2011年08月05日

「政治主張のほうが遥か上」なら・・・

スクリーンショット貼るのも忌々しいのでリンクだけにしておきますが、たとえばこんなひどいつぶやきは、同じ脱原発派の論客からも「原発推進派の陰謀ではないか」と揶揄される有様です。http://twitter.com/#!/yutaka444/status/99083393421148160
かといってこれがそう特別な事例かというとそんなこともなく、ある意味これに近いものは結構ありふれていて、私に言わせれば「左派を貶めるための右派の陰謀ではないのか」思いたいくらいですが、そんなわけはありませんよね。

で、本日貼るのはこちらのつぶやき。

twit20110804.jpg


http://twitter.com/#!/akoustam/status/99139265350479872

私も昨日同様の主旨のエントリー上げてますので、同感であることはいうまでもありません。残念ながら左派の庭だけを巡回している限りこんな論調にお目にかかることはあまりありません。そのこと自体がすでに大きな問題だと思うわけですが、この反原発気運を追い風に党勢の拡大を図ろうなどという思惑があるとすればそれは愚かしいことのように思えます。左派の庭を一歩出れば上記のつぶやきのような印象を肌で感じ取っている人たちは想像以上に多いものです。早急に「政治主張のほうが遥か上」などという誤解を解くべきですね。もっとも「政治主張のほうが遥か上」が誤解でもなんでもないのであれば、とっとと消え去ってくれてもいいのですけれど。

posted by PPFV at 19:27| パリ ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

NO MORE GLICO ?

とかくイデオロギーとやらは「NO MORE FUKUSHIMA」などという言葉を語りたがるのかもしれませんが、「NO MORE FUKUSHIMA」(またはそれに順ずる言葉)という言葉に違和感や嫌悪感を覚えるのはイデオロギーの問題ではないでしょう。被災地の方であればなおのこと。小難しい話などではないのですけどね。

だいいち言葉の使い方としてもおかしいんじゃないでしょうかね。私は怪人21面相を憎みます!「NO MORE GLICO」みたいな。「NO MORE GENPATSU」の方がすっきりと判りやすいと思いますけどね。

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2011年08月02日

当ブログにおけるブログリンクに関する考え方

当ブログのリンクについては随時追加・削除を行っていますが、時として本意でない憶測を招いたり、あるいは不愉快な思いをさせてしまったりしているようですので、お詫び方々、少し説明させていただきます。
基本的に多くのブログのリンクを網羅しようという気はさらさらなく、あくまで私なりのお勧めブログとしてリンクさせていただいていますので、あまり多くなり過ぎないように削除させていただくこともあります。
主張が変節してとても賛同できないと思えばもちろん削除させていただきますが、多くは政治情勢・社会情勢によるお勧めしたいブログの優先順位の変化によります。中には時間の経過とともに徐々に政治色を薄められるブログもあったりしますので(そのお気持ちはわたしも良くわかりますが)、その場合はこちらから配慮して(いるつもり)リンクを外させていただくこともあります。E氏の場合は今回これにあたると思ってしまったわけで他意はありません。不愉快な思いをさせてしまったようでまことに申し訳ありません。
したがって今回は「脱原発」を強く主張なさっている方々には一旦お引取り願って、「脱原発」に異議を唱えている方、あるいは「脱原発熱」が生活をどう翻弄しているのかを理解させてくれる方などのリンクを増やした次第です。被災地の状況が落ち着いた時にはまたリンクの内容は変わるかもしれません。私なりのバランスです。
自身そのようなスタンスですので、私自身はリンクをはずされることについて気にすることはしません。私のこの一連の主張によりブログ開始当初より長年リンクいただいていたブログの方も私のリンクを外されましたが、これも致し方ないものと思っています。

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2011年08月01日

問題は「被災地の復興への議論を見えなくしたこと」

twit20110801.jpg


http://twitter.com/#!/disneycruise200/status/97228337591746561

このつぶやき、孫氏に向けての批判なわけですが、多くの反・脱原発論者についても言えることだと私は思っています。
おまけに「原水禁大会」を福島で行うなど、いったいどんなセンスをしているのかとあきれます。被災地への思いなどカケラも感じられません。さらには相変わらずの「フクシマ」呼ばわりはあまりに無邪気すぎます。その言葉がどのように捉えられるかの想像力さえないのに、「子供の命を救え」などという言葉をいくら発しても、ただただ白々しく聞こえるだけです。

