温度差
沖縄問題とは言わせない
「『癒やしの島』『楽園』と、普段はこぞって沖縄を取り上げているのに、米軍基地問題になると、手のひらを返したように見向きもしなくなる。あなたたちにとって、沖縄とは何ですか」
米軍ヘリ墜落事故を受けて本紙が設けた「県民の声」欄に、那覇市に住む二十歳の学生が、こう寄せている。
事故の報道、政府の対応を含め、本土側の関心の低さを嘆き、批判する声だ。
「大変なことが起きたと思っているのは、私たちだけなのでしょうか」「あなたも基地の近くに住んでみませんか」
同様の意見は少なくない。
基地問題を語るとき、しばしば沖縄と本土との「温度差」という言葉が使われる。それは両者の問題認識のギャップを示す。
全国の知事を対象に実施したアンケートで、米軍が事故機の合同検証を拒否したことに、回答した三十一都道府県のうち二十九都道府県知事が「問題あり」と答えている。
在日米軍専用施設の75%が沖縄に集中するなど日米安保の重すぎる負担への理解は二十四道県、基地を日本全体に分散する「負担の共有」について、「すべき」と答えたのは三県だけだった。
事故後の対応では意見が一致するものの、根本的な問題である、沖縄の基地負担の軽減、その方策としての基地の分散については、慎重だ。
アンケートでは「国政上の問題」「国の専管事項」として、回答を控えた知事の姿も目立った。
このことが、日本全体の安全保障問題を、相変わらず「沖縄問題」として押し込める結果になっているのではないか。
温度差は、米兵による暴行事件が起きた一九九五年以前よりも、むしろ広がっているように思う。
韓国ドラマ「冬のソナタ」が、日本でブームを巻き起こしている。
しかし、韓国人や在日韓国人からはブームへの違和感、物足りなさを指摘する声がある。ドラマは全体的に韓国的なものが希薄で、設定が韓国でなくても十分成立するからだ。
裏を返せば、日本と韓国の複雑な過去や、南北問題といった現実が見えないことが、人気の要因の一つなのかもしれない。
歴史の問題を置き去りにした一時的な韓国ブームで心の溝が埋まらないように、表面的な沖縄ブームも温度差を埋めきれないでいる。
沖縄からの問題提起は、基地問題という重い課題を、日本全体で、どう受け止めるか、そしてどう向き合うかだ。
真の「沖縄」を見てほしい。