今度は橋げたです。相変わらずの放射能不安によるドタバタはまだまだ収まりそうにありません。放射能不安に対する自治体の過敏すぎる反応にはむしろ世論はより多くの批判も寄せるわけですが、にもかかわらず自治体というものは毅然とした対応を取ることができない・・・何を恐れているんでしょう。
たとえば京都の被災マツなどはオロオロしている間に結局こんな有様です。
五山送り火使用断念、被災マツ処分暗礁(京都新聞2011/10/1)
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20111001000023
もっとも私の経験から言えば、近所にできる橋に使われる橋げたが日本のドコで作られたモノであるか・・・などというマニアックな情報なんか未だかつて聞いたことありませんし、こんな時期だからとわざわざ橋げたの「産地」まで説明会で披瀝したのかと、ちょっと不思議に思わないでもありません。
「送り火」のこととか「花火」のこととか、そして今回の「橋げた」のこととか、さすがに反原発のブロガーからも「ええかげんにせい」という声も上がっているようですが、曰く「そこまで敏感になってるからにはその原因である原発にはもちろん反対なんでしょうね?」とか、曰く「まずは(原発依存からの脱却への)政策転換のために行動するべき。根拠なき放射能被害を煽り立てるな」とか。
まるで「原発反対」ならばそんな言動も許されるとでも言いたげ、あるいは「煽り立てるなどつまらぬこと。そんなことより政策転換を訴えよ」と「煽り立てることがつまらぬこと」はその通りなのですが、その実害の大きさについてはあまりに過小評価し片付けてしまっているところがまことに気になります。
しかし、もしこのたびの放射能過敏な人が「もともと原発問題なんかに興味もない人」だとするならば、それはたぶんにどこかの誰かに煽られたからだと思うわけですが。「誰か」とはたとえば「某首都圏地方新聞」だったり「ゴシップ週刊誌」だったり、そして「反原発ブロガー」だったり「Twitterデマ」だったり。
なのに「煽るな」といわれてもね。
巷に溢れる差別的言動(それも生活を脅かしさえする)を容認できるような政治主張などに興味はありません。
余談ながら、とあるブログでは「非国民通信」さんと拙ブログについて
「共産主義?が原発維持に結びつくタイプもあるから困ったものです。」
と評しておいでですが、私は「共産主義者」でもありませんし「原発維持派」でもありませんので困られても困ります。おそらく「非国民通信」さんについてもその指摘はちょっと違うのではないかと思っておりますが。
私はむしろ「共産主義が差別主義に結びつくタイプがあること」に落胆しております。
脱原発運動自体もおよそ非現実的で理性を欠いている(その点ではかつての徳田球一らの極左冒険主義と似たようなもの)のだから、それで成功する方がおかしい訳で。
とは言っても、脱原発真理教の危険神話を放って置くと差別の被害者が増え続けるので、さてどうしたものやら。東京でもまた「がれき持ち込むな」だそうで。
某首都圏(&中京圏)地方新聞は・・・。
http://www.pressnet.or.jp/info/rinri/rinri.htm
↑これをきれいさっぱり忘却してるんですかねぇ。
激しく同意です!
でも脱、反原発の塊。何とかなんないのかなぁ。
原発反対の盛り上がりのために、がどれだけ毒害をだしてきたかなんてわかってないし。今も継続中だし。
某新聞社や団体、政党、個人などなど。
デマ流して恐怖を煽り、風評被害をもたらした罪で損害賠償、威力業務妨害
で訴えれば良い。
当初、鼻息の荒くぶち上げた再生エネルギーもすっかりトーンダウンあるいは頓挫していますしね。
放射性物質の危険性について納得のいく説明は反原発派からは聞かれませんし。「わからないからには安心できない」のほぼその一点のみ。そして「用心するに越したことはない」と差別を容認するんですかね。まったく理解に苦しみます。
木綿さん
確かにデマや風評被害によるコスト、あるいはそういった声に対応するためのコストとか莫大なものになりそうですね。
「コストを増大させる」とか「社会を停滞させる」とか色々な弊害が見えてきます。