FREE SPEECH─「自由な言論」は何処にある?http://takeyama.jugem.cc/はメーリングリストにも参加して気に入っていたブログだが、あるときからか「世に倦む日日」を取り上げるようになってからさっさとやめてしまった。
ここまではあくまで私の「印象」であるから下らない余談である。
以来、「世に倦む日日」は一度も覘いたことはなかったが、ここのところ
STOP THE KOIZUMI − 改革ファシズムを止めるブロガー同盟
http://critic2.exblog.jp/1260870#1260870_1
という呼びかけがある。
「反小泉」という立場でブログ内で共闘しようという考えには基本的に賛成である。しかし呼びかけ人のスタンスに大いに疑問があると考えるので、私は賛同しない。
1.そもそも呼びかけ人自身「小泉政治」にどれほどの危機感を覚えているのか甚だ疑問である。
《参考記事》
共産党は小選挙区票を民主党に流せ − 社民と共産は合同せよ(2005/9/6)
http://critic.exblog.jp/3423598#3423598_1
共産社民の二党は全く信用できない。私は共産党と社民党ほど国民を愚弄した政党はないと思う。共産党と社民党の欺瞞に較べれば、小泉劇場の演出政治の「騙し」もまだ可愛いものだ。
「筆が立つ」とのもっぱらの評判なので逆説的表現という可能性も無くはないが、私なら冗談でもこのようなことは言わない。「コイズミ的政治」に真っ向から対立する立場の政党を「欺瞞」と切り捨て「小泉政治」はまだ可愛いと言い切る。そこに「コイズミ的政治」に対する危機感は感じられない。その上で「反小泉同盟」を訴えられても困るのだ。これまで「コイズミ的政治」に異を唱える地道な活動は色々な形で行われているが、それを「欺瞞」と言いその努力を無にする根拠は示されていない。
2.「右翼でさえも共闘すべきだ」と主張する呼びかけ人が、共産社民をこれほどまでに批判する意図(批判の根拠も明らかではないが)は何か。
特に共産についていえば当初より一貫して「反小泉(的政治も含めて)」を標榜する党である。呼びかけ人の主張に賛同すればそのことを否定することにもなりかねない。「反小泉同盟」に賛同して「反小泉(的政治)」への取り組みを否定することになる。
以下のエントリーでは
憲法9条を守る政治戦略 − 唯一の隘路としての護憲新党(2005/5/6)
http://critic.exblog.jp/2666892#2666892_1
議席を極限まで減らしながら、まだ政党の体裁を暫く維持できると考えている。あるいは消滅するまでは政治貴族の身分を離さず、国会やテレビで偉そうなことを言って政治家稼業を続けようとしている。社民党や共産党がいくらテレビで正論を吐いても、議席にならない死票は誰も投じない。未来のない政党に誰も期待はしないのであり、NHKの討論会でこの二党が席を持っているのは単に過去からの特権に過ぎない。
二党は不要であり、もはや存在の意味がないのだ。
とまで言い切っている。「不要でもはや存在の意味のない」その二党に対し、先の総選挙では比例、小選挙区それぞれ860万票余り、600万票近くが投じられた。
3.「反小泉」の次にくる者は何か。「反小泉」と一言でいってもそのスタンスは様々である。たとえば「護憲」を願うものにとって「不要でもはや存在の意味のない二党」以外にどのような選択肢があるのか。もはや「民主」にそのような幻想を抱くことはありえない。
呼びかけ人は「共産党は小選挙区票を民主党に流せ(2005/9/6)」との主張ののち、選挙を終えてまもなく以下のエントリーである。
二大政党体制からファシズム体制の時代へ − 民主党の終焉(2005/9/14)
http://critic.exblog.jp/3467096#3467096_1
