2011年07月28日

政治闘争は平時にやれ

twit20110727.jpg

http://twitter.com/#!/Q_toshibo/status/86818415272144896

このつぶやき全くもっておっしゃる通りと思います。

Twitter、中にはこういう核心をついた目をみはる発言もあったりしてたいへん興味深いです。私が感じる「脱原発運動」に対する強烈な違和感の核心はまさにこの指摘の中にあるわけで、何もブーム的なものに対する嫌悪感というものなどではけっしてなく、問題は今、際優先になすべきことは何かということの圧倒的で絶望的な違いです。
私にとって「脱原発の達成」など今の段階ではどうでもよいことです。「脱原発の達成」が第一義になってしまっては、冗談でも何でもなく「被災地の不幸は好材料」となってしまうのは当然のことでしょうし、放射線リスクに対する安心材料を語ろうものなら御用学者のレッテルを貼り糾弾したくなるのも自然のなりゆきなのでしょう。ですが、左派と言われる人たち、長年原水爆については何だかんだと語ってこられたでしょうに、自ら被爆2世として放射線治療の第一線で長年やってきた人の心中を想像してみることさえできないというのはいかがなものでしょう。
あるいは、原発なくても電力足りるようにするためには節電も命がけの闘争になってしまうとか。
しかし、いったい何と闘おうというのか、この大変な時にそんな闘争などに付き合わされてはたまったものではないのです。被災地そっちのけの脱原発運動と思うのはまさにこういうありようを指すわけですが、そんな疑問を持つ左派の方はおられないんでしょうかね。

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2011年07月27日

東日本大震災で長崎大学が果たした役割

ぜひ、読んでみていただきたいです。

総力特集 東日本大震災で長崎大学が果たした役割(PDF)
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/file/c036-03.pdf

2011年07月25日

原発事故があらわにした日本人の差別の構造

原発事故があらわにした日本人の差別の構造( 「別無工夫」日記2011/4/13)
http://toshifujiwara.blogspot.com/2011/04/blog-post_13.html

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福島第一原発の事故と放射能が問いかけるもの

福島第一原発の事故と放射能が問いかけるもの( 「別無工夫」日記2011/3/27)
http://toshifujiwara.blogspot.com/2011/03/blog-post_2687.html
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2011年07月24日

結局「原発安全神話」も「原発恐怖神話」も嘘っぱち

原発反対運動を監視
科技庁(当時) 80年代後半に チェルノブイリ事故で世論警戒(しんぶん赤旗2011/7/20)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-20/2011072001_01_1.html

報告は「原子力反対運動の特徴」として、「従来」と「最近」の運動を比較します。「技術論、安全論などの理論中心↓感覚的、情緒的反対」「悲そうな使命感↓遊び感覚、お祭り気分」などと運動の変化を描いており、運動に参加する市民を見下す姿勢が反映しています。


科技庁の見立て、そうはずしているとは思いませんね。特に事故後はその傾向が顕著であると思います。更にいえば原発反対の声の中に差別的な耐え難い発言さえ横行している現状など、共産党はどう見ているのでしょう。
結局、このところの私の一連の記事は、被災者そっちのけの今の脱原発運動のありかたには賛同できないし、よって共産党の方針にも賛同できないという意見表明というだけのことなのですが、それをもって共産党支持者の分裂などと言う人もいて困惑します。賛同できるものはできる、できないものはできない、ただそれだけのことです。何度も言うように、そもそも私は共産党支持者でも共産党の構成員でもありませんので、「分裂」など言われても、むしろ共産党が迷惑するんじゃないでしょうか。

あ、それから私のことをただの天邪鬼と評した人もおいでのようで、失礼な話だとは思うのですけど、まあそれは全否定はしません。もしかして戦時中、戦争に反対した共産党も天邪鬼だったんでしょうかね。

もひとつ。3.11以降、私の考えの中で大きな変化があったことは確かです。結局、一番の発見は「原発安全神話」も嘘っぱちなら、さんざん聞かされてきた「原発恐怖神話」も嘘っぱちだったということなのですけれど。そして、そんな「神話」に振り回される人たちの苦悩に配慮できる人は、「神話」を語る人の中にはどうやらいないと言うことですね。

