2006年02月24日

[JCJフラッシュ]NHK改革 国際放送の強化とCM導入論議にうつつをぬかす政府と官僚

JCJフラッシュ2006/2/24 994号
http://blog.mag2.com/m/log/0000102032/106992145?page=1#106992145
Y・記・者・の・「・ニ・ュ・ー・ス・の・検・証・」

□■NHK改革 国際放送の強化とCM導入論議にうつつをぬかす政府と官僚

 与党がしっかりしていないと、野党もその水準にとどまってしまうのだろうか――
ライブドア「ホリエモン」のメールをめぐる民主党議員の空回りが国会を空転させ、メディアもその話題に踊らされている。私たちの国の国会のレベルがあらためて問われるものであり、やはり「二大政党制」のイメージなどなんら根拠もなく米国に追従することしか思いつかない単純思考の輩のモノマネでしかないことがはっきりしてしまった。

 国会の体たらくは、メディアの問題でもある。メディア、特に放送はワイド番組に報道を組み入れることで「政治」を「お茶の間」に引き寄せるという「功績」を積み上げてきたと自負するむきもあるようだが、視聴者もあきれる「お子ちゃま」政治の表面化は、政党や政治家の水準だけでなく、メディアが総体として想定する「政治レベル」が低すぎることを暴露しているようにさえ思えてならない。

 いまの国会法関連報道を、政治家のせいとして放置せずに、メディアが政治と政治意識の水準を引き下げていないか、いま伝えること、いま言うべきことを先送りしたり、論点提起の優先順位を誤ったりしていないだろうか。相変わらず政治を永田町のムラの出来事、ムラ社会のスキャンダルに貶めていないかどうか。

 国民を政治的無関心の状態に追い込み、日常的な政治談義から遠ざけている理由は、もはや単に労働環境や生活環境のせいばかりに押し付けることはできなくなっているといえよう。個々人の努力以外に、社会科の学習で「現代」を広く深く学ぶ機会が確保されず、また地域、職域での共同体の崩壊が顕著な中、時代認識の形成は、実態的にはマスメディアに過度にゆだねられる結果となっている。

 政治家の中には、あえて社会認識、知性、世論の形成に「貧富の差」(=格差)をつけることを奨励するかのような発言をしてはばからない者もいるようだが、メディアは、メディア各社は、自分たちが生み出している「情報環境」について、もっと自覚的に検証し、メディアに付された社会的役割を十分に果たしていくための手立てをこうじていくべきだろう。

■いま求められる「公共放送」とは

 その意味では、デジタル化の波でひとつの激変期をむかえている放送の今後を考えていくうえで、公共放送=NHKの現状とこれからの姿をいかに描いていくのか。私たちは政治や事業者が想像力を失っている今、市民自らの手でその姿、方向性を導き出していかねばならない。時代ズレし、自民党の政治的思惑以外になんら意味などない改憲論議よりも、日本のかたちを整えていく上で急ぎ必要になっているのは、市民的議論の場の確保、設定である。

 市民社会に眠る力を引き出すような高機能、高水準の市民的議論の場の形成と公共放送の姿を市民的議論のなかで描き出していくことは、放送以外の新聞、出版、インターネット、広告などのメディアの進展に追いつき、あるいはそれらのさらなる進展を促すうえでも重要な意味をもってくることは想像に難くない。

 日本の公共放送の担い手であるNHKに対する「評価」は、いま踊り場にある。NHK自身の番組作り自体に大きなゆれが起きていることが背景にあるだろう。ここでいちいち番組名を取り上げることはしないが、ニュース番組では、まるで国や地方自治体の「広報」機関を自認するかのような、それも政治的に大きく議論が分かれるようなテーマでさえ、無責任に垂れ流す傾向を強める一方、NHKだからこそできたと思われるような優れた番組も数多くなっている。職員個々の努力、がんばりをみてとれるが、俯瞰して総合的に見た場合、おそらくこれがNHK流の処世術なのだろうと思わざるを得ない。

 これではいま求められる公共放送とはいえない。時代から与えられているミッションそのものが、もはやNHK単体の力量では担い切れなくなっているのだろうか。かといって、そもそも公共放送は政府の持ち物ではない。公共放送という名が示すとおり、担い手は政治家でも政党でもない。長くNHKが言葉にしてきたとおり「みなさま」のものなのである。

 それは受信料を支払っているかどうかの問題に帰されるような単純なものではない。抗議の意味で受信料支払を留保する権利は、これは保障されねばならない。社会生活を維持するのが困難など受信者個々の所得の事情による場合も、これは支払義務の免除などが勘案されてしかるべきでる。

 その場合でも、NHKのオーナーの一員であることは妨げられるべきではない。そして撮影用機器、記録・送受信媒体などがこれだけ高度化し、かつ広く普及し、ユーザーの表現意欲、表現力、技術的水準も高まりをみせているいま、「公共放送」の概念は、根本から見直されるべき時期にさしかかっている。

 公共放送とは何かを、いまのNHKの力量の到達点・蓄積を大切にしながらも、外形の姿に惑わされずに、自由に構想の羽を伸ばして考えるときではないだろうか。「放送と通信の融合」というテクニカルな課題は、送り手と受け手の分離状態が流動化することを意味している。

 これは視聴者参加番組が、受け手の番組への参加など意味していなかったように、受け手、視聴者の存在をそのままの状態に固定することを目的とするようなビジョンでは、時代の要請にこたえることはできないだろう。市民の実質的な参加と成長を促進するコーディネーターとしての役割を果たすためのルール作りや学習・実験・製作施設も含めた総体としての「公共放送」のソフトづくりを目指すべきときを迎えているのである。