岡田克也は惨敗の夜の生中継で「次の選挙で必ず政権交代する」と言った。が、その言葉をリアリティを持って受け止めた人間は、民主党の議員や支持者も含めて、果たして何人いただろうか。
擬似二大政党制の崩壊 −「政治改革」を宣伝した政治学者たち(2005/9/14)
http://critic.exblog.jp/3467751#3467751_1
この先、小泉政権の「改革政治」が続くかぎり、衆院113議席の民主党は翼賛政党としての存在意義しかあり得ない。
「小泉政権」が終わればその存在意義は変わるのか。「コイズミ的政治」が終わらない限り「小泉」以後もまた大きな問題を抱える可能性は高い。そして相変わらず民主党は翼賛政党としての存在意義しかありえない可能性もまた高い。一体KOIZUMIの何をSTOPさせたいのか、一体どのような「小泉」以後を想定しているのか。徒に戦略家を気取り、地道な活動を嘲笑するような態度には全く賛同できない。
ここに書いてあることを実践して小泉政治を打倒したとしても、また同じような政治を他の人が行うだけのことだと思います。
もし仮に民主党が逆の立場だったら、これが民意だ!と言ってるでしょうね(笑
ただ、政権政党を担うには現実的な政策でいかねばなりません。民主が政権をとるには保守層も取り込まないとなれませんから、ある程度の保守化は避けられないと思います。
ただ、国民は自民が保守であるなら、それに対する民主は革新・社会民主的な政党を望んでいるかと思います。
民主の自民化はあまりうれしくないです。
自分は共産党支持者であるが、21世紀のいまだに共産主義を標榜する事は実に陳腐だと思っている。反面、その確執性ゆえカネによる汚染もなく実直な政党だと非常に高く評価している。つまり捻れた支持者なのだが、他の共産党支持者は果たして共産主義を希望しているのだろうか?
日本の政治は政党政治であるのだから、よりマシな政党を支援しなくて現状は改善しない。そのことをもって、野党は得票しているのが現実なのではないだろうか。地道だろうが真面目だろうが、野党が積極的な支持を受けていないのであれば、おかしな事だし不幸だ。たしかに、仰るように既存政党を否定してところで何があるわけでもない。しかし新たなニーズの存在はこの同盟により示すことが出来る。
「STOP THE KOIZUM」は、「政党があって有権者が選ぶ」から「有権者のニーズによって政党がある」状態へと改善を促す力になると思う。それは嘲笑ではなく愛情であると感じている。
多忙のため改めてコメントもしくはエントリーさせていただきます。
期待通り、かの「呼びかけ人」は見事なエントリーをアップされました。
当初感じた「嫌悪感」がそれほど的外れなことでもなかったとの思いを強くしております。
あんな餓鬼の言葉遊びに付き合うほど青二才でもないので、あのあとさっさとリンクを解除した小生のコメントに、懐かしいPPFVさんからのTB。
元気? 小生、ただ今、共産党議員がこれまで以上に、地域の人々と一緒になって現実の社会や暮らしを変えていけるようサポーター活動中のため、BLOG更新も儘ならない。もうしばらくはこんな状態だが、いずれ近いうちに、またカキコできるようになるだろう。今は書きたいことがあっても、そんなことより優先すべきことが、現実の世界には多すぎる。また復活したら、そんときゃ、よろしくね。
おっと、彼女にもよろしく伝えておいてね(^^)
ちなみに新党ができても、ネーダーが一人増えるだけです。
民主党が分裂したら、それこそ自公の思う壺です。
もしも社民党か共産党の得票が伸びたとしても、たとえば共産=民主=自民になった瞬間、公明党の力で小選挙区は自公が総取りするのです。
選挙制度が悪いなら、とにかく現状を変えなければいかなる主張も国勢の場に反映できない、この状況に対する危機感は共有できるのでは?
現実的には、少数の主張を国勢の場に反映するには…武力革命を除けば…野党が結集して、選挙制度改革と民主化までの憲法改正凍結を条件に自公をぶち壊すほかないのではないでしょうか?
