[AML 19229] ラサの動きについて A
http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-April/018739.html
[AML 19230] ラサの動きについて B
http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-April/018740.html
出典がはっきりしないけれど、あえて転載させていただく。
大々的になされるメディア報道は疑ってかかるが「吉」。
果たして私たちはあの「イラク報道」から何を学んだのか。
以下、特に印象的な最後の一文。
こんにち、外国の情報を迅速に手に入れる方法は少数のメディアのほかにもある。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアがどのようにイラク報道をおこなったかを知っている先進的な人々は、そのような一部の西側メディアから何を読みとることができるかをイラクの経験をとおして既に学んだ。今度はそれを実際に応用する番である。先に本当のことに気づいた先進的な人々が力を合わせてそれを多くの人々に説明するねばり強い努力を続けるなら、やがて虚偽が崩れるときがやってくる。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアの虚偽報道体質に多くの人が気づくとき、虚偽は人々の良心を汚し続けることができなくなる。その時あざむく者の声は力を失い、多くの人々が本当のことを知るであろう。事実は偽りに勝利するであろう。
元のリンク先は改行がなく読みづらいので、下記に全文転載。長文ですがぜひご覧ください。
拉薩(ラサ)の動きについて ----何を隠そうとしているのか----
情報操作の方法 by三重諏井盾(みえす=いたて)
2008年3月14日の拉薩(ラサ)の暴動の翌15日、CNNのサイトに「焼死の死者10人と新華社、僧院封鎖か チベット暴動」という見出しの記事が出た。そして中国の新華社通信が伝えた内容として、犠牲者の人数やその職業などについて述べられた。この記事ではいくつかのソースから情報を伝えるという形式をとって殺害や放火などの事件について触れている。だが、よく記事を読んでみても、“誰が”犠牲者を殺害したのかについての明確な記述がない。警察側が殺したのか、チベット仏教僧侶側が殺したのか、この最も重要な点がはっきりしない文が続く。このような書き方の記事を見た人々の中には、中国政府が“自分たちが市民を殺したこと” を認めたかのように信じる読者が生まれるだろうことは容易に想像がつく。だが、西日本新聞3月16日付朝刊が伝える3月15日の新華社電には、西蔵(チベット)自治区当局者は放火や略奪で市民が巻き添えになったとの見方を示したことが明かされている。つまり、西蔵(チベット)自治区当局者は、自分たちが市民を殺したと述べたのではなく、市民を殺したのは暴動参加者であり何人もの市民を殺した暴動参加者を告発するというスタンスだったことを知ることができる。このことはもちろん上記のCNNのページの報道ではよく分からないようにされている。このような報道手法は、先ごろ米政府がおこなったイラクへの戦争に関する報道を思い起こさせる。
だが今回が、イラクに戦争をしかけた時と異なるのは、西側諸国の一方的な大量報道作戦によって相手の口の封じ込めをめざす動きがあまりうまくいっていないという点である。なぜか。
イラクの時にも、イラクからイラク人自身による声を世界に伝えようとするインターネット・サイトは、リバーベンドの日記をはじめとして存在していた。彼女ら、彼らはいわゆる西側メディアがイラクに関して歪曲した報道をおこなったり、虚偽報道を繰り返したりしている問題を指摘していた。だが、イラクは中東の小さな国であり、たとえば日本にあるイラク大使館は、毎日一人からの嫌がらせ電話が一日中かかってくるだけでかなりの迷惑になるほどの人手不足という状態であった(注1)。だからイラクの人々が、西側メディアのさまざまな歪曲報道や虚偽報道の影響のもとにある人々にたいして真実の声を伝えようとしても、それらの声は西側メディアの大規模報道作戦によってかき消され、そうすることによって注意深い人でなければイラクの人々の声に気づかないようにされていた。
また、イラクから真実を伝えようとしたジャーナリストは、時に米軍に消される危険を冒してイラクにとどまらなければならなかった。実際、イラクの人々が大量に犠牲となる可能性のあった市街戦を米軍がはじめる前(2003年4月)に、そのような犠牲者の存在を世界に知らせる可能性のある報道関係者のいるオフィスビルやホテルを、米軍はあらかじめ襲っておいた。幼いこどもを持つ記者が、そのテレビ局の入っていたオフィスビルで米軍による空からの襲撃によって殺されたり(注2)、各国の報道関係者が宿泊しているホテルを米政府の戦車が襲い、カメラマンたちが米軍戦車からの砲弾によって重傷を負わせられたり殺されたりした(2003年4月10日付毎日新聞朝刊)。そのホテルで生き残った報道関係者にもその後米軍の監視の目が光り、米国政府は米国政府にとってそこが主権の及ばない外国の土地であることは気にしないことにしてそのホテルに押し入り、報道関係者にたいする調査活動をおこなった(注3)。これらをとおして米政府による情報操作はいっそう西側諸国の人々の目と耳をコントロールするようになり、不正な選挙によって大統領の座を手にした男を最高権力者として仰ぐ米国政府は、自由にイラクの人々を殺すことのできる特権的な地位を手に入れた。
