http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061215/mng_____tokuho__000.shtml
教育基本法「改正」案が十四日、参院特別委で採決され、安倍政権は「最重要」と位置付けた課題の突破に向けて大きなヤマ場を越えた。十五日の参院本会議で可決・成立すれば、「教育の憲法」ともいえる同法に制定以来五十九年ぶりに手が入る。この「改正」がもたらすものは何か。あらためて識者に聞いた。
■作家 早乙女勝元氏(74)
改正案は、「真理と平和を希求する人間の育成を期する」という前文の文章から「平和」をカットし、「真理と正義を希求し」と書き換えている。「正義」とは、イラク戦争のときにブッシュ米大統領が使ったように、権力にとって都合がいい言葉だ。「国と郷土を愛する」という愛国心の表現も、重点が「国」のほうに置かれているのは明らか。地方の農村が疲弊してつぶれている状況で「郷土」などと言われても、ご都合主義でつけられたとしか思えない。
これでは、私ども戦争体験者が嫌というほど経験した国民学校にもなりかねず、「小国民」として教育を受けた後に来たのは、何だったのかを忘れてはならない。国民主権の憲法下で子供のために行われてきた教育が、お国のための教育に戻ってしまう。
権力が戦争を準備するときは、まず教育から手を付ける。憲法と一体の教育基本法が変えられれば当然ながら改憲の動きが加速する。堤防の一部が切れるかどうかという危険な状況だ。防衛庁の「省」昇格法案も成立するといわれており、刻々ときな臭い状況に進んでいるのではないか。
そもそも、うそで固めた「やらせ」のタウンミーティング(TM)で国民を誘導したのが暴挙。マンションの耐震偽装事件で摘発された元建築士ではないが、安倍首相がいささかのお金を払って済む話ではない。国民の支持を得ているという前提は崩れたのだから、廃案にして原点から考え直すべきだ。「右向け右」の時代に戻してはならない。
■安田教育研究所代表 安田 理氏(61)
教育基本法は教育の大枠を決めるものだから、子供たちの学力に直接影響を及ぼすものではない。
しかし気を付けなければいけないのは、教育基本法改正の背景には、教育現場に市場原理、競争原理を導入しようという人たちの動きがあることだ。経済界には、グローバル化の中で国際競争力を維持するために、能力の高い人材を得たいという思惑がある。今後、改正法に基づいて教育行政が行われるようになると、競争原理が持ち込まれていくことになろう。
具体的には、進学実績があげられる学校には十分な予算と優秀な教員がつけられ、その結果、成績のいい生徒が一部の学校に集中していく。その学校にとってはいいかもしれないが、生徒全体の学力を底上げすることにはならない。
経済協力開発機構(OECD)の学力調査で、日本人の学力低下が問題になっている。これはトップのレベルが下がったからではなく、中間から下のレベルが低下したことによる。これを私は「学力のルーズソックス現象」と呼んでいる。
一部の裕福な層では、子供の教育に金をどんどんつぎ込む「過教育」が見られる一方で、生活に追われる親は子供の教育に全く関心も示さない。中流続級が薄くなり、上流と下流に両極化していったのと同様に、教育でも格差が広がりつつある。教育基本法の改正はいずれ、「学力のルーズソックス現象」、つまり学力中間層の崩壊を加速させる恐れがある。そうした事態を私は憂慮している。
■フリースクール「東京シューレ」代表 奥地圭子氏(65)
改正案に反対する一番の理由は審議が不十分なことだ。教育の憲法みたいな法律なのに、拙速過ぎる。議員や一定の識者の話は聞いたかもしれないが、子供や親、学校の先生、私たちフリースクールの声をどれだけ聞いたのか。(やらせ質問の)タウンミーティングの問題には驚いてしまう。自分たちに都合のいい、一定の方向に持っていこうとする意図を感じる。
私は教育基本法が公布された一九四七年に小学校に入学し、小学校の教員も経験した。現場で見てきた者として言うと、改正しても、いじめや不登校の問題は解決できない。いじめは閉鎖性やストレス度の高いところで生まれやすい。いじめ自殺も学校を休めれば避けられるが、実際は「登校圧力」が高まっている。教育基本法が悪いのではなく、法の趣旨を十分生かせて来なかったのが問題。ストレスを緩やかにし、個人を尊重する改正ならいいが、今回の法案は逆に公や国家、愛国心が強まる方向に向かっている。