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2011年07月28日

政治闘争は平時にやれ

twit20110727.jpg

http://twitter.com/#!/Q_toshibo/status/86818415272144896

このつぶやき全くもっておっしゃる通りと思います。

Twitter、中にはこういう核心をついた目をみはる発言もあったりしてたいへん興味深いです。私が感じる「脱原発運動」に対する強烈な違和感の核心はまさにこの指摘の中にあるわけで、何もブーム的なものに対する嫌悪感というものなどではけっしてなく、問題は今、際優先になすべきことは何かということの圧倒的で絶望的な違いです。
私にとって「脱原発の達成」など今の段階ではどうでもよいことです。「脱原発の達成」が第一義になってしまっては、冗談でも何でもなく「被災地の不幸は好材料」となってしまうのは当然のことでしょうし、放射線リスクに対する安心材料を語ろうものなら御用学者のレッテルを貼り糾弾したくなるのも自然のなりゆきなのでしょう。ですが、左派と言われる人たち、長年原水爆については何だかんだと語ってこられたでしょうに、自ら被爆2世として放射線治療の第一線で長年やってきた人の心中を想像してみることさえできないというのはいかがなものでしょう。
あるいは、原発なくても電力足りるようにするためには節電も命がけの闘争になってしまうとか。
しかし、いったい何と闘おうというのか、この大変な時にそんな闘争などに付き合わされてはたまったものではないのです。被災地そっちのけの脱原発運動と思うのはまさにこういうありようを指すわけですが、そんな疑問を持つ左派の方はおられないんでしょうかね。

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2011年07月27日

東日本大震災で長崎大学が果たした役割

ぜひ、読んでみていただきたいです。

総力特集 東日本大震災で長崎大学が果たした役割(PDF)
http://www.nagasaki-u.ac.jp/ja/about/info/publicity/file/c036-03.pdf

2011年07月25日

原発事故があらわにした日本人の差別の構造

原発事故があらわにした日本人の差別の構造( 「別無工夫」日記2011/4/13)
http://toshifujiwara.blogspot.com/2011/04/blog-post_13.html

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福島第一原発の事故と放射能が問いかけるもの

福島第一原発の事故と放射能が問いかけるもの( 「別無工夫」日記2011/3/27)
http://toshifujiwara.blogspot.com/2011/03/blog-post_2687.html
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2011年07月24日

結局「原発安全神話」も「原発恐怖神話」も嘘っぱち

原発反対運動を監視
科技庁(当時) 80年代後半に チェルノブイリ事故で世論警戒(しんぶん赤旗2011/7/20)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-20/2011072001_01_1.html

報告は「原子力反対運動の特徴」として、「従来」と「最近」の運動を比較します。「技術論、安全論などの理論中心↓感覚的、情緒的反対」「悲そうな使命感↓遊び感覚、お祭り気分」などと運動の変化を描いており、運動に参加する市民を見下す姿勢が反映しています。


科技庁の見立て、そうはずしているとは思いませんね。特に事故後はその傾向が顕著であると思います。更にいえば原発反対の声の中に差別的な耐え難い発言さえ横行している現状など、共産党はどう見ているのでしょう。
結局、このところの私の一連の記事は、被災者そっちのけの今の脱原発運動のありかたには賛同できないし、よって共産党の方針にも賛同できないという意見表明というだけのことなのですが、それをもって共産党支持者の分裂などと言う人もいて困惑します。賛同できるものはできる、できないものはできない、ただそれだけのことです。何度も言うように、そもそも私は共産党支持者でも共産党の構成員でもありませんので、「分裂」など言われても、むしろ共産党が迷惑するんじゃないでしょうか。

あ、それから私のことをただの天邪鬼と評した人もおいでのようで、失礼な話だとは思うのですけど、まあそれは全否定はしません。もしかして戦時中、戦争に反対した共産党も天邪鬼だったんでしょうかね。