だが、今回は当時とはおもむきがやや異なる。
第一に、米政府の言うことやCNNなどの一部のメディアが語ることは、どこからどこまでが本当のことで、どこからどこまでがウソなのか分かりにくくされていることをイラクの経験をとおして知っている先進的な人々は、今回の拉薩(ラサ)関連の件でもすでに気をつけている。警戒は始まっている。そう簡単にはだまされない。
第二点として、今回は中国政府の発表がいくつかの国語に翻訳されているため、インターネットをとおしてそれらを比較的容易かつ迅速に知ることができ、そうすることによって西側が語る「中国政府の発表」と元々の本当の「中国政府の発表」とを比べることができるし、従って西側の発表がどれだけ「中国政府の発表」を歪曲しているか、西側の報道がどれだけある特定の勢力に偏向しているか、西側の発表が西側に住む人々をどこへ連れて行こうとしているのかを知ることができる。
前回のイラクの悲劇の時と異なる点の第三点として、今はインターネットで動画を送ったり見たりすることがいっそう容易になった。したがって現地で撮影された状況を、まったく他の国にいても、テレビを録画することもせずに簡単に見ることができるようになった。
今回が米国政府による前回のイラクにおける悲惨な破壊行為の時と異なる点の第四点として、中国の人々は世界各地に住んでおり、留学生もたくさんいるという点がある。彼らはそれぞれ滞在先の地元の報道を知ることができるとともに、中国各地にいる友達の生の声をチャットによって知ることもできる。西側メディアの歪曲報道や虚偽報道があまりにもひどい時、それらに気づいた人はインターネットをとおしてそれらの問題を指摘する情報を的確に発信することができる。彼らは発言の権利を取り戻すことができる。
すでにほころびを見せ始めている西側メディアの虚偽報道とはいったいどのようなものなのか。
英国の読者は漢字を読むことができないだろうとタカをくくっていたBBCは、救急車を“軍隊だということ”に仕立て上げた。「英国BBCが同社ウェブサイトで発表した『引き続く混乱を語る西蔵(チベット)人』と題する報道では、医療関係者に協力して負傷者を救急車へ運ぶ西蔵現地の公安や武装警察の写真の説明が『多くの軍隊が拉薩に』とあり、明らかな救急車のマークと医療関係者の赤十字のマークを無視して いる」(注4)(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(1)」参照)。ただし、BBCによるこのごまかしは漢字文化圏に暮らす我々日本人には通用しないごまかしである。
「ドイツN-TVテレビ局の司会は『西蔵の新たな抗議活動』と言っているが、写真のラマ教僧侶と警察はネパールのものである。」(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(1)」参照)
「ドイツRTLテレビ局ウェブサイトでは、ネパールで発生した事件を西蔵(チベット)・拉薩(ラサ)のものとしている」。「その後事実が明らかになり、謝罪声明を発表した。」(注4)(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(2)」参照)
CNNは拉薩(ラサ)の写真を3月17日にウェブサイトに掲載した。もともとの写真には、軍関係車両に石を投げる暴徒らと、石を投げられている車両が写っていた。もちろん、CNNの担当者はこの写真をCNNのウェブサイトに掲載するときに、石を投げている暴徒たちが写っている部分を写真から切り取って隠しておくことを忘れなかった。CNNのウェブサイトには、石など投げようものなら戦車やヘリを持ち出して卑劣に殺しにやってくるあのイスラエル軍ほどの野蛮さはかもし出していないにしても、軍関係車両の部分がきっちり入れられた写真が載せられていた。CNNの担当者は、この写真をちょっと見た人には「中国政府は平和的な行動に対して暴力をふるった」かのようなイメージを植え付けることに成功する確率が高く、これまでだったら西側諸国の人々に、中国に対する否定的なイメージを信じさせるのに役立ち、こうして反中国的な国際世論を作りあげることができるはずであった。
ところが今回、彼らにとって事はそううまく運ばなかった。石を投げている暴徒らの写っている部分をCNN担当者が切り取って隠していることに気づいた人がいた。それに気づいた人がいただけではなく、それをインターネットで告発する人がいた。告発する人がいただけでなく、それを公開するウェブサイトが立ち上げられた(t tp://www.anti-cnn.com)。するとそのウェブサイトに、歪曲報道や虚偽報道がほかにもあることを伝える多くの人があらわれた。こうしてこのウェブサイトは充実していった。もちろん、中国と中国人を悪逆非道の極悪人として描きたい一部の勢力は、これらの虚偽報道の事実を人々の目から隠ぺいしようと工作し、実際、このウェブサイトに卑劣なクラック攻撃をしかけてきた。だがそれは、虚偽報道の事実を世界の人々にたいして隠しておこうとする一部の勢力の卑劣な常套手段を世界に知らせることになった。
