2005年06月19日

[天木直人メディアを創る]アミラ・ハスというイスラエルの女性ジャーナリスト

アミラ・ハスというイスラエルの女性ジャーナリスト(天木直人メディアを創る2005/6/19)
http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSColumnT&Init=CALL&SYSKEY=0087
 立ち寄った本屋で一冊の本を購入した。「パレスチナから報告します」(くぼたのぞみ訳、筑摩書房)というタイトルに惹かれたからだ。そしてその著者が、イスラエルの占領下にあるパレスチナ自治区に住んで、パレスチナ人の窮状を発信し続けたイスラエルの記者であることに興味を持ったからだ。
 一読してたちまち魅了された。漠然と抱いていた私の占領地のイメージが、100倍もの実感として伝わってきた。ここにはパレスチナ問題のすべてが凝縮されている。イスラエルに占領されたままのパレスチナ自治区を私は一度も訪れた事がない。その私には、パレスチナ問題を語る資格はないかもしれない。しかしその私が頭の中で思い描いていたパレスチナ問題が、まったく正しかったとことをアミラは教えてくれた。
パレスチナ問題は、「パレスチナ人のテロとイスラエルによる報復の連鎖」として報道され、理解されがちだ。しかしそれは違う。パレスチナ問題の本質は、「暴力の応酬」ではなく、パレスチナ人をして絶望的な暴力に走らせるイスラエルの「占領」にあるのだ。そしてそのような耐え難い悲惨な状況が、これほど長い間国際社会で放置され続けているのは、皆が「傍観者」でいるからだ。

訳者のくぼたのぞみが「あとがき」で引用している次の詩が印象的だ。

 敵をおそれることはない。敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
 友をおそれることはない。友はせいぜいきみを裏切るだけだ
 無関心な人々をおそれよ。かれらは殺しも裏切りもしない。
 だが、無関心なひとびとの沈黙の同意があればこそ、地上に裏切りと殺戮
 が存在するのだ

思うにパレスチナ問題は単にイスラエルとパレスチナの問題ではない。中東問題だけでもない。それはこの地球上に存在するおびただしい不合理な暴力、強者の弱者に対するいじめ、権力者のおごりと偽善、逃げ場のない絶望などの象徴なのだ。だから私はパレスチナ問題に強い関心を持つのだ。
アミラ・ハスというジャーナリストは有名なジャーナリストらしい。私が知らなかっただけだ。それでも今、私は彼女の存在を知った。
「怒りが私にエネルギーを与えているのです」、「世界の如何なる問題にも私は抑圧される側に立ちます。第二次世界大戦のときなら、私は日本に反対する立場に立っていたでしょう」、「私は傍観者にならない。傍観者であることは無関心だということです。つまり不正義に対し無力感を持ち、何もしないということです」、「(報道は客観的でなければならない、一方の側に立って書くことはあってはならないとよく言われるが)それはまったくナンセンスです。もちろん伝える情報は公平であるべきです。いろいろな情報をチェックする必要はあります。しかし自分の意見は持つべきです。私たちは牛やロバではない」などと語るアミラ・ハスの考え方に、私は限りない共感を覚えるのである。

天木直人のホームページ
http://amaki.cc/

4480837132.jpg
パレスチナから報告します 占領地の住民となって アミラ・ハス (著), くぼた のぞみ (翻訳)
筑摩書房
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480837132/250-9591804-1495412
posted by PPFV at 19:54| Comment(0) | TrackBack(1) | ニュース拾読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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