こちらでもぜひ紹介させていただきたいと思います。
私の祖母は学徒動員で長崎造船所にいたわが子を探して彷徨った経験を持ちます。
小さいころ良くその話を聞きました。
「にんげんをかえせ」のサイト誕生!
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焼き場の少年
1945年9月―佐世保から長崎に入った私は
小高い丘から下を眺めていました。
10歳ぐらいの歩いて来る少年が目に止まりました。
おんぶ紐をたすき掛けにし
背中に幼子をしょっています。
この焼き場にやってきた強い意志が感じられました。
しかも、少年は裸足でした。焼き場のふちに
5分から10分ほど立っていたでしょうか。
おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。この時、
私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました。
幼い肉体が火に溶け、ジューッと音がしました。
まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年の
あどけない頬を夕陽のように照らしました。
炎を食い入るように見つめる少年の唇には
血がにじんでいました。
あまりにもきつく唇を噛みしめているので、
唇の血は流れず下唇を赤く染めていました。
炎が静まると、少年はくるりときびすを返し
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。
Photo+text ジョー・オダネル(元米従軍フォトグラファー)