西側メディアの虚偽報道を告発するウェブサイト(注6)のひとつである上記アンチCNNサイトには、次のような説明が記されている。このサイトは、事実を歪曲した一部のメディアによる客観性を欠いた報道や虚偽報道を明らかにするためにつくられた。これは個人のボランティアが自発的に開設した非営利・非政府のウェブサイトである。
そして、西側メディアに反対しているのではなく、一部メディアの客観性を欠いた報道を正そうとしていること、また、西側の人々に反対しているのではなく、誤った偏見にとらわれてしまった人々の良心がその偏見のわなから抜け出る手助けをしようと手を差しのべていることが読みとれる。
ドイツの“Bild”紙は、ネパールでの警官隊と僧侶の衝突写真の一部分を切り取って掲載し、「北京オリンピックをボイコットすべきか?」という見出しを付けた(注7)。“レコードチャイナ”は中国に批判的な記事も配信しているウェブサイトであるが、そのようなサイトですらこの件を報じている。
CNNが西蔵(チベット)自治区を「国家」と言いあらわすヘマをやらかしてしまったことについてCNN自身は「たった2回だけ」だと主張したが(注8)、そのような弁明に対して、虚偽報道の回数が少なければ構わないという態度に疑問を呈したり(http://www.visfile.com/tibet.html)、1回の虚偽報道であってもそれを問題視する声が上がっている。「2回までなら虚偽報道しても謝罪しなくてOK」ということになれば、読者にしてみればどの記事が真実であり、どの記事が虚偽報道なのかがいっそう分かりにくくなり、三度目の報道からやっとその報道を信用できるというのでは“何度目の虚偽報道なのか”を各記事ごとにいちいち数えておかないといけないのだから、えらく面倒な話である。一応付け加えておけば、CNNの外の世界における常識では、報道機関が虚偽報道を一回でもおこなうことは問題となることになっているので、多くの報道機関は読者や視聴者からある程度の信頼を付与されてきた。だがCNNは自分で自分の記事の信憑性を失わせて悦に入っている。「人として生まれたからにはCNNみたいになってはいけない」というセリフがはやるというのも(注9)、自然のなりゆきである。
アンチCNNサイトには、ドイツの“N-TV”が、ネパール警察がチベット仏教系活動家を取り締まっているシーンと、中国警察とを、視聴者が混同するように配置をしたことが記されている(注10)。
米国のワシントン・ポストも、ネパール警察がチベット派活動家を取り締まっている写真を使いつつも、中国警察が取り締まっているとする小細工によって虚偽報道をおこなった(注11)。
イラクに米国政府が戦争をしかけるにあたって重要な煽りの役を引き受けることをとおして、多くのイラクの幼い子どもたちが残酷に殺されるのを手伝った米“FOX”は、当然今回もぬかりなく虚偽報道をおこなっている。今回FOXが選んだ手口は、インド警察と中国警察をすり替えるというやり方だった。FOXはインド警察がチベット派活動家を取り締まっている写真を中国のものであると偽って使用した。だが米FOXのこの見えすいた手口は、インド警察の制服が写真の中に写っていたため一発で見破られてしまい、これが中国の写真ではないことが明らかにされた(注12)。ごまかしによって被害者を加害者に仕立て上げることをとおして視聴者にウソを信じさせ、人々の良心を汚そうとするFOXのお決まりの粗雑で野蛮な報道手法がまたばれてしまった。
ドイツの“N24”の虚偽報道も明らかにされている(注13)。この報道ではネパールの写真が、中国における死者として報じられている。偏向した虚偽報道を告発するウェブサイトでは、取り締まっている警察官の着ている服装がネパール警察の制服であることが指摘されている。ネパールの写真を“中国である”としてすり替えるお粗末なやり口だった。
ドイツの“N-TV”のアナウンサーが偽りを口にしたことも示されている(注14)。アナウンサーが「チベットの新たな抗議者」と述べ、その後ろにある写真の説明にも「チベットにおける新たな抗議者ら」と記されているのであるが、その写真の中にいる警官はネパールの警官である。この会社はネパールと中国との国境線を自由に書き換える特権をどこからさずかったのか? せいぜいどこからともなくさずかったのであろう。
ドイツの“RTL”が、チベット関連の報道の中にネパール警察による取り締まりの写真を悪意をもって混ぜ込んでいることも告発されている(注15)。
