なかなかエントリーを上げることがかなわず、まことに失礼しました。
民主党に対してどういう態度をとるべきか。 (3)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-812.html
具体的なお話で、私の考えを整理する上でも大変有意なエントリーだと思いました。ありがとうございます。
「中間」という言葉をどのような意味で使われたのかという点については了解いたしました。
民主党総体としてみたら、獲得した得点は50前後よりも0に近いところに位置すると思います。その点についてはPPFVさんと私の認識はそんなに違っていません。
その点についてはおっしゃる通り私の認識も同様のものです。また地道な行動というのも常々申し上げていますとおり私も最も尊重するところです。
ただ根本的な違いは、自民・民主と共産・社民はめざすところがそもそも違うということです。世論の動向いかんで多少のブレはあるでしょうが、基本民主が共産に近づくことはありえないと思っています。それぞれの立ち位置でそれぞれの目指す方向を向いているのであり、新自由主義・改憲をめざす(Aライン)と反新自由主義・護憲をめざす(Bライン)それぞれのラインに立っていると思うのです。本来ならばAラインとBラインの選択こそが重要な争点であるはずなのにAラインの中の争いにばかり焦点があてられているのが現実であり、有権者の関心もそのことに注がれがちです。「政権交代する可能性がある」というのがその理由の多くを占めているわけですが、Aラインの中での政権交代では何も成し遂げる事は適いません。この事は経験済みのはずです。
以前に「土佐高知の雑記帳」さんよりTBいただきました。
「民主党」論にかんでみる
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-1211.html
もちろん「2大政党」が国民の変革志向を、自民、民主の枠組みに押さえ込もうとする財界の戦略であることは論を待たない。
かつての細川政権もそうだったし、自社さ政権も、小泉政治もそうだ。
だが、そうした「安全弁」は、国民的体験によって次々と打ち破られてきた。
ジグザグはあっても確実に前進してきたのではなかろうか。
もはや国民は細川政権のペテンに容易にはだまされないだろう
このエントリーの中でこう述べておられます。しかし果たしてそうでしょうか。国民的体験によって次々と打ち破られてきたとはどうにも考えにくいような気がします。細川政権は自ら瓦解し、小泉は悠々と辞めていきました。むしろここへきてなお「民主党政権」に期待するということは「国民的体験」が生かされていない証左とも言えるのではないでしょうか。
民主党がBラインに近づく可能性があるとすれば「分裂」による旧社会党系議員の動きということにあるのではないかとも思っていますが、いずれにしてもそのためには民主党を「勝たせる」ことではなく「自公」とともに負けてもらう必要があります。
村野瀬さんの次の言葉にも考えさせられました。
...なんだか、日本の政治はビルマの状況に似ているなと思ってしまいます。「保保二大政党制」という新たな圧政に正統性を与えてしまうのか、今までの「自民党独裁制」という圧政が続くことを認めるのかという、究極の選択。
しかし日本の場合は決して「究極の選択」ではありません。第三、第四の選択肢があるわけで、ましてやそれに投票したとしても国家から圧力があるわけでもありません。なのに「究極の選択」と言ってしまうのは何故でしょうか。「勝てないのなら」という軍政の圧力にも勝る「呪縛」でしょうか。いずれの究極選択肢も望まないのであればどのような投票行動をすべきかは明らかではないでしょうか。
自公民以外の反・新自由主義的政治勢力を育てること
私はこのことに尽きると思います。同じ地道な行動を取るとするならば、私は迷わずこの行動に注力します。とりわけ私が注力しているのは、根っからの民主党支持者の方に向けてというよりもむしろ「自公政権」はもうまっぴらだと感じている方々が「民主党」に投票してしまうことを何とか思いとどまっていただきたい考え、そのための材料をブログを通じて提供することです。これは現状の私ができる範囲のことでおそらく最も有効な手段だと考えるからです。
議席数から言えば「数にモノ言わせて暴挙」を行える状況は過去にもいくらでもあったわけで、今回に限ってこのことでことさら「危機感」をあおり民主に票の集中をなどと誘導する論調は他のブログ等でよく見かけますが大変危険なものだと思っています。