2004年10月03日

転載/戦前にも信念を貫く人々はいた

個人と国家―今なぜ立憲主義か 集英社新書 樋口 陽一 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087200671/qid=1096809532/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-3204120-1910623
より、一部引用

戦前にも信念を貫く人々はいた

戦前は「統治権ヲ総攬」する天皇の立法権の行使を「協賛」する帝国議会であって、国民主権の議会ではない。建前上、あくまでも主権者である天皇が法律をつくるのに協力するという考え方でした。建前上はそうでありながら、帝国議会では、貴族院を含めて大変迫力のある議論が戦わされています。

(中略)

浜田国松代議士の「割腹問答」というのがありました。当時加速しつつあった軍部の政治介入を批判した彼の発言を、「軍部の侮辱」ととがめた寺内寿一陸軍大臣を向こうに回して、「封建思想や官僚独善主義から言えば、あなたは役人で私は町人かも知れぬけれども、さうぢゃありませぬ。私は公職者、殊に九千万人の国民を背後にして居る公職者である」「速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。なかったら君割腹して謝せよ」と迫ったのです(1937年1月衆議院)

《参考》
三重県ホームページ
http://www.pref.mie.jp/index.shtm
代議士浜田国松と「腹切問答」
http://www.pref.mie.jp/BUNKA/TANBO/BUNKA/mieb0257.htm

※先の大戦を前にした議会での議論です。正直私のイメージとしては、大戦前の議会などには民主的とは程遠いような状況があり、だからこそ戦争へと突き進んで行ったのだという楽観的意識がありました。しかしそれは間違っていたようです。政治生命どころか文字通り「命」をかけた議論がなされていたんですね。それでもなお戦争に突き進んで行った・・・・。
振り返って、今現在、このような議論がなされたことがあったでしょうか。
posted by PPFV at 23:07| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース拾読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。非常に迫力ある言葉ですね。魂を感じさせます。ここまで真剣な肝の据わった哲学を感じさせる言葉を語れる政治家は今はほとんどいませんね。政治家・官僚達の何という軽々しさでしょうか、現代は。
Posted by 闘うリベラル at 2004年10月04日 00:02
PPFVさん、こんばんは

最近、ほんとうに思うことは、「戦争が必要」とか「戦争したい」という意見には、どんな議論も理屈も現状把握も、絶対にかなわないんだな、ということです。

BSEや携帯電話で「安全性」を強調して「禁止」する、という流れと、似た話なのですが、人は一旦「安全のためにそれはだめ」と言われてしまうと、不安になってしまい流されてしまうのだと思うのです。

今で言えば、「軍事力がなければ攻められて日本がなくなる」ということですが、これだって「攻められてもいいのか」といわれると、反論がしにくくなります。
そうすると、今度はかさにかかって「だから九条なんてだめだ」という。

もう理論も現状把握も吹っ飛ばせるわけです。
なんたって「危険だ」「安全のためだ」ですから。

BSEにしろ、電車の中の携帯電話とペースメーカーにしり、朝鮮半島や中国の脅威にしろ、可能性はゼロじゃないし、それで人の命が危険にさらされるのは認められることじゃありません。

しかし、だから「危険だ」と定性的な意見で「安全のため○○が必要」という意見は、科学的でもなんでもない、きわめて感情的な意見だと思います。

危険というのなら、どの程度危険なのか、きちんとした定量的な議論をしてほしいものです。

もうなにがなんでも「じゃあ、人が死んでもいいのか」という話をしたら、議論も何も吹っ飛びますから。

これを読んだ「軍事力必要さん」たちが一所懸命反論してくると思うけど、そういう反論をするなら、ぜひ「日本が攻められる可能性」というのを「定量的に」言ってほしいものだと思います。
正直、反論なんていりませんけどね、不毛だから。
Posted by U2QMS at 2004年10月04日 01:49
闘うリベラルさん、コメントありがとうございます。

まことに気骨のある政治家がいたものだと嬉しくもありますが、反面、それでもなお戦争に突き進んでいったことを思うと、現状の不甲斐なさに暗然としたりもします。
Posted by PPFV at 2004年10月04日 20:12
U2QMSさん、こんばんは。

色々なところでの議論お疲れ様です(^^
しかし、残念ながらなかなか進展が見られませんね。聞くべきところは聞かないとと自分では思うのですが、「生命財産の安全が保障されなければ」「言論の自由」を失っても止む無しとのことなので、議論をかみ合わすのはかなり困難と思われます・・・。
相変わらず、軍事力を持つ危険性については何一つ話が上りません。
Posted by PPFV at 2004年10月04日 20:56
PPFVさん、こんばんは

私のところで、「単純な原理」という記事のコメント欄で議論しましたが、「軍事力を持たなくてはいけない定量的な危険」についてすら、彼ら反論できないのです。
「ナマモノだから定量的なんて話ができるわけがない」とね。

ましてや、「軍事力を持つことによる危険」なんて考えられるわけがない。

考えられない理由はもう一つ別の視点でいうと、彼らはつねに「国家」の立場でものを言います。
ところがPPFVさんがおっしゃる「軍事力を持つ危険性」というのは、「国民の危険」ですよね?
(国家にも危険はありますが、それよりも、国民側の危険の方がずっと大きいと思いますし)

彼らには、国民の危険なんて全然関係ないみたいです。
というか、国民なんて「国益のための道具」程度にしか思っていないみたい。

だから、私が「国民が悲しむ」話をすると「感情論」と決め付けるわけで。。。

これでは、話がかみ合うわけがありませんね。
Posted by U2QMS at 2004年10月05日 02:40
U2QMSさん、こんばんは。

>ところがPPFVさんがおっしゃる「軍事力を持つ危険性」というのは、「国民の危険」ですよね?
>(国家にも危険はありますが、それよりも、国民側の危険の方がずっと大きいと思いますし)

その通りです。ましてやその兆候が大いに見られるので危惧するところです。
国民なんて「国益のための道具」・・・と見れる国民がいることが不思議です。
Posted by PPFV at 2004年10月05日 03:00
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