もひとつ。3.11以降、私の考えの中で大きな変化があったことは確かです。結局、一番の発見は「原発安全神話」も嘘っぱちなら、さんざん聞かされてきた「原発恐怖神話」も嘘っぱちだったということなのですけれど。そして、そんな「神話」に振り回される人たちの苦悩に配慮できる人は、「神話」を語る人の中にはどうやらいないと言うことですね。

ちなみにセシウム藁の問題。結局、「脱原発を叫ぶ」より、また「浜岡を止める」よりもっと先にやるべきことがあったわけですが、国の無策を叩きこそすれ、そこから学ぼうという声は聞きません。
posted by PPFV at 12:14| パリ | Comment(2) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

自ら劣化されるのは、これいかんともしがたい

制服向上委員会がフジロック出演取りやめ、脱原発ソングが原因とブログで明かす
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110720-00000026-rbb-ent

まあこのニュース、原発事故前であればそれなりに興味を引くニュースではありますが、今となっては、これ単純に「商売になる」と踏んだだけの話でしょう。それにしても「脱原発」ブームに乗ろうとは何とも浅はかです。芸能人の生き方として見てもやはり浅はかなことでありますね。

それに・・・

こういうニュースに喜んで飛びつくのもどうかと思いますが。ましてや今まで地道に活動して来た共産党員の方なんかが、こんなニュースを取り上げたりしてるのを見てると他人事ながら先行き心配になってしまいます。そんなことやってると信用を失いかねないのではないかと。
共産党に対するいわれのない誹謗・批判などに対しては、私もできる限りの反論や応援もしたいと思いますが、自ら劣化されるのは、これいかんともしがたいものです。ジャーナリズムの劣化など憂えている場合ではないでしょう。

posted by PPFV at 20:52| パリ ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

「人類平和」のために邁進する予言者か

たとえば、とあるメーリングリストにこんな投稿があります。

[CML 010724] 菅直人首相の脱原発発言を評価します
http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-July/010593.html

菅直人首相の7.13記者会見「脱原発発言」
を高く評価する必要があります。
私たちは首相発言に安堵することなく、その実現を迫っていくことです。
これからは被曝者が次々と発症していくでしょう。
民主党の「直ちに健康に影響しません」と発言した枝野官房長官らも
速やかに反省しない限り、東電の幹部、中曽根元首相らと
同様原発犯罪者となります。
原発と核兵器の廃絶は人類社会にとって緊急な課題です。
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを体験した日本は国民の為、
世界の人々の為になす役割は非常に大きいです。


菅首相の「脱原発宣言」を評価すべきとは、方向性においても信憑性においてもどうかと思うのですが、それよりも気になるのは『これからは被爆者が次々と発症していくでしょう』と言ってしまう感性です。「人類社会」や「世界の人々」の心配はすれど、その言葉が被災地の人たちににどのように受け取られるかを心配することはないようですから、当然「人類社会」や「世界の人々」への心配も信憑性怪しいものですよね。もっとも「福島」をヒロシマ・ナガサキとともにすでに体験済みのこととして語ってしまうところに、何を最優先に考えているのか垣間見れるような気もするのですが。
人によってはそんな意識もなく、正しいと思う「脱原発」を熱く語るうちに、これと類似したようなことを語っていないでしょうかね。どうか一度立ち止まって考えてほしいと願うばかりです。
posted by PPFV at 22:38| パリ ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

脱原発論は被災地のためにあらず?

脱原発に関して「右翼と共闘するのってどうよ!」みたいな意見がありますが、こと、漠然とした不安を必要以上におそれて強硬な態度に出ることを趣向するという点においては、同じようなものじゃないでしょうかね。共闘するとかしないとかにかかわらず、向いている方向も動機も同じようなものです。
前に「今や、核武装論者も脱原発を訴える始末」と書いたことがありましたが、まあ、当人にとってみれば「北朝鮮も怖いし、放射能も怖い」という(マトモかどうかは別にして)もっともな一貫した話だったわけですね。結果マンガみたいな矛盾を抱えているわけですが、きっとその核武装論も「けっして爆発しなければ」の条件つきなのでしょう。
しかし、知ってか知らずか、そんな矛盾を抱えているのは右派の方だけに限った話ではないようで、放射線から身を守るためには、国民生活の多少の苦しみも是、被災地の苦しみよりも放射能の恐ろしさを伝えるが先、いっそ多少の差別もやむなしといった風情もあったりして閉口します。もっとも福島の状況が悪くなればなるほど反・脱原発派にとっては好材料なのだろうし、不幸な出来事あれば「原発さえなければ」と原発批判に使われこそすれ、その現状を救うべくどうしたらいいかという議論がされることはあまりありません。結局、自説を補強しようとすればするほど原発被災者の今後の展望を暗然と思わざるをえないような状況を作り出すわけですから、これもまた矛盾と言えば矛盾です。

