるのもアホくさいので、やめるのやめました。
6/25さよならエントリーの「……ということで」という文は、主にその前回のエントリー「民主党とともに空中溶解する左派ブロガー」を受けてのことです。この6/23のエントリーはこれで最後にしようと思いつつ書きました。
左派ブロガーが溶解しているという思いは偽らざるところで、新自由主義の問題点が次々と明らかになればなるほど、言葉とは裏腹のまるで足を引っ張るような民主党の態度と、それに口をつぐむ左派ブロガー・・・「あんたら今まで語ってきたことは一体何だんねん」と思わずにはおれなかったわけです。「明らかな敵」より「味方を装う敵」の方がむしろ危険とは今まで何度と無くぼやいて来たことですが、残念ながらその危惧は「民主党の在り様」と「その民主党にモノ言わぬ左派ブロガー」という現象として現実のものとなりました。「政権交代幻想」「まだマシ幻想」ゆえの態度でしょうか。不思議です。この一連の民主党の態度を見れば「今より良くなる保証はない」どころか「今より良くなるわけがない(良くて現状維持)」としか私には思えないのですが。
しかし、そんなことをよそに一方では半年に渡って「水の話」で喧々諤々、当事者の一人に言わせると「ブログ界を震撼させた」一大論争だったんだそうでそれはそれで結構なことですが、私の個人的感想言わせてもらえば「そんなことやってるバアイか」の一言に尽きます。
左派・市民派ブロガーの民主党支持者の中にもいろいろな方がおられるようで、ひとつは「政権交代さえ実現できれば何かしら政治状況は良くなるはず」という漠然とした期待に基づくいわば『投資話被害者タイプ』、もうひとつは「国民の生活が第一」のスローガンを鵜呑みにし今の新自由主義の問題解消に期待を寄せる方々、さながら「オレオレ」の言葉に息子かどうかの確認もしないいわば『オレオレ詐欺被害者タイプ』、そしてもうひとつは(じつはこれがやっかいなんですが)新自由主義で自ら恩恵を受けているとまでは言いませんが、どうやら新自由主義だろうと現状たいして困っちゃいない人たち、つまり他人事としか捉えていない人がいるんじゃないかと。左派だリベラルだとか言ったって所詮お遊びな人たちがいるんじゃないかと。民主党がれっきとした「新自由主義政党」であることを承知の上で、自らの利益代表として民主党を支持する方々(だとすればふだんの言説は民主党のスローガンと同じくとんでもない偽善ちゅうことになるわけですが、行動原理としては合点がいく)ではないかと思ったりします。
でもまあこのまま新自由主義が進行すれば「子どもを育て上げたご褒美にアメリカ旅行」程度の小金持ちでは早晩「負け組」とやらに飲み込まれてもなんら不思議は無いわけで、ましてや大学出したからといって子どもが「勝ち組」とやらに安泰できるはずもありません。新自由主義先進国アメリカでは今や医者さえホームレスになる時代、自分(わが家)は大丈夫だと思っているとしたらそれはあまりに脳天気な小金持ちといわざるを得ません。その流れを止められるのは残念ながら民主党ではありません。それどころか「政権交代」を望むあまり民主党を批判することもせず政権交代を許せば、それはとりもなおさず左派・市民派ブロガー自ら「民主党版新自由主義」を支持した事になりはしませんかい?と思うわけです。
それを承知で民主党を支持するブロガーは早々に「新自由主義支持者」である旨表明されるのが潔いでしょう。いやそうではないとおっしゃるブロガー、「国民の生活が第一」という民主党のスローガンに期待を寄せるブロガーはスローガンに惑わされること無く、色々な局面での民主党の態度が本当に「国民の生活が第一」に相応しいものなのかよくよく凝視する必要があります。そして批判すべきは批判すべきです。
もちろん分断は望みません。しかし本当に連帯すべきは誰かよくよく吟味することもまた大切と思い至りました。そういう意味では「ロスジェネ」が指し示すアプローチは非常に重要じゃないかと思うわけですが、この「ロスジェネ」も左派・市民派ブロガーの多くはスルーのようです。(だみだこりゃ)