ドイツの“Spiegel”が、本末転倒の記事を載せていることも記されている(注16)。道路を守る盾の並んだ写真について、このSpiegelの担当者は中国の取り締まりが残虐非道であるかのようなイメージを人々に植え付ける意図をもって「軍が無慈悲な行動で反応した」と訴える作戦に出たが、もともとこの写真を撮影した持ち主であり、その後ラサからネパールに旅行を続けた旅行者のブログに述べられていた事実によってウソがばれた。そのブログの著者は14日の暴動の前日、ラサの状況について聞いていたのと比べて自分が拉薩(ラサ)に到着してからがあまりにも何も起こらなかったので、旅行業関係者が業務の価格を高くするためにわざとラサの状況について大げさに危険そうなことを言っているのではないかと疑っていたほどなのだが、その後15日の彼のブログには(注17)、14日の騒動が非常に早い段階から一般市民を襲いはじめたことについてそのブログ作者、およびその相部屋だった目撃者の誰もが認めていることが記されている。すなわち、冷酷な行動をおこなったのは Spiegelの担当者が人々に信じさせようとした側とは逆の側だった。自分が撮った写真ではないにもかかわらず、その写真の前後関係を好き勝手に想像することによって作りあげた空想上の物語を事実として報道してしまうSpeigelの担当者の無責任な軽薄さはいただけない。
無責任な軽薄さという点では、欧米の一部メディアにひけをとらない日本のあの新聞が思い起こされる。以前から歪曲報道や偏向報道、虚偽報道をおこなうことでしばしば問題になってきた日本のあの新聞についてここで触れないで済ますことは、無責任な軽薄さにおいて随一のあの新聞の名声を汚すことになろう。
あの新聞は1997年1月1日号紙上で藤岡信勝氏が櫻井よし子氏との対談において明らかに事実に反する発言をしたことについて、その後紙上で読者に訂正と謝罪をしなかった(注18)。明治政府国家を美化しようする藤岡氏のねらいは、1902年の「教科書疑獄事件」の事実によって手痛いしっぺ返しを受けることになる。
このように虚偽報道を訂正しないあの新聞は、2003年9月29日、「昭和の日」法案を必死にあおっておきながら、それが廃案になるとそれを報じないことにした(『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.86)。
このように重要事実を伏せる傾向があるという点で問題となっているあの新聞は、2002年3月に沖縄で自衛隊員が少女暴行をおこなった件でも、3月31日までその紙面で触れないでおくことを選んだ(注19)。
広島県教職員組合を卑劣なテロリストが銃撃した一連の事件で「救う会熊本」の理事が逮捕されたとき、例のあの新聞はテロの犯人と「救う会」との関連について触れることを用心深く避けた(注20)。だがこれは、このような右翼テロリストとあの新聞とのあいだの関係について、読者の心に疑惑の念を生じさせる。
米国がイラクに戦争をしかけたときにもあの新聞は、「米国はイラクの大量破壊兵器隠匿施設を実は掌握しており‥‥‥施設を急襲し大量破壊兵器を発見するもようを米テレビなどを使って世界に公開する計画」(2003年3月21日付)などというはなしをまじめに記事にすることによって(注21)、自分自身が信用に値する存在ではないことを人々に知らせることに貢献した。こんにち、そのような大量破壊兵器は存在しなかったことが明らかになっているが、当時、ブッシュは大量破壊兵器がイラクにあると繰り返していた。それを信じた一部の米国人はイラク人をおおぜい殺した。だが大量破壊兵器の存在について、今なお生きているブッシュの言っていたことは真実ではなく、処刑されたフセイン大統領の言っていたことが真実だった。
イラクの幼い子どもたちの目を奪い(ドキュメンタリー映画『リトル・バーズ〜イラク戦火の家族たち〜』)、あるいは腕を奪い、あるいは残忍に殺すことなどをはじめとする米国政府の大量の卑劣な暴力をあおったあげく、ブッシュでさえ困るようななんの意味もない釈明にすがりついたあの新聞は(注22)、イラク市民が米国政府の暴力によって押し付けられた血の犠牲について自己の無責任な軽薄さを隠すことに汲々としている(注23)。
客観的事実を知るために読まれるというよりは、あの新聞が毎回どのように事実をねじ曲げたかを笑いのネタにするためにしか役立たないという観点から読まれるという光栄ある嘘つきの位にあぐらをかいて喜んでいるほど自虐的な、例のあの新聞は、今回のチベットの暴動についてどのような偏向報道をしたか。
3月15日、産経新聞は拉薩(ラサ)の記事において米国政府系放送局(すなわちダライ・ラマ派側)の発表内容をそのまま見出しに使った。市民を殺したのはまるで警察官側であるかのような印象を読者に対して与える狙いがうかがえる。
翌3月16日、あの新聞は予想通りダライ・ラマ派側の発表を見出しに使うという行為を繰り返した。また、第1面の本文のはじめにもってきた文においては、「僧侶らによる大規模騒乱で、国営新華社通信は15日、死者が10人に達したと伝えた」となっており、誰が殺したのかはっきりしない文にされている。犠牲者たちが誰によってその尊い命を奪われたかを示す部分をこっそり削り取り、紙面の始めのほうだけ読んだ読者の中のある程度が、「警察官が殺したんだろう」と誤解する可能性が生じるように記事を書いたこの記者は、その削った部分をどこに隠したのか。それは下のほう、すなわち読者がしばらく読まないと気づかない位置に短くこっそり隠してあった。「新華社電によると死亡した市民10人はいずれも騒乱の巻き添えとなった。」常日ごろの偏向報道体質を責められることが多くてつらい立場の例の新聞のこの記者は、“騒乱が市民を殺した”ことを示す部分を削ったまま葬ってしまうほどの思い切った偏向報道をすることができず、こっそり下の方に付け足すことで罪の責めを逃れようとするのが最も安全かつ最も誰にもバレにくい方法だと考えた。先頭の文章を「僧侶らによる大規模騒乱の巻き添えで、死者が10人に達したと新華社は15日伝えた」などとすれば字数はほとんどかわらないにも関わらず、あえてそうすることを避けて情報を分散させたのは、そうすることによって、読者の心を誤解へ導くというこの記者の任務を立派に果たせるだろうとの軽薄な願いがあってのことだと言われても致しかたあるまい。