教育の目標の条文には「態度を養う」という表現がよく出てくるが、心の問題は強制されるべきではない。子供たちは「そういうふりをする二重人格の子が生まれるよ」と話している。「(改正案は)大人に『こういうふうに教育してあげるよ』と言われる感じ」と言った子もいる。
いじめがあったら、学校に行けなくて当たり前。多様な教育をつくり出し、いろいろな個性の子が自分に合った教育を選べるようにすべきだ。改正案は将来に禍根を残す問題がある。今国会で成立させず、審議を重ねてほしい。
■教育評論家 尾木直樹氏(59)
教育基本法改正で一番の問題は「教育の目標」が五項目にわたって掲げられていることにある。教育の目標は各学校や地域、親たちが掲げることであって、国家が決めることではあり得ない。
その内容も「真理を求める態度を養い」とか「勤労を重んずる態度を養う」など、すべての項目で「態度を養う」と規定しているのは、さらに問題を孕(はら)んでいる。
「態度を養う」教育がどのようなものかは東京都教委の例を見ればいい。指が三本入るまで口を開けて君が代を歌うという極端な指導をしている。日本を愛していても気が小さくて大きな口を開けて歌えない子供は、愛国心がないことにされてしまう。
学校現場に形式的なことを要求すればどういうことになるのか。頭のいい子供ほどしたたかで、態度をつくるのが上手だから、「いい子症候群」が蔓延(まんえん)する。大きな口を開けて君が代を歌いはするが、要領がよく愛国心のない子供がこの教育基本法改正によって大量に育てられることになる。教師も子供を外形的な態度だけを見るようになるので、隠れたいじめには気も回らなくなる。
しかも改正された教育基本法は公立小中高だけでなく、私立や大学、家庭教育、生涯教育も対象とするから、生まれてから死ぬまで逃げ場がないということにもなる。それは北朝鮮のような全体主義的な教育に行き着く。そんなことになるとは思いたくないが、改正案を文言通り解釈すると、そうならざるを得ない。
■精神科医 なだいなだ氏(77)
教育基本法改正案では「道徳心を培う」と謳(うた)っている。道徳教育をするには見本が必要だが、改正したがっている人たちがやったのはタウンミーティングでのやらせだ。こういう人たちが推進する道徳教育が役に立つかどうかは、やらせ問題を見れば一目瞭然(りょうぜん)ではないか。
実はこの改正問題が議論されるようになって、初めて教育基本法に目を通してみた。天野貞祐(後の文部大臣)ら保守派といわれる人たちも起草に加わっているが、憲法以上に品格のある文章だと思った。戦争に負け、日本の再生を願って右も左も一致してこういう教育にしたいという願いが込められた法律だ。今の教育が悪いのは教育基本法のせいだなどというのはとんでもない。
そもそも法律や規則で人間をつくろうとすること自体が間違っている。「少年よ大志を抱け」で知られるクラーク博士は、札幌農学校の寮生たちが悪さをして困るので規則で縛ろうとした学校当局の方針に反対した。
その当時の学生の中から新渡戸稲造や内村鑑三ら日本を代表する偉人が輩出されたことは忘れるべきではない。教育の場にどうしても規則が必要というなら、「紳士たれ」の一言で十分だ。
「やらせ問題」で俸給を返上する安倍首相。集中審議で「カネで解決するのか」と突っ込まれると、「失礼じゃないか」と色をなした。しかし返上するカネはもろもろを引いて三カ月で約百万円。八回のやらせ教育改革TMにかかった費用は約八千万円。納税者は随分と損をした。失礼は、どっちだ。 (充)
見る見る気持ち悪い国家に成り下がっていく。
無関心をもってこの政権を支持した人たちも等しく苦痛を強いられることになる。
子どもの親たちは子どもを守るためにさらなる努力と工夫を強いられる。
先人の叡智である「子どもたちの憲法」が無残にも踏みにじられたこの大きな変わり目に私たちはあろうことか親として生きてしまった。
・・・・・・などとは言ってられない。
親たちは子どもたちのために怒りを回復しよう。