しかし、石原氏からは相変わらずの発言。彼から「民度」などという言葉を聞くとは思いませんでした。
ブーイング問題:石原都知事「民度低いからしょうがない」(毎日新聞)
一方、中国人記者による記事。
中国マスコミスキャン〜ブーイング騒動(JANJAN)
特に下記引用部分は印象に残りました。
【中国民衆の心に宿るやり切れなさ】
今回のブーイング問題で、日本人はショックを受けただろうが、筆者も中国人として、テレビ中継を見ながら、恥かしさと深い憂慮を覚えた。一部のサポーターの行為とはいえ、中国人の強い「被害者意識」が攻撃性に変異する可能性を見せ付けられたのである。
また、日本メディアが分析したように、今回の件では中国政府も対応に悩み、ジレンマを感じているようだ。2008年の北京五輪に向かって、「愛国教育」のあり方を反省し、国内で高まるナショナリズムに真剣に向き合うきっかけになることを願う。
一方、民衆の反日感情を中国政府の「愛国教育」の結果として簡単に片付けてしまうと、一部の日本政治家にとっては好都合となる。「スポーツをもっと純粋な気持ちで楽しもう」。それは正論である。だが、中国民衆の心に宿るやり切れなさが、簡単にそうさせてくれない。
アジアカップが終わった後には、靖国参拝の「季節」がやってくる……日本と中国は、意識のすれ違いと溝をどうやって埋められるだろうか。
はたして、民度が高いのはどっち。
石原氏の参考資料は・・・。 石原慎太郎氏は、政界入りする当初(一九六七年)から記者会見などで「核
開発は必要だ」「憲法九条は改正すべき」と発言してきた。
一方で九三年には、月刊誌「文芸春秋」六月号掲載の対談で「戦争がない
と、男がすたる。どうもそれが人間の歴史の公理のような気がするね」となど
と驚くべきことを語っている。
こうした発言に輪をかける呆れたエピソードがある。
ベトナム戦争中に石原慎太郎氏は、解放区(現政府側)を砲撃していた南ベ
トナム軍の砲兵陣地を視察したが、そこで副官から「大砲の引き金を引いて見
ないか」とすすめられた。石原慎太郎氏は言われるまま引き金を引こうとした
ところ、居合わせた若いフォト・ジャーナリスト石川文洋氏から「あなたに、
向こうにいる人たちを殺す理由はないはずです」とたしなめられたという。石
川文洋氏の著作『ベトナム最前線』(読売新聞社)の序文に石原慎太郎氏本人
が書いていることだ。
中国のサポーター(って呼ぶべき?)の態度もどうかと思いましたが 都知事さんには 言われたくないなぁ。(笑)
過激な発言で 仮想敵を作ってるのは どっちかなぁ?
特に彼の仮想敵は、当の中国だったりするのになぁ。
と思ったしだいです。
まったく仰るとおりです。
「ああいう独裁政権というものは自分を維持するためには仮想の敵を作らなくてはいけない。それが日本ということになっている」
このセリフはそっくりそのまま彼に返してあげたいですね。
呆れるエピソードには事欠きません。