ちなみにセシウム藁の問題。結局、「脱原発を叫ぶ」より、また「浜岡を止める」よりもっと先にやるべきことがあったわけですが、国の無策を叩きこそすれ、そこから学ぼうという声は聞きません。
posted by PPFV at 12:14| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

自ら劣化されるのは、これいかんともしがたい

制服向上委員会がフジロック出演取りやめ、脱原発ソングが原因とブログで明かす
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110720-00000026-rbb-ent

まあこのニュース、原発事故前であればそれなりに興味を引くニュースではありますが、今となっては、これ単純に「商売になる」と踏んだだけの話でしょう。それにしても「脱原発」ブームに乗ろうとは何とも浅はかです。芸能人の生き方として見てもやはり浅はかなことでありますね。

それに・・・

こういうニュースに喜んで飛びつくのもどうかと思いますが。ましてや今まで地道に活動して来た共産党員の方なんかが、こんなニュースを取り上げたりしてるのを見てると他人事ながら先行き心配になってしまいます。そんなことやってると信用を失いかねないのではないかと。
共産党に対するいわれのない誹謗・批判などに対しては、私もできる限りの反論や応援もしたいと思いますが、自ら劣化されるのは、これいかんともしがたいものです。ジャーナリズムの劣化など憂えている場合ではないでしょう。

posted by PPFV at 20:52| パリ ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

「人類平和」のために邁進する予言者か

たとえば、とあるメーリングリストにこんな投稿があります。

[CML 010724] 菅直人首相の脱原発発言を評価します
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-July/010593.html

菅直人首相の7.13記者会見「脱原発発言」
を高く評価する必要があります。
私たちは首相発言に安堵することなく、その実現を迫っていくことです。
これからは被曝者が次々と発症していくでしょう。
民主党の「直ちに健康に影響しません」と発言した枝野官房長官らも
速やかに反省しない限り、東電の幹部、中曽根元首相らと
同様原発犯罪者となります。
原発と核兵器の廃絶は人類社会にとって緊急な課題です。
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを体験した日本は国民の為、
世界の人々の為になす役割は非常に大きいです。


菅首相の「脱原発宣言」を評価すべきとは、方向性においても信憑性においてもどうかと思うのですが、それよりも気になるのは『これからは被爆者が次々と発症していくでしょう』と言ってしまう感性です。「人類社会」や「世界の人々」の心配はすれど、その言葉が被災地の人たちににどのように受け取られるかを心配することはないようですから、当然「人類社会」や「世界の人々」への心配も信憑性怪しいものですよね。もっとも「福島」をヒロシマ・ナガサキとともにすでに体験済みのこととして語ってしまうところに、何を最優先に考えているのか垣間見れるような気もするのですが。
人によってはそんな意識もなく、正しいと思う「脱原発」を熱く語るうちに、これと類似したようなことを語っていないでしょうかね。どうか一度立ち止まって考えてほしいと願うばかりです。
posted by PPFV at 22:38| パリ ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

脱原発論は被災地のためにあらず?

脱原発に関して「右翼と共闘するのってどうよ!」みたいな意見がありますが、こと、漠然とした不安を必要以上におそれて強硬な態度に出ることを趣向するという点においては、同じようなものじゃないでしょうかね。共闘するとかしないとかにかかわらず、向いている方向も動機も同じようなものです。
前に「今や、核武装論者も脱原発を訴える始末」と書いたことがありましたが、まあ、当人にとってみれば「北朝鮮も怖いし、放射能も怖い」という(マトモかどうかは別にして)もっともな一貫した話だったわけですね。結果マンガみたいな矛盾を抱えているわけですが、きっとその核武装論も「けっして爆発しなければ」の条件つきなのでしょう。
しかし、知ってか知らずか、そんな矛盾を抱えているのは右派の方だけに限った話ではないようで、放射線から身を守るためには、国民生活の多少の苦しみも是、被災地の苦しみよりも放射能の恐ろしさを伝えるが先、いっそ多少の差別もやむなしといった風情もあったりして閉口します。もっとも福島の状況が悪くなればなるほど反・脱原発派にとっては好材料なのだろうし、不幸な出来事あれば「原発さえなければ」と原発批判に使われこそすれ、その現状を救うべくどうしたらいいかという議論がされることはあまりありません。結局、自説を補強しようとすればするほど原発被災者の今後の展望を暗然と思わざるをえないような状況を作り出すわけですから、これもまた矛盾と言えば矛盾です。