ページをめくっていくとやっと第6面の端のほうで、暴徒化した僧侶らによる店舗や銀行からの盗み、略奪、車の横転、僧侶らによるバス停の破壊行為、放火による炎上などのシーンが中国において報道されていることをこの新聞も認めてはいるものの、全体として、中国政府の声よりも国外で反対活動を行っている反政府勢力側の主張を繰り返す偏向した紙面になっていることから、これら盗み・放火・略奪などの不法行為があたかも正当であるかのような印象を、読者に対して強めようとするこの新聞の狙いがうかがえる。
公の報道機関という見せかけの栄光がとっくに消え失せた産経新聞の偏向報道は、事実の前でなんの説得力も持たず、かえって自分の浅はかな手口を同業者と日本の人々にさらして自分を笑いものにすることにせっせと貢献してばかりいる。
今、先進的な人々は、許認可行政と言われる国家の統制のもとにある日本のテレビ局やラジオ局などの主要メディアの壁を乗り越えて、外国の情報をインターネットによって知ることができる。二十年前であれば、テレビが正確に伝えたがらないような国、自民党政府とあまり親しくないような国のことを庶民が迅速に知りたいと思っても、ほとんどの場合それは日本国内ではかなわぬ夢であり、多くの人々は日本のテレビやラジオから出てくるあらゆることばをただそのまま真に受けて信じるしかなかった。だが今は状況が変わった。たといテレビ局や大手ニュースサイトの大量情報の太い管に比べれば非常に細い線であったとしても、そして時にことばの壁があるにしても、現地の国の生の情報を見つけだせる可能性は二十年前よりも高まっている。
世界各地の中国系の人々の努力によって、西側の一部の報道の真実が明かされた。西側の一部のメディアによって発言の権利を実質的に奪われていた世界各地の中国系の人々は、発言の権利を取り戻しはじめた。
3月14日、拉薩(ラサ)で孫と一緒に車に乗っていた63才の女性は、暴徒に石を投げられた。蔵族(チベット族)のその女性は孫をしっかりつかんでおり、その子を奪われることはなかったが、彼女自身は頭部に傷を負った(注24)。暴徒たちの手からから孫を守ったその女性は語る。「暴徒たちがその暴徒たちのいる道路を通る人をみんな襲っているのを見ました。その暴徒たちは冷酷な様子に見えました。」
別の20才の被害者は、鉄の棒を持った暴徒たちに店を無理矢理こじ開けられ、店内を荒らされたという。この被害者も頭部に傷を負った(注25)。
けがを負わされた漢族、蔵族(チベット族)、回族の人々が次々と運び込まれた病院で働く医師たちは、15才の蔵族(チベット族)の少年が意識不明の昏睡状態に陥ったことを語った(注26)。
別の男性は家に帰る途中に三人の男に行く手を阻まれ、逃げようとした。だが、追いつかれ後ろから切りつけられるという暴行を受けた(注27)。
また、別の被害者は身体に多数の傷を負い、内臓にも損傷を受けた。「拉薩(ラサ)橋のバス停を降りてすぐ、まだ私が何も分からないうちに、向こうから近づいてきて、突いてきました」という(注28)。
拉薩(ラサ)に開店したばかりの飲食店を襲撃された女性は、暴れる者たちによって棒やナイフ、石で店の1階をめちゃくちゃにされた。彼女自身、卑劣な暴徒によって2階の窓から突き落とされた。(注29)
7才の蔵族(チベット族)の子どもは、「悪いことが起こっていることをテレビで見たとき、すごくこわかった」と語る。それは幼い子にとって大きな恐怖体験であった。そして「道路に出るのは危ないから、学校は6日間休みになった」ことも語る。だが、今はもう怖くないという。なぜなら、その蔵族(チベット族)の子の父親がその子にもう「悪いこと」は終わったと話したからである(注30)。
ある蔵族(チベット族)の医師はその日の朝、暴徒化した者たちが大声でわめきながら病院に石を投げつけているのを知った。「彼らは石を病院に投げつけ、二階の窓ガラスを数多く破壊した」とチベット族の医師は語る(注31)。そのチベット族の医師は、暴徒たちがなぜ病院を襲って破壊する行為をおこなっているのかまったく分からなかった。そして、「わたしは暴徒たちの行為に強い憤りをおぼえたが、出入口を閉鎖して暴徒たちを中に入れないようにすることがわたしたちにできる全てだった」と、病気を患ったりけがに苦しむ患者たちを守り治療しなければならない医師としての立場から、暴徒たちの卑劣な暴力行為にたいする憤りを語る。
「襲撃は二時間近くに及んだが、我々の病院では幸いなことに誰もけがを負わずにすんだ」。その蔵族(チベット族)の医師は、このような暴力主義的な破壊活動が自分たちの病院の前でおこなわれるとは予想すらしていなかった。そして、暴徒たちによるこれらの犯行によって、その地域の人々の平和な生活と暮らしの安定が脅威にさらされたことを語った。
