http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2011062801066
危惧されたこととはいえ、何とも痛ましいことです。迷うことなくエアコンを使ってほしいものです。それも先週一週間でのことですから、このところの天候を考えれば心配はますます増すばかり。記事によれば7人の方が亡くなられたとのこと、高潮しすぎた脱原発世論・報道による犠牲者という側面も決して否定はできません。
幸いにして原発事故による犠牲者はおられないわけですが、目に見えない不安あるいは将来への不安を理由に眼前の犠牲に目をつぶることができるはずもありません。ましてや「原発推進派がこのニュースを利用する」などと言っている場合ではありません。
自身「将来的には原発はなくすべき」と考えるものですが、即時撤廃は現時点では不可能であると考えています。まずは現在休止中の原発の速やかな再稼動を望みます。そして今回の事故の徹底的な分析と今後の緻密な安全対策が議論され実践されることを望みます。
残念ながら「即時撤廃」を旨とする方々は「(あるべき)原発の安全性」について語ることはありません。「なくすべきもの」についての安全性を語ることなど、すなわち自らの主張を結果否定する議論ですから、ある意味当然といえば当然の態度でしょう。けれども「即時撤廃」による社会的損失、弱者に強いるであろう犠牲、あるいは今後展開するであろう政治的力学(思惑も含めて)を考えれば、原発が維持される可能性は非常に高いのではないかと思わざるを得ません。世論も決して「即時撤廃」が多数派とはいい難い状況ですから。
ふたを開けて見れば原発は漫然と維持され、反原発熱は、ただただ「即時撤廃」を訴えただけで終わってしまっては、それはあまりにも不毛な結果といわざるを得ません。福島の事故を教訓に今後の安全対策に十二分に生かすための議論はとても重要なのではないでしょうかね。
ベストではない(あるいは最悪の)結果を想定しつつ考えをめぐらすことは危機管理の基本だと思うのですけど、「原発の危機」には豊かな想像力を働かせることができても、はて自らの運動が結果何を残すことになるのか・・・そこに思い至ることなくして東電のずさんな危機管理を嗤うというのも何とも変な話です。