『投票に行かない権利』と題する記事ですが、気になった点もありましたので、ちょっと補足。
まあ、私も投票は義務とは思っておりませんし、法的にも義務化されていません(オーストラリアでは義務化、罰金罰則もあると聞いておりますが)。ましてや選挙に行かない人を『非国民』だなんて思っておりません(『非国民』は私の嫌いな言葉ベスト10ですわ)、ただ「ああ〜もったいないねぇ」と思う訳でして。
義務化されれば最も打撃を受けるのは政権与党、あるいは固定票を持つ政党でしょうから、実現はまず望めません。
私が言いたいのは投票に行くことが『権利』であるという意識が希薄なのではないかということです。働いたことに対して対価を貰うことは『権利』です。それに対して『給料貰うのは義務ではない』『給料を貰わない権利もある』などと言われても困ります(--;;;
もうちょっと判りやすい一例として説明します。
1000人の選挙民がいる選挙区がある。
ある『特定の利益』を代表する候補者Aがいる。支持者は250人、もちろん『特定の利益』を享受される方々。
対する候補者B『特定の利益独占は許せない、選挙区民ひいては日本全体の利益を考えるべき』、支持者は150人。
あとの600人はあまり選挙には興味ないけど、まあ行って見るかという人が100人(いわゆる浮動票)。
これで大体今回の選挙と同じ投票率50%くらいですね。
浮動票100人が多少バラけて候補者Aに30人、候補者Bに70人。
結果、候補者A280票 対 候補者B220票で 候補者Aの当選。
1000人のうちわずか250人の人たちの利益を代表する候補者が見事当選。
なので他の750人の方々は政治で何かが変わったことを実感できないのです。
候補者Aの支持者でもないのに雰囲気でいれちゃった30人の方々なんかとんだ投票損です。
なので、しっかり見極めてせめてマシなほうに投票しましょうということです。
きっとあなたの生活も変わりますよということです。
投票しないことで誰が喜ぶのかよく考えましょうということです。
『給料を貰わない権利もある!』と言って大喜びするのは会社ですよ。
トラックバックありがとうございます。何回押していただいても結構ですよ。カウント稼げますし(^^
お名前は常々拝見しております。
ノーム・チョムスキーは私も大好きです。
>「選挙にいっても何も変わらない」というのは、権力者によって作られ広められている「神話」であるという認識を広める良い方法がないものだろうか。
これは私も常々考えてるところです。政治を変える最も近道のような気がしています。うまく転べばドラスティックな変化が起こるかも。
やー、のほほん運営のサイトですので、こうして反響があるとは思っていなかったから、驚くやら戸惑うやら嬉しいやらです。
分かって下さっているとは思いますが、念のために申し上げておきますと、私は『法的に義務化』されていると思っていたわけではありませんし、『選挙に行かない人は非国民』と思っているわけでもありません。
では、失礼致しました。また宜しくお願いします。
わざわざ拙サイトを訪れていただき、更にコメントを残して下さってありがとうございます。
私も、基本的にはPPFVさんの意見に賛成です。というか、分かりやすく説明されているのを見て感心するばかりです。
今更ですが、blogってこんな風に広がっていくのだなー、と感動中です。
ではまた宜しくお願い致します。
私もBLOGの価値というものが最近ようやくわかり始めているところです。
今後とも宜しくお願いします。
選挙では棄権して、得をするのは、政府ではなく、一票の価値が高くなるほかの有権者なのでは?
それに投票率が高い県で、特定利益を代表すると言われる族議員が高得票率で当選している(島根の青木さんとか)のは、どう思われるのでしょうか?
投票率が高いからOKなのか、固定票が多い与党が勝ってるからNGなのか、どちらなのでしょうか?
気がつきませんで失礼しました。
一票の価値が高くなるほかの有権者=ニアイコール=固定票あるいは組織票と思っております。したがって政権与党が得をする。
島根の場合は今回の選挙で特別投票率が高かったというわけではありません。前回もほぼ同じ投票率でしょう。青木氏自ら選挙区訪れることもなく大差での当選ですから、よほど支持基盤がしっかりと固められているという、それだけのことです。ある意味浮動票が少々動こうと変えられないという意味では、ご同情申し上げます。
全国的に見て投票率が高い土地の話など持ち出しても全く的外れです。低投票率から高投票率への変化の中で「変わる」と申し上げています。