カナダの新聞は拉薩(ラサ)にいた数人のカナダ人旅行者が語ったことについて伝えた。あるカナダ人旅行者は、レンガぐらいの大きさの敷石を投げつけていた暴徒によって、バイクに乗っていた人が殴られて意識を失っているのを目撃した。その人は、二メートルもあろうかという銀色の棒状の物を手にした15人の男たちにリンチされ、服には血がべっとりついてびしょびしょになっていたという(注32)。別のカナダ人女性は、「あまりにも卑劣だった・・・あまりにも卑劣だった」と繰り返した。また別の男性は、暴徒らが一人の若い男性と二人の女性をリンチしているのを見た。男性は意識を失って倒れ、片方の女性は歯を何本も折られていたという。
石などの凶器で頭部を殴打されていた人が倒れて動かなくなったのを見て、外国人バックパッカーはその人が殴られて死に至ったと思った(注33)。
5人の若い女性が犠牲となった衣料品店の店主は、暴徒の犠牲となった彼女たちの青春の最後の日となった14日のことを思い起こすのはあまりにつらいという(注34)。蔵族(チベット族)を含む20歳前後の彼女たちはその日、生きたまま焼かれた。
「パパ、あたしの店の周りで人殺しが暴れてる。店の外には出ないから心配しないで。ママとお姉ちゃんにも家から外に出ないように注意して。」これは、彼女たちのうちの一人が卑劣な暴徒の犠牲となる直前に書き送ったメールである(注35)。この女性の父親はこのショート・メッセージを何度も読み返しては、声を張り上げ号泣した。
「わたしは毎日食事が喉を通らず、寝つけません。姉妹たちはいつも夢の中でわたしに微笑んでいます。あの日朝には、まだみんな楽しくおしゃべりをしていたのに」。生存者である蔵族(チベット族)女性(23才)はこう語る。殺される数分前まで女性店員たちはお互いに抱き合って泣き叫んでいたという。
「何人かの子たちの手は、発見された時固く握りしめられていました」とその店主は語る(注36)。冷酷な暴徒たちの犠牲となった彼女たちの追悼のために毎日多くの人が訪れるようになったその店の焼け跡の前で、店主はこれからも拉薩(ラサ)から去ることなく仕事を続ける決意をのべた。なぜなら、人と人とのあいだに混乱と憎しみをかき立て、それをあおることに本当のねらいを持つ人間は、蔵族(チベット族)全体の中から見ればほんの一握りの人間にすぎないと彼は信じるがゆえである。
別の場所では生後8ヶ月の赤ちゃんが、その母親といっしょに殺された(注37)。
多くの人々の人生を一瞬にして悲劇のなかに引きずり込んだ冷酷な暴徒たちは、300カ所あまりに火を放ち(注37)、120棟の民家を焼き、908軒の商店にたいして焼き討ち・破壊・略奪行為をおこない、重傷58人を含む382人に傷を負わせ、18人の市民のかけがえのない尊い命を奪った(注38)。
その後、これら盗みおよび連続放火殺人などの犯人ら362人が自首した(注39)。自首した者の多くは真相をよく知らない者たちで、一握りの扇動者に煽動されたり、脅されるなどして犯罪に加わったことが明らかになっている(注40)。
犯人らは調べにたいし、「もしも暴動に参加しなかったら、わたしの家が焼かれていたかもしれない」(注41)「チベット独立勢力がお金で雇ってくれた。指示に従って、破壊活動を行った。多くの物を壊し、火をつければ、もっと多くのお金がもらえる」(注42)などと供述していることがわかった。
“殺せば活仏になれる”と教えるかわりに“金銭を供与する”となっている点に、こんにちのダライ・ラマ14世関係者の現代化がうかがわれる。“活仏になれる”という魔法の言葉にたいして現代の若者があまり魅力を感じなくなり、そんな言葉では釣られなくなっている新世代の若者たちの登場にダライ・ラマ14世が焦りを感じていても、過去の悲惨な農奴制の事実に触れずに隠しておこうとするダライ・ラマ14世のずるい政治的な態度は事実を知っている人々からの同情を得ることができない。
13世紀の元朝の時代に中国の行政区域となった西蔵(チベット)であるが、仏教の学びのために20世紀初めに拉薩(ラサ)に入ったある人は、そこでの一般的な犯罪に対する刑罰として多いのが両眼をくり抜く刑であるのを知った(注43)。また、両手首を切断したり、耳を削いだり、鼻を削いだりする刑や、重い石の帽子を次々とかぶらせて目玉を飛び出させることなどもおこなわれていた。拉薩(ラサ)という場所は、手のない人や、目玉をくり抜かれた人がたくさんいた町だったという。
死刑は建前上は行われないことになっていたが、実際は珍しいことではなく、河の中で溺れ死にをさせるなどの方法で行われた(注44)。
仏教の教えが無視され、ダライ・ラマも含めて多くの僧侶が肉を食べ、また一応は僧籍にありながら、実際には中世の僧兵のように乱暴狼藉をはたらく者も多かったという(注45)。
旅行者がしばしば指摘したこととして、僧侶が僧院の外で女性と交渉をもったことや、それよりもさらに多く僧院の中で一種の同性愛が行われていたことなどがある(注46)。同性愛は、僧兵の中で特によく見られ、少年を奪い合っての暴力沙汰もあった。