こんなことでは左派の信頼性が問われるでしょうし、被災地支援に関する政府の無策ぶりを批判することもできないでしょう。

反・脱原発派のそんな状況を見るにつけ、とかく「御用学者」として叩かれまくっている山下氏の「大丈夫論」にも被災者支援の観点から一定の評価をしたくもなりますし、政府の「正直に発表したら国民パニック論」もまんざらデタラメでもなかったのでは・・・と思いたくもなりますね。

みたいなことをつらつら考えつつ、余談ながらこんな記事も。

「保守・右翼の脱原発宣言」鈴木邦夫−マガジン9
http://www.magazine9.jp/kunio/110622/

 4月14日(木)、チャンネル桜で原発、是か非かの大討論会があった。推進派の人達4人と反対の人4人の討論だ。反対派の一人として僕も出た。又、西尾幹二さんも出た。西尾さんは言う。「今まで日本には原発は絶対に必要だと思っていたし、マスコミに出て、そう主張してもきた。しかし、今回の事故で、それは間違っていたと分かった。今までのことを自己批判し、これからは反対派に回る」と言った。勇気のある態度だと思った。普通、学者なら、絶対に間違いを認めない。あれこれ理屈をつけて、ごまかす。西尾さんは偉いと思った。
 「右翼、保守派の人は間違っていたと思ったら、謝るし、考えを変える。これは立派なことだ。左翼には全くない」と、ある新聞記者が言っていた。


何とも内容のない話ですが、この西尾氏、記事を見る限り私にはただのおっちょこちょいにしか見えません。

だいたい世論が同じ方向に盛り上がってしまって、反対意見には耳を傾けようともしないとか、そもそも反対意見など言いづらい状況を醸し出してしまうとか、その結果ロクなことがないのは、何度となく経験していることなんですけど、そういうことには鈍感でチカラの入れどころを間違うところは相変わらず・・・でこのたびの反応なのでしょうが、これもまたある意味一貫した態度です。

左右問わず、そもそも脱原発論は被災地のためにあるものではないようです。
posted by PPFV at 20:21| パリ ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

菅首相「脱原発依存」宣言

てっきり「『脱原発』に依存する」宣言したのかと思ったぞ。

まあ、そんな人たくさんいるから。

posted by PPFV at 15:30| パリ | Comment(1) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月07日

「脱原発」で目の前の問題は解決するのか?

このような状況でなければ(原発事故後という意味ですね)、原発を取り巻く諸問題について語ることや評価すること、それはそれでまあそれなりに有意義なことでしょうけど。まずは被災地復興と福島原発事故収束を最優先にすべきと思う私にとっては、この状況でのそんな議論や呼びかけには基本なんだかなあな違和感を感じざるを得ません。
いわば、池に落ちて溺れている人を横目に、柵があれば良かったんだだの、やれ柵を作れの作らないの、水を抜いておけば良かっただの、自分の子どもが落ちたらどうするの!だの、いやいやいっそ池などなければいいのだ、そうだ「脱池」だ・・・で盛り上がってしまっている感じです。
残念ながら溺れている人を助けるための議論はあまり聞こえてきません。むしろ助ける邪魔をしているのではとさえ思えます。私は共産党支持ブロガーでも何でもありませんが、そういう場面での共産党の態度を評価していましたから、今回の状況には落胆を隠せません。その落胆は同様に多くの左派ブロガーに対しても感じるところでもあります。
脱原発の方向が本当にいいのかどうかの議論はひとまず置いておくにしても、現状の脱原発熱のあり様には非常に危ういものを感じています。
そもそも、脱原発の目標が200%達成され、たとえばすべての原発は明日から全廃!となったとして目前の問題は何かひとつでも解決されるのでしょうかね。
posted by PPFV at 19:55| パリ | Comment(5) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月30日

ベストではない結果を想定しつつ考えをめぐらす

全国3000人弱に急増=先週の熱中症救急搬送(時事通信2011/6/28)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2011062801066

危惧されたこととはいえ、何とも痛ましいことです。迷うことなくエアコンを使ってほしいものです。それも先週一週間でのことですから、このところの天候を考えれば心配はますます増すばかり。記事によれば7人の方が亡くなられたとのこと、高潮しすぎた脱原発世論・報道による犠牲者という側面も決して否定はできません。
幸いにして原発事故による犠牲者はおられないわけですが、目に見えない不安あるいは将来への不安を理由に眼前の犠牲に目をつぶることができるはずもありません。ましてや「原発推進派がこのニュースを利用する」などと言っている場合ではありません。

自身「将来的には原発はなくすべき」と考えるものですが、即時撤廃は現時点では不可能であると考えています。まずは現在休止中の原発の速やかな再稼動を望みます。そして今回の事故の徹底的な分析と今後の緻密な安全対策が議論され実践されることを望みます。

残念ながら「即時撤廃」を旨とする方々は「(あるべき)原発の安全性」について語ることはありません。「なくすべきもの」についての安全性を語ることなど、すなわち自らの主張を結果否定する議論ですから、ある意味当然といえば当然の態度でしょう。けれども「即時撤廃」による社会的損失、弱者に強いるであろう犠牲、あるいは今後展開するであろう政治的力学(思惑も含めて)を考えれば、原発が維持される可能性は非常に高いのではないかと思わざるを得ません。世論も決して「即時撤廃」が多数派とはいい難い状況ですから。

ふたを開けて見れば原発は漫然と維持され、反原発熱は、ただただ「即時撤廃」を訴えただけで終わってしまっては、それはあまりにも不毛な結果といわざるを得ません。福島の事故を教訓に今後の安全対策に十二分に生かすための議論はとても重要なのではないでしょうかね。

ベストではない(あるいは最悪の)結果を想定しつつ考えをめぐらすことは危機管理の基本だと思うのですけど、「原発の危機」には豊かな想像力を働かせることができても、はて自らの運動が結果何を残すことになるのか・・・そこに思い至ることなくして東電のずさんな危機管理を嗤うというのも何とも変な話です。
posted by PPFV at 00:18| パリ ☁| Comment(5) | TrackBack(1) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

ひとりごとです

今や、核武装論者も脱原発を訴える始末。

posted by PPFV at 21:42| パリ 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月17日

目に見える他人の危機より目に見えない自分の恐怖

http://twitter.com/#!/KeigoTakeda/status/81385796208308224

このつぶやき、私もまったく同様の感想を持ちます。
こんな政府の無策を批判する声はなぜか少ない気がしますね。
「原発さえなければ」という言葉ばかりがクローズアップされて肝心の問題を見えにくくしてる気がします。
皆が恐れる放射能よりも、確実に早く人の命を奪っているのですが。
原発のない理想郷を詩的に語ろうという気にはなかなかなれません。

posted by PPFV at 19:25| パリ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

原発より怖いもの

「ドイツに続き、イタリアも脱原発を決めた。脱原発はヨーロッパの潮流だ。日本はいったい何をやっているのだ」という主張があります。そもそも潮流だから正当性と言えるのか?とか、放射能という未知の不安を解消するために「福島」にフタをするようなことをしていいのか?とか、そのために被災者の生活を犠牲にしてもやむをえないのか?とか、色々考えてしまうのだけども変ですかね。脱原発論のいかがわしさはこの際わきに置いておくにしても、そんな自説を展開したい気持ちが強すぎるのか、同じ国に住みながらその被災者の生活のことなどには思いが及んでいない人が多いような気がしてならないんですよね。私は原発よりそんな熱狂の方がむしろこわい。

以下、個人的には、今や害毒だと思っている阿修羅への投稿記事。
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/120.html

