http://humphrey.blogtribe.org/entry-a323b8b14877c2ebb8956e758bc36ef4.html
この記事の中で「抗議行動の意味」について共感できる一文。引用します。
こんなことをして、何になるんだろう? 圧倒的な暴力とそれを正当化する厚顔なプロパガンダを前に、そう思われる方も少なくないかと思います。私自身、いつも何かするときにはそのような悲観的な思いは、頭を離れません。
けれども、一つ一つの行為は小さくても、諦めずに冷静に積み重ねることは、確実に流れを変える力になります。
1975年インドネシアが東ティモールを侵略したときには、米・日・豪・欧の大国政府はどこも、実質上をそれを容認し、インドネシアの立場を擁護しました。
その後24年にわたるインドネシアによる不法占領と過酷な弾圧で、当時の東ティモール人人口60万人のうち約20万人が殺されたり飢餓などで命を失いました。
私が東ティモール連帯に関与し始めた1990年には、インドネシアによる東ティモール占領と密室で進められていた虐殺について知る人はほとんどいませんでした。1991年11月12日には、東ティモールのサンタクルス墓地で、インドネシア軍により東ティモール人300人近くが虐殺されました。その映像は世界で流されましたが、それまでに同じ様な規模の虐殺は、密室化された東ティモールの中で、インドネシア軍により繰り返されてきたのです。
それから10年弱、東ティモールの人々の文字通り命を懸けた訴え、そして世界中の人々の根気強い働きかけにより、インドネシアの不法占領から、東ティモールは脱却することになりました。その際、膨大な破壊と殺害が行われましたが、終わることのないかと思われたインドネシア軍による破壊と殺害も、終わり、インドネシア軍は撤退しました。世界の多くの人々が抗議の声を上げたことが、その撤退に、確実に貢献していました。
もちろん主権を回復した東ティモールは多くの困難を抱えています。内部の対立や貧困。それでも、インドネシア軍の占領下での暮らしとは比べものにならないほど自由で明るいのです(ちなみに国際的なジャーナリスト組織による報道の自由度では日本よりも東ティモールの方が上位にランクされています)。
>こんなことをして、何になるんだろう?
私もよくそう思います。しかし・・
私はホロコーストの問題に長く関心を持ってきました。私の場合、原点は「傍観者」になりたくない、ということです。あれだけの大虐殺が可能になったのは、知っていながら何もしなかった、感づいてはいても知ろうとはしなかった、圧倒的多数の傍観者がいたからです。
それは60年前であろうと現在であろうと、全く変わらないことなんですね。
まず、知らしめることです。
同感です。月並みな言い方ですが小さいことの積み重ね以外に方法は無いと思います。無力感を感じてもあきらめるわけにはいかないんですね。
ずっと傍観者でいられる保証などどこにもなく、まさに知ること、知らせることにわずかながらでも何らかの形で行動することこそ必要だと思います。