チェチェンのことを少しでも知るためにぜひご覧ください。
遅まきながら、私も読み始めました。
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マスコミからは伝わらない注目すべき情報ですが、そのなかの印象に残った一節。
《引用》
●「暴力の連鎖を断て」?
私たちが新聞やテレビを見ていて、状況がさっぱりわからないのも無理は
ない。けれど、チェチェン戦争を理解することができれば、ロシアで起こる
ことのかなりの部分が理解できる。私が思うには、この不条理な戦争を放置
し、進行させることは、その不条理を拡大すること以外の何でもない。だか
ら、今回の事件がチェチェンに関係するものだとすれば、次にはもっと大き
な惨事が待っている。傀儡政権のようなとりつくろいには何も意味がない。
戦争を進行するのはロシア政府であり、放置しているのは、わたしたちだ。
「テロに屈するな」という声が聞こえる。「暴力の連鎖を断て」と語る人
もいる。私はどちらにも賛成したくない。不屈の人々には、チェチェンでロ
シア軍が繰り返している国家規模のテロと、今回のような事件を同じ重さで
語ってほしい。何の罪もない子どもたちを盾にした犯人たちの責任と、「治
安」をたてに交渉を打ち切って殺戮を果たした当局の責任も、同じように量
るべきだ。絶対の正義などないのだから。「連鎖」を口にする人々には、そ
の考え方を、よく見つめなおしてほしい。
91年以来のチェチェンへの侵攻がなければ、今、チェチェン戦争はな
い。暴力は循環するのではなく、起点がある。それを見ずに「連鎖」を口に
してしまえば、被害者にも責任の半分か、それ以上を負担させる偽善に陥っ
てしまう。起点の状況を変更しないかぎり、何も終わらない。
まず、想像上の円弧の一部を切断して線にしてみよう。その線は、苦しみ
の色に染まっている。91年のロシア内務省軍のチェチェン進駐に始まった
一方の点は見える。けれどその線の終点は、今のところ、遠い地平線の向こ
うに消えて、見えない。
《引用終わり》
『暴力は循環するのではなく、起点がある。』との指摘は、まさにその通りだと思います。
どちらの言い分にも一理あるなどという、微妙な問題ではありません。
紛争の始まりは決して「やむにやまれぬ結果」などではなく「引き起こされるもの」ということを改めて認識する必要があります。
その『起点』を引き起こしたことこそ糾弾すべきであって、『侵略された側』と『侵略した側』の間で「喧嘩両成敗」的な収束など有り得ないこともまた認識する必要があります。