中華人民共和国の建国以前、西蔵(チベット)地方の奴隷の身分は悲惨なものであり、農奴はモノのように貸し借りされていた。一握りの特権的な僧侶や貴族・官僚が圧倒的な力を握っていた(注47)。また、『現代チベットの歩み』(A.T.グルンフェルド著)は、貴族のあいだでは一夫多妻制が珍しくなかったことを語っている(注48)。男性が自分の連れあい(妻)の浮気に気づいたときには連れあい(妻)の鼻先を切り取る自由が法的に認められていた(注49)。チベット仏教高位の活仏は、貧しい人の貧困を前世によるものとした(注50)。
『チベット』(岩波書店)の著者アラン・ウィニントンは、農奴所有者はその農奴たちを、なぜ戦うかの理由を告げることなしに戦闘に駆り立てる権利を持っていたことを述べつつも、僧侶が強力な戦闘力を持つ集団であることを認めている(注51)。
閲兵写真で有名なダライ・ラマ14世は、中国の人々を殺害するための活動を1961年以降、国外拠点からおこなった(注52)。ダライ派による中国の人々への襲撃などのテロ活動が繰り返され、米国大使館からの兵器を装備した者たちが摘発されることもあった(注53)。対空火器(注54)などを含む武器で武装したダライ派ゲリラ部隊は武装闘争を続け、ダライ派勢力から中国国内に秘密裏に送り込まれたテロリストによって中国の人々の命が奪われたが、中国の人々はダライ派武装勢力による卑劣なテロに屈しなかった。暴力を欲しいままにするダライ派武装勢力には米CIAとのつながりという疑惑が生じていたが(注55)、のち、ダライ派武装勢力は金銭的なつながりのあったことを認めた(注56)。
二十年以上前であれば人々は比較的少数のメディアから情報を得るしかなかった。それらのメディアが偏れば人々の認識も偏り、外国の情報についてウソを伝えられてもとりあえずそれを信じるよりほかに方法がなかった。西側メディアによって被害者が加害者に仕立て上げられて残酷に葬られても、外国での詳細な事実が書籍などによって明らかになるのはずっと後のことであり、またそれに気づく人は多くなかった。少なくない人々が、自分が見ている西側メディアのニュースは客観的かつ中立的であると信じて疑わず、また自分は自由な国に住んでいると信じていることを言いあらわすのになんのためらいも感じなかった。
こんにち、外国の情報を迅速に手に入れる方法は少数のメディアのほかにもある。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアがどのようにイラク報道をおこなったかを知っている先進的な人々は、そのような一部の西側メディアから何を読みとることができるかをイラクの経験をとおして既に学んだ。今度はそれを実際に応用する番である。先に本当のことに気づいた先進的な人々が力を合わせてそれを多くの人々に説明するねばり強い努力を続けるなら、やがて虚偽が崩れるときがやってくる。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアの虚偽報道体質に多くの人が気づくとき、虚偽は人々の良心を汚し続けることができなくなる。その時あざむく者の声は力を失い、多くの人々が本当のことを知るであろう。事実は偽りに勝利するであろう。
(注1)http://www.tanakanews.com/d0106iraq.htm
(注2)毎日新聞2003年4月9日付朝刊、および夕刊
毎日新聞2003年4月11日付朝刊
(注3)毎日新聞2003年4月16日付朝刊
(注4)http://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85938.html
(注5)http://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85939.html
(注6)http://www.anti-cnn.com
ttp://www.visfile.com/tibet.html
ttp://newschecker.blogspot.com/2008/03/who-lie-about-xizang-tibet-violence-and.html
など
(注7)http://www.anti-cnn.com
(注8)http://www.cnn.com/2008/US/03/28/tibet.statement/
(注9)http://j.people.com.cn/2008/04/02/jp20080402_86256.html 『人民網日本語版』2008年4月2日 『西側メディアの偏向報道にネット利用者が反論(3)』
(注10)http://www.anti-cnn.com
(注11)http://www.anti-cnn.com
(注12)http://www.anti-cnn.com
(注13)http://www.anti-cnn.com
(注14)http://www.anti-cnn.com
(注15)http://www.anti-cnn.com
(注16)http://www.anti-cnn.com
(注17)http://kadfly.blogspot.com/2008_03_01_archive.html
(注18)『季刊 戦争責任研究』第17号 1997年秋季号
