http://roughtone.air-nifty.com/passing_strangers/
で見つけたエントリー『玄界灘にて』
http://roughtone.air-nifty.com/passing_strangers/2005/04/post_6881.html
日本と朝鮮半島の関係を考える上でとても興味深いです。
時の首相自ら「敵軍を弔う」ことを行い、そしてそれを称賛するという関係があったんですね。
知りませんでした。
そのような首相がいたことはもっと注目されていいかもしれません。
《拙ブログ関連エントリー》
[読売新聞社説]靖国参拝問題 国立追悼施設の建立を急げ
http://ppfvblog.seesaa.net/article/4156779.html
このような碑を除幕するのに、総理大臣まで駆けつけた時代もあったのですね。このようなことはもうないのでしょうかねえ。
ただ、当時の日本は、「大東亜」の盟主を自認しており、そのアピールもあったのかもしれません。招かれた張作霖は当時日本の影響力の大きかった軍閥ですし、田中首相は、国民政府のすすめるの北伐に対し山東半島に三度も出兵するなど、執拗に干渉し続けていたことは確かです。
張作霖はその後、蒋介石の北伐軍に敗れ、国民政府に下ろうとしたところを爆殺されました。もはや無用な存在となったということでしょう。
なるほど、そういう思惑もあったんですね。
はたして現在の首相はどういう思惑でああいう行動に出るのでしょうかね。
それにしても当該記事「名古屋城博物館」のことなど興味深い話でした。そう遠くない場所なのでぜひ行ってみたいと思います。
日本と朝鮮半島の関係を考える上でとても興味深いとのことですが、朝鮮出身者が多かったにも関わらず、蒙古塚。しかもそれを張作霖が賞賛する。このねじれが戦前の体制を象徴しているように思います。高麗兵は弔ってあげないのね。
しかし、それでもなお敵を弔うという姿勢が建前としてでもあったことは記憶すべき点であるとは思います。やっぱ、神道信者としては殺しちゃってごめんなさい、恨まないでねっていう情けなさに立脚しなければならないのではないかと思います。そう考えなければ、A級戦犯と例えば平将門を同列に祀ることが出来ないしー ここらへんの神道の中での整合性はきちんとしておいたほうがいいと思うのですが、やろうって人はいないかなぁ。
こういう場合にふさわしい例は、敵国大統領ルーズベルトの死を悼んだ鈴木貫太郎首相になるでしょうか。
またまたぁ(笑)
その上奏文とやらは偽造されたものなんですが。つまり中国は今現在も嘘を教科書に書いているわけで、致命的なのは中国かと。
とりあえず勉強不足も甚だしいですよ>Fine Motion氏