■公共放送と市民社会の相互関係

 しかしながら、現在の公共放送をめぐる議論は、NHKのアジア向け放送など国際放送の充実とその際の広告をめぐる議論や、4月に始まる受信機能付き携帯電話向けのワンセグ放送の付加サービス部分の一部有料化など、非常に狭く、また目先の事象に終始したものとなっている。

 10日の閣僚懇談会で小泉首相がNHKの国際的な発信力の強化を検討するよう竹中総務相に指示した。18日麻生外相が「アジア版NHKを断固つくるべきだ。ついでに広告も取れ」と発言した。20日総務省の林省吾事務次官が国際放送に限ってNHKの広告収入を認める可能性を示唆した。21日竹中総務相が、国際放送では受信料以外の財源確保も検討課題との認識を示した。

 こうした動きに対して、22日TBSの井上弘社長は「(受信料という)あちらの懐具合の中でやってもらうのはいいが、だからといってこれ(CM)をやらせろというのは本末転倒だ」(共同通信、以下同)と批判。23日テレビ東京の菅谷定彦社長は「NHKがまずやるべきことは信頼回復で、広告を取るなんてとんでもない話だ」、「民放は広告収入、NHKは受信料の二元体制でバランスを取っていくのが一番望ましい」と指摘し、国際放送にCMが導入されるなら「私も受信料を払うのをやめる」と述べた。同日フジテレビの村上光一社長も「広告となると、民放としては神経質にならざるを得ない」と警戒感を表している。

 また、22日将来はNHKの橋本元一会長は、4月に始まる携帯端末向けの地上デジタル放送「ワンセグ」について、将来的には受信料以外の料金を課すことも検討する考えを示したりしている。

 政治家や官僚やNHK幹部の発言がすべて不毛だとはいわない。だが、枝葉末節にとらわれる姿は、政治家や官僚が「公共放送」について道具や管理の対象としか見ておらず、そのため貧困なイメージしかもたないことを如実に示している。これではせっかくの高度なデジタル技術も、宝の持ち腐れで終わってしまいかねない。

 そうした視野の狭さが、日本社会が醸成してきた数多くの技術や人材、事業領域をせばめ、成長機会を喪失させてきた(→例:『発想力』―インターネット登場前に新たなネットワークシステムを考案したNTT社員の記録、寺町進著・小鷲順造監修、06年2月アーバンプロ出版センター刊)。

 これは例えば先日、戦時下最大の言論弾圧とされる横浜事件の再審公判で「免訴判決」が言い渡されたことなどに象徴的に表出される、日本の公権力機構の前近代性、誤った「継続性」にもみてとれる。いったいなぜ「免訴」などという判決を出すことができるのか。治安維持法そのものの間違い、拷問で命と言論を封殺することの間違いを明らかにし、そしてそうした体質をかつてもっていた公権力との決別こそ、司法は宣言すべきである。

 公権力のなかにいまだに残る古臭い「お上」の機構が、市民力の創出・噴出をさまたげ、社会の健全な発展を阻害している。日本の市民力がフルに発揮される社会づくりこそ、いま課された課題である。そのためのルールづくりも含めた社会ソフトの形成・積み上げを決定的に欠いている現状を打破するためにも、NHKを軸とした市民的「公共放送」のビジョンを時代に対応した形へとバージョンアップすべきである。


 その際には、市民参加だけでなく、平和主義と人権と公正を基軸とした日本型ジャーナリズム、つまり日本国憲法の精神を世界に発信する主体としてのジャーナリズムの再生、勃興、未来社会への継承も視野に入れていくべきだろう。NHKの民営化だの、NHKの存続、生き残りだの、あるいは「アジア版NHKを断固つくるべき」(麻生太郎外相)の狭く、短期的なものの見方では日本社会に眠る膨大な市民力を立ち上がらせることはできない。

 まして必要なのは、ハコものではない。カタチだけではない。何をアジアに、世界に発信するのか。どのような情報内容であれば、発信する意味をもつのか、拍手をもって受け入れられるのか。それを欠いた勢いだけの言葉など、私は何の意味ももたないと思っている。

 歴史を踏まえ、基本理念を再確認し、主体となる牽引車を全市民と再規定し、人、モノ、資金、技術(ハード&ソフト)、情報などの資源を、政府・政党や官僚のためではなく、市民のもの、社会のものへと再構築する作業こそ、「公共放送」再構築に求められている。

 NHK再生に政治、いや政治臭でも介入すれば、本来有効であるはずのいかなる議論も、その意味を失うことになる。NHK再生の議論は、すべてのメディアの将来にかかわってくる。またそれは、今後の日本の市民社会がいかに発展していくかという方向性にも深くかかわってくる。そうした自覚に立った自由闊達な議論のための枠組みづくりこそが求められているように思うのだが、どうだろうか。


<総務省>NHKの広告収入を認める方向 事務次官が示唆(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060220-00000080-mai-pol
CM導入は「本末転倒」 TBS社長、NHK改革で(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060222-00000231-kyodo-bus_all
国際放送のCM導入に反発 テレビ東京菅谷社長(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060223-00000173-kyodo-ent
CM導入なども検討課題 総務相、NHK国際放送で(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060221-00000089-kyodo-bus_all
将来はワンセグに別料金も NHK会長が検討表明(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060222-00000171-kyodo-ent
『発想力』インターネット登場前に新たなネットワークシステムを考案したNTT社員の記録
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489981156X/qid=1140748293/sr=1-6/ref=sr_1_8_6/249-3711009-5839556



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