(注19)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.87
(注20)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.89
(注21)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.27
(注22)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3段目
(注23)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3〜4段目
(注24)http://www.china.org.cn/china/features/content_12839652.htm
(注25)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注26)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注27)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注28)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注29)http://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85764.html 『人民網日本語版』2008年3月24日
(注30)http://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注31)http://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注32)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378607.html
(注33)http://english.people.com.cn/90002/93607/6378609.html
(注34)http://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注35)http://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85760.html 『西蔵市民、暴行・破壊・略奪・放火事件を糾弾(1)』
(注36)http://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注37)http://j.people.com.cn/2008/03/18/jp20080318_85434.html
(注38)http://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85759.html
(注39)http://j.people.com.cn/2008/04/10/jp20080410_86559.html
(注40)http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2008-03/21/content_13227977.htm 『チャイナネット』
(注41)http://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注42)http://japanese.cri.cn/151/2008/03/22/1@114680.htm 『中国国際放送局』
(注43)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.183
(注44)『チベット』多田等観著/岩波新書 p.113
(注45)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.182
(注46)『チベットの文化 決定版』R.A.スタン著 山口瑞鳳・定方晟訳/岩波書店 p.170
(注47)http://j.people.com.cn/2008/04/01/jp20080401_86157.html 『人民網日本語版』2008年4月1日 「西蔵の歴史はこう主張する(1)苛酷な封建農奴制」
(注48)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.24
(注49)同書 p.22
(注50)同書 p.36
(注51)『チベット』アラン・ウィニントン著/岩波書店 p.|s
(注52)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.229
(注53)同書 p.228
(注54)同書 p.230
(注55)同書 p.233
(注56)http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260 ニューヨーク・タイムズ 1998年10月2日