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民主党に対する幻想を早く捨てることが第一だ。
彼らは早晩、自民党と合流することは明白だ。それが見えるからこそ、小沢副代表でさえ焦りを隠せず、テロ特措法延長に賛成する民主党内の動きを批判しているわけだ(夕刊フジ14日付)。
今必要なことは、地域に根を張って時を待つことだ。時とは、2年後の参院選であり、その次の総選挙だ。そこで庶民のための政治に変革していく上で、中間の地方議員選挙がある。
気持ちが逸ることは十分に分かる。だがしかし、「急いては事を仕損じる。」
庶民の改革とは、庶民自身が必要性を認識しなければなし得ない。これから益々庶民にとって息苦しい世の中になっていくだろう。そのときに、変えていけるチャンスが中間地方選挙や2年後にあることを理解してもらい、そのために勢力を伸ばしていくことが、今必要なんだと理解してもらうことが大切だ。
言葉でどう言おうと現実の行動が庶民の改革にとって正反対の民主党なんぞに、期待を賭けてはならない。
彼らは、野党ではない。第二自民党だ。人を見るときの第一の着眼点は、その人の言葉ではない。行動だ。何をしようとして何をしているのか。また最近何をしてきたのか、だ。言葉に幻惑され、期待を持たされ、現実の彼等の行動から彼等の本質を見ぬことができないなら、庶民の改革はなし得ないことを、肝に銘じておくべきだ。
もう一度言う。民主党は野党ではない。期待してはならない。
大いに賛同できるコメントですが、特に私も強く思う(危惧する)のはこの点です。
「世に倦む日日」を利用するのもひとつの「手」かもしれませんが、それによって失うものの大きさに配慮する必要があると思います。
小誌で「世に倦む日日」を取り上げるようになってから、小誌のチェックをやめてしまった、というエントリーをたまたま見つけました。
もしも本当に「世に倦む日日」を取り上げたことだけが理由であれば、それは残念だなあと思い、一言コメントしたくなった次第です。
また、気が向いたらお寄り下さい。
いつも「力が抜けていながら鋭い視点」以前より愛読させていただいてます。
メーリングリストをやめさせていただいたのは、仕事中でもメール送られてきて目にしてしますので、「かのエントリー」は仕事に支障をきたしますので(苦笑)
仕事の支障にならないときにブログのほうはいつも拝見しております。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
PPFVさんのご指摘に私も全く同感です。そのなかでも、とくに3.は、「STOP小泉」を標榜する以上、大変重要な問題だと思うのですが、残念ながら件のblogではいくら読んでも出てこないばかりか、自民党に食い込んで「一体不二」の関係になりつつある公明党・創価学会をも評価する発言が目立っています。私はこれに大きな疑問を感じていました。
もちろん、ゆるやかな意見表明・交換の場ですから、小泉「的」政治のどのような部分に強く異議を唱えるかは、そこに集う人それぞれ、という部分はあるでしょう。しかし、だからといって、“小泉にエールを送る前原”的政治でも“ポスト小泉”的政治でもよい、ということでは、「STOP小泉」を掲げる意味が全くなくなると思うわけです。
また、同blogの筆者氏による日本共産党論については、「Keep the Red Flag」にも書いたように全く首肯できませんが、同党がCommunist Partyであることに対する意見の違いは別としても、あのような論拠も論理も不明な罵倒を加えることには「STOP小泉」という“大義”にとって積極的な意義はないと思います。
また折に触れ、PPFVさんのご教示をいただければと思います。よろしくお願いします。
筆者氏が今後、まわりの声に耳を傾けるようになっていくのか、「入り口は『反小泉』、中は反共」という路線を先鋭にしていくのか、入り口すら変わっていくのか、は分かりませんが、よく見ていきたいものです。
コメントいただきまことにありがとうございます。
>自民党に食い込んで「一体不二」の関係になりつつある公明党・創価学会をも評価する発言が目立っています。
このことは私もエントリー中で言及こそしませんでしたが、非常におかしいと思う点です。キャスティングボートを握っている(いた?)という点で公明と共闘することが「戦略的」に重要であるとの主張と受け取れますが、果たして「今の在り様」にそんな立場をもって大いに貢献している公明の現状に対する批判は何故ない?と思います。
政権奪取の議論(空想)に終始し、日々行われる政治(国政のみに限らず)において共産党が果たしてきた役割の重要さを一顧だにしていません。凋落の一途という主張も眉唾ですが、仮にそうであったとしてもその原因をすべて党の運営に求めることにも全く納得がいきません。メディアにも大いに問題あります、ブロガー同盟とはそれに対抗するためでもあると思います。
ご教示などとんでもない。こちらこそ今後ともよろしくお願いします。