「FUKUSHIMA」とか「フクシマ」とか、一体そんな表記に何の記号性を持たせたいのか、まったく失礼な話だと思うのだが。そこで生活するものにとってはあくまで「福島」であり「広島」であり「長崎」だろう。
と、投稿そのものにはそんな感想を持つぐらいですが、それより注目したのはそれにつけられたコメントです。いくつか拾ってみましたが、パターンサンプルとしては好適なのではないかと。よりによってこんなひどいコメントを集めて印象操作かよ・・・などと思われては心外ですが、脱原発しかアタマになくてその先にあるものに思いを馳せることができなかったり、そのことだけが物事の判断基準になったりする人の主張は、表現の違いこそあれ本質的にはこちらの方々と同じようなものです。

原発を止めるには、原発資金で潤っている地域の酪農、農業などの産物の不買運動を起こさないと止める事はできません。かわいそうなどと、情緒的な感情では原発は止まりません。



多くの国民に犠牲者を出した日本が懲りずに根拠の無い原発推進になんてなったら、今以上に世界中から笑いものになります。



次の首相を選ぶ代表選が脱原発派にとって正念場になる。
なぜなら、菅首相以下の首相が選出される可能性があるからだ。
なんとしても、原発推進派の首相の誕生を阻止し、
脱原発派の首相を実現する必要がある。
とすれば、今、名前が挙がっている候補者(?)に対して、
脱原発派は、公開質問状を送って、回答を要求する必要があるだろう。
端的にいえば「20××年に原発を全停止するというロードマップを策定しますか?」という質問だ。
これで、誰を応援するかが決定できる。



日本は核のゴミ捨て場にされるだろう。
もう住めなのだからいいじゃないかと言われて。
核処理が唯一の産業となる。
世界から補助金をもらって命を売って生きていくことになる。
今の青森のように、敦賀のように、玄海町のように。
日本人みんながシャブ中毒患者のように、乞食のように。
それが日本の姿である。

posted by PPFV at 21:20| パリ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

被災地のために、今一番優先すべき行動は脱原発を訴えること?

それにしても、なんで「サヨクチックな人たち」というのはこうも性急に変革を求めたがるんだろう。性急がゆえにその変革の本質までには目が届かないのも、知らず知らずに誰かを傷つけていることにも気づかないのも、ヘタをすると自分の首さえ締めつけかねないことに気づかないのも、どれもいつもの悪い癖ですね。
脱原発世論はいくら盛り上がっても、昔から脱原発を掲げる政党は相変わらず盛り上がりません。たまに勘違いした人が「瑞穂ちゃんカワイイ」とかなんとか言う程度のことで。
「そんな悠長なことを言っている場合ではない。こうしている間にも苦しんでいるものがいる。とにかく変えることが先だ。話はそれからだ。」みたいな話は過去に何度も聞きましたが、いつもやっていることはチグハグです。とにかく「菅辞めろ」、とにかく「原発やめろ」といった言葉ばかりが聞こえてきますが、ゴタゴタした政局同様、どうにもピンときません。
福島の事故を横目に今後の自国の原発行政を占おうとする諸外国と違って、残念ながら当事国である日本はその前に片付けなければならない喫緊の問題があって、悠長なこと言っている場合ではないことは、その通りです。まずは「被災者の生活支援」「被災地の生活インフラ、産業インフラの復旧」、福島原発周辺地域について言えば「原発の放射性物質放出を止めること(まずこれがなければ復旧の道筋さえ見えてきません)」を最優先になされるべきであると思うのですが遅々として進みません。まずそれらを強力に推し進めるよう政府に求めるようなデモであれば私も大いに賛同できるわけですが。
そしてその後に「脱原発」を訴えるなり議論した方がずっと冷静に日本の将来を見据えた実のある議論ができるのではないかと思いますけどね。まさか原発が大変なことになってる今こそ「脱原発」を訴える絶好機(旬)だなどと不謹慎なことを考えている人はいないと思いますから。

posted by PPFV at 21:02| パリ ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 不定期日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

日本の夜明け?

「政権交代で日本の夜明けだ」
「内閣不信任可決で小沢復権、日本の夜明けは近い」

しかし、こう何度も「日本の夜明け」に立ち会える方々が羨ましい。
まあ、結果「落ち着け、おっちょこちょい」というだけの話なのだが。
posted by PPFV at 15:51| パリ | Comment(0) | TrackBack(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする