2010年09月07日

いつまでも浮かれてていいのか

実にくだらなくて申し訳ないんですけども、阿修羅のこんな投稿見てるといろいろと考えさせられます。
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/795.html
とか
http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/762.html
とか。

小沢氏に期待して浮かれるのも結構なんですけれども、そもそものそもそもな話、小沢氏は「国民の生活が第一」な政治家だったんでしょうかね。ある人に言わせれば、彼こそ「信念の政治家」だし決して「政局の政治家」なんかではない!ということなので、あれは決して変節ではないということなのでしょうが、私から見れば変節、いやそれを装っているとしか見えないのは気のせいでしょうか。第一あの顔に「国民の生活が第一」は似合わない。顔は関係ないか。
もともと「国民の生活が第一」で政権交代成し遂げたんだし、その期待を裏切った菅氏の叩かれぶりみて、まだそれを装うが得策と踏んだのかどうか・・・そんなことは私にはわからないですが、とりあえず、「国民の生活が第一」なんてどうにでも言い訳できるキャッチフレーズを、自分の思いたい風に解釈して期待しまうのはどうなの?と思わざるをえません。小沢氏にはそう簡単には曲げられない政治信条もあるでしょうから。

ちょっと議席を減らしただけで「ソーカツソーカツ」とうるさい人たちもたくさんおいでのようですけれど、この厳しい雇用状況はじめ種々の問題にいっこうに打開策を見出せない民主党政権を冷静に見て、この政権交代はほんとうに正しかったのか、政権交代の期待に浮かれてさんざん煽りまくった自分たちの行動は正しかったのか、政権交代より他によい選択肢はなかったのか・・・などなど、いつまでも浮かれてないでそろそろソーカツしてもよろしい頃かと思いますけれども。


posted by PPFV at 20:25| パリ ☁| Comment(4) | TrackBack(1) | 政権交代真理教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真理教徒の辞書に「総括」の文字はない。
真理教徒の思考回路に反省システムは組み込まれていない。
脳のメモリが都合よく貧弱というか、現在と整合しない過去の情報記録は自動的に消去(忘却)される仕組みなので、総括や反省には至らない。
消去された情報記録を外部から再入力しようとすると、セキュリティシステムが「ウィルス」とみなして受け付けない。

・・・ですから。

ゆえに、おめでたく浮かれることができる。ハッピー♪
もちろん信者脳内限定ですが。
Posted by latter_autumn at 2010年09月08日 17:42
latter_autumn さん さすが鋭いです!
思わず笑ってしまいました。

まあ、ある意味幸せなのかも知れませんが・・・


Posted by えちごっぺ at 2010年09月08日 23:20
latter_autumn氏が五十嵐先生をdisりすぎではないかと思うので。

五十嵐仁の転成仁語
「9月17日(金):出口のない閉塞空間に入り込んでしまった日本の政治」
 昨年の政権交代で、自民党政権は国民によって拒否されました。しかし、それに代わって登場した民主党政権も、日本政治の打開策を提示できず、迷走を繰り返してきたことは、皆さんご存知の通りです。
 今回の代表選は、そのような迷走から抜け出す一つのチャンスであったと思います。しかし、その代表選でもなお、根本的な転換の方向は示されませんでした。
 結局、政権選択において、あれ(自民党政権)もダメ、これ(民主党政権)もダメ、ということになりそうです。そればかりではなく、民主党代表選でも、結局は、あれ(菅さん)もダメ、これ(小沢さん)もダメ、ということだったわけです。
 「ダメさ加減」の少ない方の選択として民主党政権が維持され、その政権の担い手として、やはり「ダメさ加減」の少ない菅さんが選ばれたというのが、この間の経過にほかなりません。誠に、不毛な選択というほかないでしょう。
 政治とは、もともと「より小さな悪」の選択という性格があります。ですから、「ダメさ加減」の少ない方を選ぶことは、政治本来のあり方かもしれません。
 しかし、どちらを選んでも、すっきりとした解決策が示されないというのは、何ともやりきれないものです。根本的で正しい解決に向けての選択肢があるのに、それを選ぶことができないもどかしさを感じます。
 今、日本の政治は、出入口が一つしかない部屋に入っているようなものかもしれません。民主党政権という部屋です。
 この部屋が気に入らない場合には、その一つしかない出入口から出て、もう一つの部屋に入るしかありません。自民党政権という部屋です。
 そしてその部屋は、もう耐えられないということで昨年の秋に出てきたばかりの部屋です。それ以外の部屋に入ることのできる可能性は、今のところ、現実的な選択肢とは考えられません。
 日本政治の現状は、まさに出口のない状態に入り込んでしまいました。
 それは、「2大政党制」になったからです。小選挙区制を導入したからです。
 小選挙区制と2大政党制による閉じた空間から、抜け出そうとしている国があります。イギリスです。
 今年の5月の総選挙で、保守党と自民党の連立政権が発足しました。
 イギリスは、何とか2大政党制という閉塞空間から抜け出そうと苦悶しています。その空間に、日本の政治は入り込んでしまったのです。
 その空間からの出口をうがつべきときに、菅政権は比例代表定数の削減などというあべこべの政策を強行しようとしています。何という愚かなことでしょうか。
Posted by bogus-simotukare at 2010年09月17日 08:02
五十嵐センセイもおめでたく浮かれていた一人ですからねぇ・・・。
センセイのたまわく、

「最初から政策的な違いは明瞭であり、菅さんが自民党時代の官僚主導型の政策と政治運営に戻ってしまい、政権交代の成果を無にしてしまいそうになったから、危機感を抱いた小沢さんが立候補を決意するに至ったのです。」

「日本の進路を託すに足りる人、せっかくの政権交代を未来につなげることができる人は、菅さんと小沢さんのどちらなのか。この問いに、国民の誰もが答えなければならないのではないでしょうか。」

「選挙になったのなら、小沢さんに勝ってもらいたいと思います。確かに、小沢さんは「政治とカネ」の問題を抱え、古くさい政治手法や親しみにくいキャラなど、支持しがたいところもありますが、それでも内容のない「空き菅」よりはましです。どちらが古い自民党政治からの転換を実行できるのか、どちらが自民党にとって望ましくない候補なのかという点から発想すべきでしょう。それは、今の時点では、明らかに小沢さんだということになります。」

やれやれ。センセイは小沢という人物の本質がまるで解っていない。
小沢自身が古い自民党政治の代表者の一人であること。
小沢流の「政治主導」なるものは「土建族議員としての利権誘導」以外の何物でもなく、それは小沢が自民党にいた頃から全然変わっていないということ。
新自由主義への親和性が強いこと。
「国民の生活が第一」などという言説は隠れ蓑にすぎないということ。
小選挙区制導入の張本人であり二大「保守」政党制の強力な推進者であること。
改憲指向であること。
何となれば躊躇うことなく自民党とも連立できるという「政策的な立ち位置と距離」があること。

それらを見極めることのできないセンセイの目は節穴。
小沢が菅よりマシなんて冗談じゃない。どっちもどっちですってば。マジで。

永久に妄想に耽っていることができるのであれば、それは信者としか言い様がないです。
Posted by latter_autumn at 2010年09月23日 17:51
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いったい何に期待をするのやら
Excerpt:  民主党代表選なぞ全く興味が持てない今日この頃だが、メディアもネットも大騒ぎとあ...
Weblog: M. H. Square.
Tracked: 2010-09-09 00:18
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