こんなことでは左派の信頼性が問われるでしょうし、被災地支援に関する政府の無策ぶりを批判することもできないでしょう。

反・脱原発派のそんな状況を見るにつけ、とかく「御用学者」として叩かれまくっている山下氏の「大丈夫論」にも被災者支援の観点から一定の評価をしたくもなりますし、政府の「正直に発表したら国民パニック論」もまんざらデタラメでもなかったのでは・・・と思いたくもなりますね。

みたいなことをつらつら考えつつ、余談ながらこんな記事も。

「保守・右翼の脱原発宣言」鈴木邦夫−マガジン9
http://www.magazine9.jp/kunio/110622/

 4月14日(木)、チャンネル桜で原発、是か非かの大討論会があった。推進派の人達4人と反対の人4人の討論だ。反対派の一人として僕も出た。又、西尾幹二さんも出た。西尾さんは言う。「今まで日本には原発は絶対に必要だと思っていたし、マスコミに出て、そう主張してもきた。しかし、今回の事故で、それは間違っていたと分かった。今までのことを自己批判し、これからは反対派に回る」と言った。勇気のある態度だと思った。普通、学者なら、絶対に間違いを認めない。あれこれ理屈をつけて、ごまかす。西尾さんは偉いと思った。
 「右翼、保守派の人は間違っていたと思ったら、謝るし、考えを変える。これは立派なことだ。左翼には全くない」と、ある新聞記者が言っていた。


何とも内容のない話ですが、この西尾氏、記事を見る限り私にはただのおっちょこちょいにしか見えません。

だいたい世論が同じ方向に盛り上がってしまって、反対意見には耳を傾けようともしないとか、そもそも反対意見など言いづらい状況を醸し出してしまうとか、その結果ロクなことがないのは、何度となく経験していることなんですけど、そういうことには鈍感でチカラの入れどころを間違うところは相変わらず・・・でこのたびの反応なのでしょうが、これもまたある意味一貫した態度です。

左右問わず、そもそも脱原発論は被災地のためにあるものではないようです。
posted by PPFV at 20:21| パリ ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

菅首相「脱原発依存」宣言

てっきり「『脱原発』に依存する」宣言したのかと思ったぞ。

まあ、そんな人たくさんいるから。

posted by PPFV at 15:30| パリ | Comment(1) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月07日

「脱原発」で目の前の問題は解決するのか?

このような状況でなければ(原発事故後という意味ですね)、原発を取り巻く諸問題について語ることや評価すること、それはそれでまあそれなりに有意義なことでしょうけど。まずは被災地復興と福島原発事故収束を最優先にすべきと思う私にとっては、この状況でのそんな議論や呼びかけには基本なんだかなあな違和感を感じざるを得ません。
いわば、池に落ちて溺れている人を横目に、柵があれば良かったんだだの、やれ柵を作れの作らないの、水を抜いておけば良かっただの、自分の子どもが落ちたらどうするの!だの、いやいやいっそ池などなければいいのだ、そうだ「脱池」だ・・・で盛り上がってしまっている感じです。
残念ながら溺れている人を助けるための議論はあまり聞こえてきません。むしろ助ける邪魔をしているのではとさえ思えます。私は共産党支持ブロガーでも何でもありませんが、そういう場面での共産党の態度を評価していましたから、今回の状況には落胆を隠せません。その落胆は同様に多くの左派ブロガーに対しても感じるところでもあります。
脱原発の方向が本当にいいのかどうかの議論はひとまず置いておくにしても、現状の脱原発熱のあり様には非常に危ういものを感じています。
そもそも、脱原発の目標が200%達成され、たとえばすべての原発は明日から全廃!となったとして目前の問題は何かひとつでも解決されるのでしょうかね。
posted by PPFV at 19:55| パリ | Comment(5) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする