2004年12月10日

転載[メタノイア]ひとりひとりのいのち、ひとりひとりの人生/佐高 信

−約2年前(2002年11月)の記事です。

ひとりひとりのいのち、ひとりひとりの人生/佐高 信(評論家) メタノイア No.160より
http://www.osaka.catholic.jp/sinapis/overseas/tokimeta/m02/m0212.html

 きょうのテーマは「ひとりひとりのいのち、ひとりひとりの人生」てすが、そのために何が必要なのか。アメリカは今、明らかに弱肉強食の政策を遂行し、一人ひとりのいのちを大事にしない。そのブッシュにもう少しちゃんとものを言え、と小泉さんに言いたい。アメリカは日本の不良債権処理を急ぐように注文をつけているが、日本はアメリカの国債を政府をはじめ、各銀行、各生命保険、各損害保険も買っている。その額は 300兆円にもなるが、売り飛ばしたら大変なことになる。昨年末、ある大手銀行が経営が苦しくなって米国債を売ろうとした。日本銀行が「いくらでも貸すから」と言ってあわてて止めた。暴力団アメリカ組への上納金みたいなものだから、売ることができない。それでも、ブッシュからいろんなことを言われたら、「日本もちゃんと協力してますよ」となぜ言えないのか。経済問題はお互いの関係なんです。アメリカから言われっぱなしということはありえない。ところが、マスコミには米国債の話が出てこない。
 小泉さんは銀行に弱い。小泉さんは「大蔵族」で育ってきて、イコール「銀行族」ですから、銀行にきわめて甘い。竹中にいろんなことを指示していますが、竹中というのはダメな人です。何にも分かっていない。権力が好きでうろちょろするだけです。政策担当者は信頼感が一番大事なんです。ある銀行の頭取は「この医者にかかってなら、死んでもしょうがないという医者がいる。竹中という人はまったく正反対で、この医者にかかってだけは死にたくないという人なんです」と言っていた。人間としての信頼感がゼロですね。私の兄貴分の高杉良さんがこういうことを言っていました。「1月1日に日本に居ないと住民税を払う必要がないが、竹中という人は8年間連続で税金逃れをやっている」と。だから、私はサンデー毎日に「これでは、野村サッチー以下である。サッチーがかわいそうに見えてくる」と書いた。サッチーが知っていたら、当然やったでしょう。知らないから捕まった。自分が痛みを逃れる人間が、他人に痛みを押しつけるとは何事かと思う。こういう人間に私は「痛みを負え」と言われたくない。

 私は政治家を判断するときには、二つの軸を交差させて判断しなければならないと言ってきた。一つはダーティーか、クリーンかということです。もう一つは、ハト派(護憲)なのか、タカ派(改憲)なのかという軸です。この二つの軸を交差させると、4つのタイムに分かれる。一番ダメなのが、ダーティーなタカ派です。中曾根康弘とか、森喜朗です。2番目がクリーンなタカ派。これが小泉です。クリーンだけども、考え方はタカ中のタカです。これが一番やっかいな存在で、クリーンさの陰にタカが隠れてしまう。3番目がダーティーなハトで、加藤紘一、田中真紀子などです。4番目がほとんど「絶滅危惧種」のクリーンなハトで、三木武夫とか、田中秀征などです。
 私はあえて申し上げますが、クリーンなタカよりは、ダーティーでもハトの方がましという立場です。国民がそのように思えるかどうかということが、大きなポイントになってくると思う。端的に言えば、小泉よりは田中真紀子の方がましだというふうな考えにみなさんが立てるかどうかで、これからの日本の行方が決まってくる。
 きょう、一番言いたいことは、クリーンにこだわる人間は、差別を一番きびしくする人になりかねない。クリーンかダーティーかだけで人間を判断してはならないということをもう少し詳しく申し上げたい。私は2000年に郷里の出身者である軍人の石原莞爾という人の伝記を書きました。旧満州に王道楽土をつくると言って日本人の移住を勧めた石原莞爾論を二人の女性の対照的な石原莞爾観から書きはじめた。一人は市川房枝。もう一人は犬養道子です。1976年、私がまだ経済誌の編集者をしていたころに、ある出版社が「石原莞爾全集」を出した。そのパンフレットに市川房枝が熱烈推薦の言葉を寄せていた。「私は石原中将の著者の一部しか読んだことがありません。しかし、氏の中将時代、即ち京都の師団長であった時代に、京都のお宅と軍人会館でお目にかかり、そのお人柄と中国に対してのお考えに敬服しました。私は百姓の娘でしたので、戦争の好きな軍人・軍部にずっと反感を持っていました。しかし、石原中将は軍人でも違う、いままでにない偉い軍人だと思います」と。これを読んだ私は「おばあちゃん、それはないぜ」と腰を抜かしました。
 市川房枝の政界浄化に果たした役割を私は高く評価しています。高く評価するけれどもこれはまずい。市川房枝は歴史を知らないにもほどがある。1976年当時、市川房枝が菅直人などに担がれて、再び参議院議員となった。クリーンの代名詞のように言われている。石原莞爾という人は、上に突っかかったけれども、下にはやさしかったとか、人柄がよかったというエピソードはたくさんある。しかし、軍人や政治家というのは人柄だけで判断したらダメなんです。その人が何をやったのか、ということで判断されなければならない
人柄云々というなら、ドイツのナチのアウシュビッツ収容所長のルドロフ・ヘスという人は、家庭ではものすごく良きパパだったと言われていた。良きパパであると同時に毎日、ユダヤ人をガス室に送っていた。それが両立してしまうのが、残念ながら人間なのです。
 もう一人、私の大好きな三国連太郎という俳優がいます。三国さんは1943(昭和18)年の時点で20歳だった。戦争反対運動の隅っこにいて捕まって、大阪の網島警察署に入れられる。警察の中にも召集令状が来て、故郷の静岡県に帰り、そこから入隊することになる。しかし、三国さんは大阪駅まで来た時点で、「自分は人を殺したくないし、殺されたくもない」ので逃げようと思った。貨物列車に無賃乗車して山口県の小郡まで来たときに、里心がつく。静岡の母親に手紙を書くことになる。「いろいろ家族に迷惑をかけることになるかもしれないが、自分は逃げる。朝鮮に渡り、中国に逃げ込むつもりだ」という手紙を書く。佐賀県の唐津まで行って、船を探しているときに憲兵に捕まる。明らかな「徴兵拒否」ですから、逆さに吊られ、死ぬほどぶん殴られるはずなのに、なぜか静岡に連れ戻されて、そこから兵隊に行くことになる。出発前に母親はまともに息子の顔を見ず、「お前はさんざん親不孝をしたが、今度は天子さまのお役に立てる。お国のお役に立つんだよ」と言う。そこで三国さんは「自分の手紙を憲兵隊に見せて、何とか穏便に、と母親は頼んだのだな。だから、ぶん殴られことなく、兵隊に行くんだな」とふと思ったそうです。
 三国さんは幸い、生きて帰れた。下積みの俳優から売れっ子俳優になった。ほぼ同じころに父親と母親が続けて亡くなる。三国さんによれば、父親は棺桶(かんおけ)造りを職業として、差別を一身に負いながら、それに負けない生涯を送ってきたそうです。「父危篤」という電報を受け取った時、三国さんは取るものもとりあえず、すぐに帰った。ところが、忙しさはほとんど変わらなかったのに、「母危篤」という電報を受け取った時にはなぜかすぐに帰る気になれなかった。ちょっとためらっているうちに、「母死す」という電報が来て、帰ったそうです。母親の遺体の入ったひつぎを抱いたときに、背筋をどっと冷たいものが走った。その時、三国さんはこう思ったという。「自分は、どこかで自分を国に売った母親を許していなかったんだな」と。当時、息子を国に売らなかった母親なんていないんです。特に日本にはいなかった。しかし、自分が命がけで徴兵忌避をやろうとしているときに、母親に邪魔されたくなかったということなんでしょう。
 小泉純一郎という人には、彼自身が意識しているかどうか分かりませんが、母親に息子を国に売らせる思想がはっきりある。それを、特にお母様方がどう受け止めるのか。もちろん、母親だけに責任を負わせることはできません。親父たちの問題でもあります。でも
小泉純一郎にはそういう思想があるというふうに言わざるをえない。タカ派と言われる人たちの人権差別の考え方と直結しているということを強調したい。
 私の学校の先輩でアメリカに留学した人が、子どもが学校から帰ってきて、「きょうは作文だった」と報告したそうです。「どういう題だった」と聞くと、「アイ アム ディファレント(私はほかの人とここが違う」という題だった。ディファレント(違い)から個性が生まれが、日本では残念ながら、家庭、学校、地域、特に会社てディファレントをつぶすのが、しつけであり、教育であると思われている。そうではなく、あらゆる場面でディファレントを大事にすることで、私は差別を追放していきたいと思っています。
◇人・愛・ふれあいプラザ(2002・11・12)

posted by PPFV at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース拾読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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