脱原発に関して「右翼と共闘するのってどうよ!」みたいな意見がありますが、こと、漠然とした不安を必要以上におそれて強硬な態度に出ることを趣向するという点においては、同じようなものじゃないでしょうかね。共闘するとかしないとかにかかわらず、向いている方向も動機も同じようなものです。
前に「今や、核武装論者も脱原発を訴える始末」と書いたことがありましたが、まあ、当人にとってみれば「北朝鮮も怖いし、放射能も怖い」という(マトモかどうかは別にして)もっともな一貫した話だったわけですね。結果マンガみたいな矛盾を抱えているわけですが、きっとその核武装論も「けっして爆発しなければ」の条件つきなのでしょう。
しかし、知ってか知らずか、そんな矛盾を抱えているのは右派の方だけに限った話ではないようで、放射線から身を守るためには、国民生活の多少の苦しみも是、被災地の苦しみよりも放射能の恐ろしさを伝えるが先、いっそ多少の差別もやむなしといった風情もあったりして閉口します。もっとも福島の状況が悪くなればなるほど反・脱原発派にとっては好材料なのだろうし、不幸な出来事あれば「原発さえなければ」と原発批判に使われこそすれ、その現状を救うべくどうしたらいいかという議論がされることはあまりありません。結局、自説を補強しようとすればするほど原発被災者の今後の展望を暗然と思わざるをえないような状況を作り出すわけですから、これもまた矛盾と言えば矛盾です。
こんなことでは左派の信頼性が問われるでしょうし、被災地支援に関する政府の無策ぶりを批判することもできないでしょう。
反・脱原発派のそんな状況を見るにつけ、とかく「御用学者」として叩かれまくっている山下氏の「大丈夫論」にも被災者支援の観点から一定の評価をしたくもなりますし、政府の「正直に発表したら国民パニック論」もまんざらデタラメでもなかったのでは・・・と思いたくもなりますね。
みたいなことをつらつら考えつつ、余談ながらこんな記事も。
「保守・右翼の脱原発宣言」鈴木邦夫−マガジン9
http://www.magazine9.jp/kunio/110622/ 4月14日(木)、チャンネル桜で原発、是か非かの大討論会があった。推進派の人達4人と反対の人4人の討論だ。反対派の一人として僕も出た。又、西尾幹二さんも出た。西尾さんは言う。「今まで日本には原発は絶対に必要だと思っていたし、マスコミに出て、そう主張してもきた。しかし、今回の事故で、それは間違っていたと分かった。今までのことを自己批判し、これからは反対派に回る」と言った。勇気のある態度だと思った。普通、学者なら、絶対に間違いを認めない。あれこれ理屈をつけて、ごまかす。西尾さんは偉いと思った。
「右翼、保守派の人は間違っていたと思ったら、謝るし、考えを変える。これは立派なことだ。左翼には全くない」と、ある新聞記者が言っていた。
何とも内容のない話ですが、この西尾氏、記事を見る限り私にはただのおっちょこちょいにしか見えません。
だいたい世論が同じ方向に盛り上がってしまって、反対意見には耳を傾けようともしないとか、そもそも反対意見など言いづらい状況を醸し出してしまうとか、その結果ロクなことがないのは、何度となく経験していることなんですけど、そういうことには鈍感でチカラの入れどころを間違うところは相変わらず・・・でこのたびの反応なのでしょうが、これもまたある意味一貫した態度です。
左右問わず、そもそも脱原発論は被災地のためにあるものではないようです。
posted by PPFV at 20:21| パリ ☀|
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